〈 閑話 〉チューバに恋せよ元球児
※本話はナツの友人ルイ視点で物語が進みます。
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放課後の校舎はまだ4月だというのに、息苦しい熱を含んだ空気で俺を包み込もうと躍起になっているようだ。
今日が特別暑いのだろうか。廊下の窓が十分に空いていないのだろうか。それとも、俺の集中力が切れているから暑さばかり気になるのだろうか……
気がつけば、高校に入学してもう2週間ほど経っていた。
今日も俺は、多くの部活を見学するため、校舎の中をさまよい歩いている。
俺は未だに、どの部活に入るか決めかねているのだ。
♢♢♢♢♢♢
俺は小さい頃から野球が好きで、中学3年生になるまで、ずっと野球に打ち込んできた。
でも、中学生最後の大会の前に、俺は足を負傷してしまったんだ。
日常生活には差し支えないが、今でも全力で走ると痛みを感じる。
だから野球はスッパリと諦め、何か文化系の部活に入ろうと思い、いろんな部活を見学しているのだが……
俺はまだ、野球と同じような情熱を向けることが出来そうな部活を見つけられずにいた。
♢♢♢♢♢♢
理科室で科学部の活動を見学した後、廊下に出てみると——
楽器の音が聴こえてきた。吹奏楽部が練習しているのだろう。
どうやら音の出どころは一ヶ所ではないようだ。
校舎のいたるところで、いろんな楽器の演奏をしているんだな。
「今頃、ナツも楽器の練習をしてるのかな」
俺の口から、ひとりごとが漏れた。
ナツというのは、小学校から中学校まで、地域の野球チームで一緒にプレーしていた女子のことである。
ただ、ナツは中学2年で野球を辞めたため、違う学校に通っていた俺たちは、その後中学を卒業するまで顔を合わせることは一度もなかった。
ナツがチームを去った時、俺の心にはポッカリと穴が空いたようだった。
そして俺は気づいたんだ。
俺はナツが好きだったのだと。
高校に入学して数日後。
選択授業の教室で、俺はナツと再会した。
ナツが同じ高校に入学していたと知ったとき、俺は本当に嬉しかったんだ。
ナツは入学式当日、はやくも吹奏楽部への入部を決めたそうだ。
俺も吹奏楽部に入れば、またナツと一緒にいられるのかな。
そんな思いが俺の心の中にはあったのだが……
でも、そんな不純な動機で吹奏楽部に入部していいわけがない。
一度、吹奏楽部を見学させてもらった時、部員たちの真剣さに驚いたものだ。
部員一同、夏に行われる吹奏楽コンクールの全国大会出場目指して、一生懸命練習していた。
♢♢♢♢♢♢
ナツや吹奏楽部のことをボンヤリ考えながら、一人で校舎を歩いていると——
「おい、ルイ。お前、何やってんだ?」
ひとりの女性に声をかけられた。
声をかけてきたこの女性のことを、俺はサチさんと呼んでいる。
サチさんは野球チームの元先輩で、今はナツと同じく吹奏楽部に所属している。
後輩思いの良い人なんだけど、ちょっとガラが悪いのがたまにキズだ。
「サチさんこそ、何やってるんですか? 吹奏楽部の練習はもう始まってると思いますけど?」
「…………職員室に呼ばれてたんだよ」
詳しく聞かなくても、理由はなんとなくわかる気がする……
「あたしのことは、別にどうだっていいんだよ! あたしは、お前が何やってんのか聞いてんだよ!」
「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか…… いろんな部活の見学に回ってるだけですよ。でもなかなか、コレっていうのが見つからなくて…… 高校でも、何かに打ち込んでみたいんですけどね 」
ためらいがちに、俺は口を開いた。
「え? お前、吹奏楽部に入るんじゃないの? あたしはそのつもりでいたんだけど?」
「ちょっと、なんでそうなるんですか?」
「だってお前、ナツのことが好きなんだろ? 吹奏楽部に入れば、毎日ナツと一緒にいられるじゃないか」
「ちょ、ちょ、ちょっと! 急に何言ってるんですか! お、俺は別にナツのことなんて……」
なんとなく、ナツに対して抱いている気持ちを口にするのは恥ずかしい。
俺は慌ててサチさんの言葉を打ち消すが、当のサチさんは、俺の言葉などおかまいなしといった様子で話を続ける。
「お前、わかりやすいんだよ。小学生の頃から、ずっとナツのことばっかり見てたじゃないか」
あれ? そうだったのか? 自分では自覚がなかったんだけど……
「まあ、恥ずかしいんなら、ナツには黙っておいてやるよ。まったくルイはウブなヤツだな」
「別にナツのことが好きとかそんなんじゃなくて…… ほら、ナツは面白いヤツだから、一緒にいたら楽しいんですよ。でも、そんな理由で吹奏楽部に入部するなんて、なんか一生懸命練習してる部員の人たちに失礼かなって思って……」
自分でも歯切れの悪いことを言っている自覚がある。そんな俺の様子をじっくりと見たサチさんは、俺に向けて次の言葉を放った。
「じゃあ、ナツのことは置いておくとしようか。でもお前、この前吹奏楽部の見学に来た時、スッゲー真剣な顔してあたしたちの合奏を聴いてたじゃないか。あの顔、お前が野球の試合で見せてた顔とおんなじだったぞ」
「それは、サチさんたちの演奏がスゴかったからですよ。先輩たちの一生懸命さにも驚かされましたし。正直言うと、俺もやってみたいと思いましたよ…… でも俺、楽器なんて触ったことなんてないですから……」
「ふっ、いいかルイよ。人間誰しも最初は楽器初心者なんだ」
