3.ギリ抜きのトラ


 鯨波くじらなみしずく

 会員証に書かれた名前は意外にも普通だった。


「一色ちゃん、おひさー」


 伯父からこの店のルールの説明を受けた彼女は、りんごカードを二セット購入し、意気揚々と私達の卓へとやってきた。ヘラヘラと笑いながらも物腰は落ち着いていて、不思議と貫禄を感じさせる。

 彼女は席につくとともに、開口一番、共通の思い出を口にした。


「やー、こんな所で会えるってことは思わなかったよ。あん時は災難だったな」


 二ヶ月前のマンションバカラ摘発事件。

 その時に、私はこの鯨波と出会った。


 今日が二度目の顔合わせになるが、彼女はとてもフレンドリーにあの夜のことを話した。あまり大声で話したいことではないので、私は苦々しく思いながら曖昧に笑う。


「しっかしあんた、あのバカラ賭博からよく逃げ出せたな。あたしはてっきり、あの時残ってた連中は全員捕まったと思ってたんだぜ」

「そういう鯨波さんこそ、うまいこと逃げ出しましたよね」


 本当に、神がかった危機察知能力だった。


 鯨波は大勝ちした上にちゃっかり勝ち金を持ち出していたので、あの撤退はほぼベストのタイミングだっただろう。対する私といえば、借金をした上にチップを全て置いて逃げ出しているので、勝ち負けで言えば明らかに私は大負けである。


 鯨波からするとただの思い出話も、私にとっては苦い記憶だった。


「というか、鯨波さん。なんでまた、こんな寂れた雀荘になんか来たんです?」

「寂れてはない。客が居ないだけだ」


 伯父が反論してくるが、それを寂れたというのである。


 そうでなくても、この店を狙って来る動機は気になるところだった。

 鯨波と会うのはこれが二度目だが、彼女が率先して来るようなウリがこの店にあるようには思えない。雀荘なら他にもいくらでもあるだろうに、何を思ってここに来たのだろう?


「あたしは人を探しに来たんだよ」

「人探し、ですか」

「ああ。この辺にあの『一色勘九朗』がいるって話を聞いてな。なあ、あんたら知らないか?」

「……………」


 私と伯父は同時に目をそらした。

 そのままだと不自然だったので、私は小首をかしげるふりをしながら聞いた。


「その、なんとか勘九朗さんが、どうしたんですか?」

「ああ。なんでも半年くらい前に、歌舞伎町ででかい勝負があったらしいんだが、そこに伝説になってる男がいたって話なんだよ。あたしは世代じゃないからよく知らねーけど、一昔前は負け知らずの博奕打ちってんで有名だったらしい。だったら、一度手合わせしてみてぇと思ってな。だからこうして、虱潰しに雀荘を巡って、知ってる人間を探してるんだよ」


 鯨波はカウンターに座る伯父の方を振り返りながら、未練がましそうに言う。


「なあ、店長さん。本当に知らないのか? 一色勘九朗のこと」

「知らん。誰だそれは」


 人はここまで面の皮を厚くして嘘をつけるらしい。

 私やトラおじちゃんがバラせば一発で無駄になる嘘を、ここまで堂々と……。ちなみに、トラおじちゃんは笑いをこらえていた。これは、黙っている方が面白いと踏んでいるようだ。


 伯父が口を割らないので、「そっか。外れだったか」と鯨波は残念そうに顔を歪めた。続けて彼女は、何かに思い当たったように私に尋ねた。


「そう言えば一色ちゃんと同じ苗字だな。なあ、もしかして、一色ちゃんの身内だったりしないか? そうでなくても、なんか知ってたりしねーか?」

「ごめんなさい。知らない人ですね」


 私の面の皮もそれなりに分厚かった。


 私の答えに、鯨波は残念そうにしながらも、「ま、一軒目ならこんなもんか」とあっさり割り切ったようだった。というか、一軒目だったのかよ。一発ツモじゃないか。さすがの引きの強さである。本当に油断ならない……。


 しかし、ここが一軒目だったおかげで、これから伯父は方々の雀荘に向けて箝口令を引くことが出来るので、不幸中の幸いという感じだった。昔とった杵柄で、伯父はそれくらいの影響力を持っているのだ。まあ、この嘘はそのうちバレることになるだろうけど……。


 さて。

 そんな鯨波との再会という予想外のイベントが起こったわけだったが、彼女が卓入りしたことでメンツは揃った。


「あの、みやびさん。この人はいったい……?」

「おいおい、きれいな姉ちゃんがまた増えるとは、この店は今からガールズバーに新装オープンでもするのか? がはは」

「ん、なんだ。フリーで入ったと思ってたんだが、あんたら全員知り合いなのか?」


 三者三様。にぎやかなことこの上ない。


 ひとまず全員と共通の知り合いである私が、それぞれを紹介することにした。「この人、女装男」「このおっさん、エロジジイ」「彼女、ギャンブラー」と言った具合だ。

 ちなみに、英知くんのことを紹介した時の鯨波の反応は「見りゃわかる」だった。さすがというべきか、そこまで深い付き合いではないけれど、この女が動揺する所は想像できないなと思った。


