ヘル・クラフト
佐藤謙羊
第1話
ヘルロウの周囲では、怒号が飛び交っていた。
いつもと変わらぬ白亜の学び舎、そして教室であったはずなのに……。
まわりにいるクラスメイトたちだけが、何かに取り憑かれたように豹変し、ヘルロウを弾劾したのだ。
「ヘルロウ君から『クラフト』してもらったグローブをはめていたら、手が
「ヘルロウ君が『クラフト』した鉛筆を使ってたら、いきなり折れて、破片が目に入ったの! 大好きな絵が描けなくなって……とっても悲しいです!」
「今日、先生がお休みになっているのも、ヘルロウ君のせいだと思いますっ!」
昨日まではあれほど、ヘルロウの作ったものに笑顔を見せていた彼らに、その片鱗はない。
むしろ今は、悪魔を見るかのようであった。
「静粛に」
教壇に立っていた少年、彼が発したのはささやきのような一言だったが、それだけでクラスはピタリと静まりかえる。
彼はこの教室の中では、誰よりも白く、誰よりも翼を抱く資格があった。
制服である白いキトンは、後光を放つほどの輝きを讃え、まさに天使……。
いいや、天使を通り越し、神にもっとも誓い存在といえるほどに、美しかった。
女性的ともいえる端正な顔立ちは、誕生したばかりのヴィーナスのような憂いを帯びている。
彼は、白木の槌をゆっくりと振りかざしながら、雲の上にいるかのように、下々を見渡す。
「……この『還りの会』は、『天使中学校』にいる私たちが、学校生活をより良くするために設けられている会議です。良きことをした場合は褒め称え、逆に良くないことをした場合は叱責をし、またある時には罰します。なぜならば我々天使には、強い自浄作用が求められているので、それを養うためなのです」
そして、ひとりだけ立たされている少年のところで視線を止めた。
彼はこの教室の中では、誰よりもくすんでいた。
制服である白いキトンどころか、翼すらもペンキで汚れている。
この色のない教室において、ひとりだけ色彩を持ったかのような、異端極まりない存在。
「しかしこれほどまでに、クラスメイト全員からの多大なる告発を受けた生徒など、ヘルロウ君……。この学校が始まって以来、キミが初めてでしょうね。この後にヘルロウ君のような者を
「ま、待て……! 待ってくれ委員長! これは、何かの誤解だっ!!」
「ヘルロウ君、『天国法』まで忘れてしまいましたか? 論議ノ章、第3094条、『他人ガ発言ヲシテイル時ニ、遮ッテハナラナイ』。違反した場合は、失点1を加算し……」
「な……なら、僕にも申し開きをさせてください! このまま処罰が下されるなんて、あんまりです!」
「それはできません。なぜならば、間もなく楽しき下校時間だからです。『天国法』下校ノ章、第725968条、『下校時刻ヲ過ギテ、学校ニ残ッテイテハナラナイ』。違反した者は残留1秒につき、1失点を加算するものとする」
『委員長』と呼ばれた白き少年の一言によって、ヘルロウにかかる周囲からの無言の圧力はさらに重くなる。
下校時刻を過ぎた場合、1秒ごとにクラス全員に失点が加算されることになるからだ。
「くっ……!」と歯噛みをしつつ、言葉を押し込めるヘルロウ。
「わかってくれたようですね。では、厳格なる判決を言い渡します。ヘルロウ・ヘヴンハンドラー君。キミは、自身が『クラフト』したものをクラスメイトたちに配り、学園生活をより良いものにしようとしていました。その働きは一定の評価を得ていたようですが、しかしまさかその裏に、クラスメイトたちを貶め、自分の成績を上げるための意図が隠されていたとは……」
「ち……違うっ! 僕はみんなのためを思って……!」
「ヘルロウ君のクラフトした品を受け取ったクラス全員が、多大なる被害をこうむり、こうして苦情を申告している以上、そのような釈明は成立しません。よって、ヘルロウ君は……」
そして振り下される、
「
そして振り下ろされる、
それが振り下ろされれば、
「やっ……やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
ガコォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
立て続けに、ヘルロウの立っていた床が、落とし穴のようにパカッと開く。
ガコォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
「うっ……うゎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ヘルロウ少年は、学校の地下にある懲罰室へと送られた。
それから天国じゅうを7日間に渡り、引き回しにされた。
そのあと地上に落とされ、同じ責苦を70日間受けた。
今までヘルロウに跪いていた地上の人々は、手のひらを返したように罵り、石を投げつけてきた。
「ヘルロウ様……いいや、ヘルロウが『クラフト』したものは、すべてが害悪を及ぼすものだったんだ!」
「ええ! ヘルロウの『クラフト』したものを、何も知らずに使われていた天使様たちの、なんとおいたわしいお姿……!」
「俺たちもすぐにああなっちまうぞ! 天使様であれじゃ、人間の俺たちはひとたまりもねぇ!」
「悪魔だ! ヘルロウは、天使の皮を被った悪魔だったんだ!」
「燃やせ! 捨てろっ! 悪魔の異物を焼き払い、ヘルロウのすべて地上と天国から一掃するんだっ!」
最後は彼らの手によって担ぎ上げられ、地獄に繋がるとされている火山へ、まるで粗大ゴミのように投げ捨てられた。
ヘルロウ、堕つっ……!!
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○
ヘルロウ
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奈落の底へと落ちていく少年に、もはや悲鳴はなかった。
2ヶ月以上も痛めつけられたせいで、意識不明となっていたのだ。
太陽に特攻していくように、灼熱に向かって小さくなっていくその姿。
それを最後まで見送っていたのは、他の誰でもない、彼に裁きを下した人物であった。
天使中学校において、誰よりも高潔であるといわれる彼は、ひとりつぶやく。
「堕天した天使は、絶対に助かりません。なぜならば、かつて天使であったものが厳格なる処罰を受け、意識不明となった場合、意識を取り戻すためには水を与えられなければなりませんから。地獄において、他人に水を施すような仁厚なる人物がいるはずもありません。ですがもし彼に奇跡が起きて、地獄にある川や池などに着水し、水を得られたとしても……結局は同じことです」
そして、
「いいえ、もっと悲惨なことになるでしょうね。きっと彼の生涯において、最も苦しい思い出となった77日間の刑罰よりも、ずっと苦しく、永遠ともいえる責苦が待っていることでしょう。なぜならば地獄に堕ちた天使が生きながらえた場合、地獄に棲む者たちの格好の玩具となるでしょうから」
最後は、唇だけが静かに動く。
「それでも私は、荘厳なる奇跡が起こることを望みますが……ね」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
天国から地上、そして地上からも落とされてしまったヘルロウ。
……ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!
その日、地獄には噴火のような土煙が、高く高く吹き上げていた。
ヘルロウは大の字の形で、仰向けに地面にめり込んでいた。
周囲は霧のたちこめる河原で、周囲に人気はない。
このまま誰からも気付かれず、そして水を与えられることがなければ……。
少しずつ彼の姿は朽ちていき、やがては木が土に還るように、この世から完全に消滅する。
しかし、ある少年の願いが通じたのか、『奇跡』は起こった。
……そっ。
と唇にあてがわれた潤い。
ヘルロウは意識不明であったが、生を求めるようにそれに吸いつき、口に含んだ。
……こくり。
と喉を鳴らして飲み込むと、ヒビ割れかけていた大地に染み込むように、精気が戻ってくる。
「う……ううっ……!」
水底から這い上がるように呻きながら、ヘルロウが瞼を開けると、
「気がついたんですね。よかった」
ひとりの少女と目が合う。
それが少年に与えられた、天使からの、最後の『奇跡』であった。
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