「でも、サチさんやナツは中学の頃、野球と掛け持ちで吹奏楽もやってたじゃないですか」
「うっ…… い、いいかルイよ。人間誰しも、その…… 最初は楽器初心者だったりするっていうか……」
「それ、さっきも言いましたよ? ひょっとしてその台詞、気に入ってるんですか?」
「ああもう、お前は本当にウジウジしたヤツだな! あたしが言いたいのは、別に高校から楽器の演奏を始めてもいいじゃないかってことだよ!」
「レベルが違い過ぎますよ……」
「ふっ、人間誰しも——」
「もう、それいいですから」
「なんだよ! 3回目だから、ちゃんとオチを考えてたのに!」
「知りませんよ」
「お前、ホント面倒くさいヤツだな。お前の話を聞いてると、本当は吹奏楽部でアツく活動してみたいけど、なんだかナツにカッコ悪いトコ見られるのが恥ずかしいから、入部をためらってるように見えるぞ」
「そ、そんなことは……」
「『楽器の演奏技術においてナツと実力差のあるボクチンなんて、ナツにきっと相手にされないだろうな、ウジウジ……』ってことなんだろうな」
「……相変わらずサチさんは、人をイライラさせる話術に長けてますね。まあ、確かにそういう気持ちがまったくないかと言われたら……」
なんだろう。サチさんに言われてみて、初めて自分の気持ちに気づいたような気がした。
確かに俺は、自分の無様な姿をナツに見られることを、恥じていたのかも知れない。
「まったくお前は面倒くさいヤツだな。じゃあ、お前は今日からナツのことは忘れてチューバに恋をしろ。そしてチューバと相思相愛になるため、一生懸命努力するんだ」
「ちょっとサチさん、何言ってるんですか?」
チューバとは、サチさんが担当している楽器の名前だ。重さが10キロほどあるという。持ち運ぶだけで、体力を使いそうな楽器だ。
「お前、筋力もあるし、肺活量も多いだろうから、きっと大型楽器のチューバに向いてると思うぞ?」
「そう言われてみれば…… 吹奏楽部には男子が少なかったけど、チューバ奏者には男子がいましたからね」
「それにお前は野球をやってた時のようなやりがいを求めてるんだろ? 吹奏楽部は『体育会系文化部』なんて呼ばれてるぐらい、アツい連中が多いんだ。お前もこの前、見学に来たときに見ただろ? お前にはピッタリの部活だと思うんだけどな」
「練習中の先輩たちの様子は、本当に気合が入ってるというか、すごく集中してましたよね」
「ああ、そうさ。それにお前はクソがつくほど真面目な性格してるんだ。本気でクソほど練習したら、きっとすぐにクソ上手くなるさ」
「サチさん…… 流石にちょっと下品ですよ」
「うっせえな! まだ続きがあるんだよ。いいか? それでお前が一人前のチューバ奏者になったその時、お前はそのままチューバに恋し続けるもよし、ナツに告白するもよし、お前の自由だ!」
「な、なんでそうなるんですか! 俺は別に……」
「ああ、もう面倒くせえぞ、ルイ! ウチの吹奏楽部にはまだ余ってるチューバが何台かあるから、今すぐお見合いに行くぞ! それで気に入ったチューバを恋人にしやがれってんだ! さあ、今すぐあたしについて来い!」
そう言って、サチさんは俺の腕をつかむと、強引に音楽室目掛けて歩き出した。
まったくサチさんの言ってることは、相変わらずムチャクチャだ。
でも、やっぱり付き合いが長いだけあって、俺のことをよくわかってくれていると思うよ。
吹奏楽部を見学した時、俺は先輩たちの真剣に練習している様子を見て、心がアツくなった。それに合奏練習のときなんかは、先輩たちが奏でる音を聴いて、本当に心が揺さぶられたんだ。
そんな俺の様子を、サチさんはちゃんと見ていてくれたんだな。
サチさんの言う通り、ナツへの気持ちはとりあえず置いておいて、チューバに恋をしてみるのもいいかも知れない。
俺は本気でそう思った。
そして——
俺が一人前のチューバ奏者になったら……
その時は、ナツのことをもう一度考えよう。
そして——
やっぱりチューバよりナツの方が好きだと思ったら……
その時は、ナツに俺の気持ちを伝えよう。
よし、俺は吹奏楽部に入るぞ!
楽器の演奏なんてやったことないけど、今から猛練習して、上手くなればいいじゃないか! 野球だって、最初から上手かった訳じゃないんだから!
そう言えば、吹奏楽部の先輩たちが目標にしていた『全日本吹奏楽コンクール全国大会』のことを、『吹奏楽部の甲子園』と呼ぶ人もいるらしい。
もう野球で甲子園を目指すことはないけれど、ナツやサチさんと一緒に、俺たちにとっての『甲子園』を目指すっていうのも、なんだかワクワクしてくるじゃないか!
よし! それじゃあ、とびっきり美人のチューバを選ぶとするか!
気がつけば、校舎の熱気に負けないほど、俺の心はアツく燃え盛っていた。
そんな俺の心を知ってか知らずか、サチさんは笑いながら俺に言葉を向けた。
「まあでも、本気でチューバに恋したら、きっとナツよりもチューバの方が大切になると思うけどな」
なんだろう、なぜだかサチさんがとてもカッコよく見えた。
「じゃあ、サチさんはチューバに恋してるから、カレシがいないんですか?」
俺は今のアツい気持ちをサチさんにぶつけた。
するとサチさんは——
「…………単にモテないだけだよ」
「……………………なんか、すいませんでした」
やっぱり、サチさんはサチさんだった。
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