 鯨波は私から見て下家に座ると、愉快そうにサイコロを回した。人探しのあては外れたものの、麻雀はしっかりと打っていくつもりのようだった。


 さて。

 いつもの流れなら、ここで麻雀というギャンブルの説明を入れる所だけれど――今回に限っては最低限の概要を記述するにとどめたいと思う。


 なぜかと言うと、麻雀というゲームは説明していたらきりがないからだ。


 34種類136枚の牌を使って、四人で遊ぶゲーム。手牌の13枚と、山からツモってきた和了り牌の1枚、合計14枚を使って役を作るというのが、簡単なルールになる。これ以上の細かいルールや役を説明していると、原稿用紙が何枚あっても足りないので割愛する。


 安心して欲しい。

 ルールなんて分からなくても、麻雀漫画は面白い。


 ルール知らないけどアカギ好きな人とかいっぱいいるでしょ? 哲也とか読んでた人もいるでしょ? 咲の全国大会編いつ完結するんだろうね? といった感じのノリで大丈夫大丈夫。


 え? これは小説じゃないかって?

 小説も漫画も大して変わらないでしょ(暴論)


 さすがにリアルな闘牌描写なんて出来ないので、あくまで雰囲気を味わってもらえれば良い。なあに、読めばルールなんてわかんなくても大丈夫だってわかると思う。理由はすぐに分かる。


 というわけで――ゲームスタート。





 起家チーチャは鯨波。

 自動卓にセットされた山から牌を取る。自分の配牌を理牌リーパイしながら、私はちらりと鯨波の方に視線を向ける。


「楽しそうですね、鯨波さん。ここ、建前上はノーレートなんですけど」

「ん? それがどうかしたか」


 鯨波はキョトンとした顔を見せる。

 予想外の反応に鼻白みながら、私は正直な気持ちを口にした。


「あなたはもっとレートの高い勝負じゃないと、やる気が出ないんじゃないかと思ってました」

「んにゃ、そんなことねぇよ。どんなことでも、勝負事は楽しいもんだろ」


 親の第一打、字牌のハツ

 それを皮切りに、淡々と打牌は進んでいく。


「レートが高い方が燃えるってのは否定しないけどな。でも、一色ちゃんも前に言ってたよな。ギャンブルの好きな所はスリルだって。そのスリルを感じる上で、金額の多寡が影響するのは間違い無いだろーよ。でも、結局の所、どれだけその勝負に入れ込むかっつーのが、ギャンブルにおいては重要じゃねぇかってあたしは思うんだよ」

「勝負にかける思い、ですか。まるで根性論みたいなこと言いますね」

「根性論っつーより、ロマンだろ」


 ニィ、と口角を上げて、鯨波は「ロン」と発声した。


 十一巡目。

 私が捨てた二萬リャンワンが当たりだった。


 タンヤオピンフ三色サンショク、ドラ込みで満貫マンガン。まるでお手本のようにきれいな手作りで、思わず見惚れそうになった。


「がはは、ロマンと来たか! 良いこと言うなぁ!」


 鯨波の言葉を引き継ぐように、トラおじちゃんが軽快に笑った。


「わかるぜ姉ちゃん。勝負に賭ける思い、それが博奕を味わう上で最高のスパイスだってな。でかい感情が乗ってねー博奕なんざ、なんも面白くねぇ。あんた、美人だけあってロマンっつーもんをよく分かってるようだ。やっぱロマンは、あんたの胸みてーにデカくねぇとな。みーちゃんくらいじゃ夢も持てねぇや」

「おお、話がわかるおっちゃんだな。やっぱロマンは、夢みてーにでっかくないとな!」


 トラおじちゃんのセクハラも何のその、鯨波は豪快に笑ってみせた。それはそれとして、私は卓の下からトラおじちゃんのスネを蹴りつけた。


「ロマンっつーとよ」


 東一局一本場。

 親を連荘レンチャンする鯨波が、牌を捨てながら話を変えた。


「おっさん、さっきあたしが来た時に、七星研吾の話をしてたよな。そいつは、あたしが探してる一色勘九朗と、二十年前に大勝負をしたっつー話を聞いたんだが、もしかしてあんた、どっちも知ってるのか?」

「おうさ。なんだったら、その二十年前の頂上決戦にも立ち会ったぜ」


 あー、始まった。

 この話好きなんだよな、このおじちゃん。


 うんざりした顔を隠さない私と対象的に、鯨波は目を輝かせながら聞き返す。


「まじかよ。だったらおっさん、もしかして一色勘九朗の居場所も知ってるんじゃないのか? なんとか連絡取ってもらうことは出来ねぇか?」

「ああ、確かにオレっちは、勘ちゃんの居場所を知ってるぜ。――けどな」


 カン、と。

 鯨波の捨て牌に対して、トラおじちゃんはカンを宣言した。大明槓ダイミンカン――手牌の『チュン』を三枚倒し、鯨波が捨てた『チュン』を拾い上げる。


 そして――リンシャン牌を手に取って宣言した。


「ツモ――嶺上開花リンシャンカイホウチュン、ドラ4。跳満だ。がはは、ツキが来てるぜ!」

「うっひゃあ、カンドラ、モロ乗りかよ!」


 これにはさすがの鯨波も驚いたようだ。

 トラおじちゃんは機嫌良さそうに高笑いを上げながら言う。


「安心しな、責任払いはこの店じゃ採用してねぇからよ! それはそうと、勘ちゃんとつなぐって話だったな。良いぜ、考えてやるよ姉ちゃん。ただし、。がはは!」


 トラおじちゃんの提案に、鯨波の眉根がピクリと動いた。


「ふぅん――勝てたら、つないでくれるんだな」

「おうよ。さっきお姉ちゃんが言ったんだぜ。『どれだけ勝負に入れ込むかが重要だ』ってな。どうだ? これなら感情の乗った勝負が出来るだろ?」

「は、ははは! 最高だな、おっさん。上等だ、受けて立つぜ」


 にぃ、と好戦的な笑みで顔を染め上げながら、鯨波は点棒を差し出した。


「…………」


 うーん、盛り上がってるね。

 でも――トラおじちゃんのことを知っている私は見逃さなかった。


 さっきの和了あがり、嶺上牌リンシャンパイをツモる時に、不自然な動きがあった。注視していなければわからないくらい細かい動きだったけど、あれは多分すり替えたな。となると、カンドラがモロ乗りしたのも怪しい。新ドラをめくったのは王牌ワンパイに近かった私だけど、多分配牌の時にやられた可能性が高い。


 早見寅男。

 またの名を、ギリ抜きのトラ。


 全自動卓が常識となった現代で、手積み時代の積み込み芸が生きる場面なんて早々ないけれども、急所を突いた牌のすり替えは現役だと豪語するのがこの男である。言うだけあって、トラおじちゃんはとにかく山をすり替えるのがうまい。注視していてもわからないくらい素早く、しかも堂々とやるもんだから、現場を押さえるのも一苦労だ。


 当たり前だが、ギャンブルにおいてイカサマはご法度だ。バレたらどんな目に合わされても文句は言えない。お金という、命に釣り合うものをやり取りしているから当たり前だ。


 けれど同時に、疑わしきは罰せずというのもまた、不文律として存在するのがギャンブルの掟だ。

 イカサマは現場や証拠を押さえなければ追求できない。だからこそ――サマ師との戦いは、それ自体がギャンブルとは別の次元での勝負となる。


 故に、うん、故にだ。


「その一萬イーワン、ロンだぜ、オカマの兄ちゃん!」

「うへ、これですか!?」


 全く想定外だった捨て牌を宣言されて、英知くんが驚き声を上げる。


 純チャン・平和ピンフ一盃口イーペーコー

 満貫マンガン、しかも親だから一万二千点。このままだと、トラおじちゃんがダントツでトップになってしまう。


 トラおじちゃんのことは嫌いじゃないけど――でも、イカサマありの勝負をしかけておいて、ただサンドバックにされるのは気に食わないよね。


「あれ、トラおじちゃん。その和了あがり、おかしくない?」

「あん? みーちゃん何を言って――」


 トラおじちゃんが何かを言い出す前に、私は対面の方へと身を乗り出して、おじちゃんの手牌を覗き見る。


 そして、「うん」と大げさに動いて身を引きながら、わざとらしく指摘した。


「馬鹿だなー。それ、。低目の和了あがり牌を三巡目に捨ててるじゃん」


 捨て牌の中にある『四萬スーワン』を指差す。和了あがり牌は純チャンを構成するための一萬イーワンだったが、待ちはイー四萬スーワンなので、フリテンだ。

 この場合、和了あがりは不成立で、なおかつおじちゃんのチョンボになる。


 私の指摘に対して、トラおじちゃんはびっくりした後、真相がわかったのか苦々しそうに表情筋を歪めて私を見た。


「は、ははは! みーちゃん、やりやがったなこんにゃろう」

「さて、なんのことかな?」


 もちろん私の仕業だけど、すっとぼける。


 真相としては、私が身を乗り出した時に、捨て牌が私の体で影になったタイミングで四萬スーワンを仕込んだ。対面トイメンだけでなく、上家カミチャ下家シモチャも私の動きに気を取られて、ホーに細工をしているのは分からなかったはずだ。


 まあ、明らかに変なフリテンなので、私がすり替えをしたことは誰の目から見ても明らかだろうけど――それこそ、トラおじちゃんがやったことと同じだ。疑わしきは罰せず。指摘するのなら、イカサマの瞬間を押さえないとね。


 だいたい、忘れてもらっては困る。


 私の麻雀の師匠は何人もいるけど――中でもすり替え芸に関しては、あなたに教わったんだよ、トラおじちゃん。


 そんなわけで。

 その勝負、みやびも参戦と相成りました。



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