噂の麗人、清風先輩
部活見学期間が始まってから、5日ほど経った春うららかな部活日和の昼下がり。
只今アタシは、音楽準備室前の廊下に突っ立っている。
準備室にある楽器を取り出しておくようサチさんから頼まれたんだけど、鍵がかかっているため中に入れないのだ。
アタシってば新入部員なもんで、こういう時どうしたらいいか、よくわかんないんだよね。
仕方ない、ここは鍵を持っている先輩が現れるのを待つことにしよう。
アタシと同じような理由で、同く新入生の武者小路さんも廊下に
「ねえ、武者小路さん。武者小路さんは中学の時から、ずっとトランペットを吹いてるんでしょ? いいなぁ」
「『トランペットがいいなぁ』って、それはどういう意味ですの?」
武者小路さんが不思議そうな顔をしている。
武者小路さんは中学1年の頃からずっとトランペット一筋らしい。だからアタシはちょっと
「だって、トランペットって楽譜見なくても、『直感』で吹けるんでしょ?」
「え? あなた、なにを言ってるのかしら?」
「だって、トランペットって、『直感』楽器って言うじゃない」
「ハァー…… このおバカはまた変なことを言い出して……」
「え、違うの?」
「あなたは
「え、違うの?」
「違います。真っ直ぐな管と書いて『直管』です。トランペットやトロンボーンは、他の楽器のように管が曲がっておらず真っ直ぐな管でできている、そう言う意味で『直管』楽器と言うのです」
「え、そうなの? アタシはてっきり、スっごい感性の持ち主が『直感』で吹く楽器だとばかり思ってたよ」
「まあ、もちろん感性は大切ですよ。あなたはよく、
あっ、武者小路さんがちょっとムッとした。
清風先輩崇拝者の武者小路さんは、アタシが清風先輩に褒められるとキモチ焼くんだよね。
仕方ない。ここは細やかな気配りが出来ると評判のこのアタシが、ひとつフォローでも入れてあげようじゃないか。
「でも、武者小路さんだって、清風先輩から『勘が良い』って褒められてたじゃない」
アタシがそう言うや否や、武者小路さんは——
——ガシッ!!!
興奮した様子でアタシの両肩をガシリとつかみ、そして——
「もう、嫌ですわナツさんったら! あなた、よくご存知ですのね! ええ、私、僭越ながら、トランペットパートで一緒に練習させていただいた際、清風先輩に、とてもお褒めいただいたのです!」
「わ、わかったから、肩から手を離してよ。ち、ちょっと、痛いってば!」
「こ、これは申し訳ありません。私、トランペットの話になると、つい、我を忘れてしまうもので……」
それ、トランペットの話じゃなくて、清風先輩の話でしょ? この人、どんだけ清風先輩のこと、好きなんだか。
「私、
武者小路さんは、会話の中でちょいちょいアタシに対して黒いワードを忍ばせてくる。まあいいや、それで?
「——合奏中に、他の楽器の音をよく聴いて、今どのように吹けば良いか『観察』し、瞬時に判断しているという意味での『直観』で…… って、ちょっと、ナツさん! 私の話、ちゃんと聞いてますか!?」
「……その話、長くなりそう?」
「…………ハァー。もういいですわ」
何か大切なことを諦めたような表情の武者小路さん。でも、武者小路さんって、しょっちゅう興奮してるんだよね。アタシは心配になり武者小路さんに声をかける。
「もう、武者小路さんってば、そんなに興奮したら鼻血出るよ?」
「…………私はあなたと違って、小学生ではありませんのでご心配なく」
「え? なに言ってんの? アタシ達、同級生だよ?」
「…………ハイハイ、そうでしたね。私達は同級生ですね。これでよろしいかしら?」
こんな感じで、アタシ達がとても楽しげな会話をしていたところ、向こうの方からこちらへと近づいてくる人影が見えた。おお! あれは今、アタシ達が噂している、
「こ、これは
少し頬を赤らめている武者小路さんが先輩に挨拶した。
「あ、清風先輩。コンチャっす」
いつも頬を緩めているアタシも先輩に挨拶した。アタシは顔に締まりがないことでも有名なのだ。
「やあ、夏子に篤子。なんだい、君たち。君たちはとても仲がいいんだね。遠くから見てると、まるで愛を語り合っているかのように、ボクには見えたよ」
先輩は自分のことを『ボク』って言うんだけど、先輩がそう言うと、とても自然に聞こえるから不思議だ。
美人でカッコいい先輩の周囲からはいつも『お姉様、素敵!』という声が聞こえてくるのだ。
それにトランペットの演奏技術は、そりゃもう、『アンタ、プロですか?』と言いたくなるほどスゴイのだから、武者小路さんを始めとして多くの後輩女子が憧れるのも
ただ…… 少し天然なところもあるとの噂もあるのだが……
「あ、愛を語り合うだなんて…… そんなこと……」
武者小路さんがなにやらモジモジし始めた。また心配になったアタシは武者小路さんに声をかける。
「どうしたの武者小路さん、モジモジしちゃって? あっ、わかった! ウンコしたいんだ! でもゴメンね。アタシ、ティッシュ持ってないんだ」
「このおバカ! そういうことじゃないでしょ! アナタ本当に小学生じゃないの! ってあれ? わ、私、なんてはしたないことを……」
「いいんだよ、篤子。本音を言い合える関係って素晴らしいと思うよ」
「
清風先輩は、武者小路さんの扱いを、よく心得ておられるようだ。
「それで? 二人はなにを話してたんだい?」
「その、ナツさんが感性豊かで
え? なに言ってんの? アンタさっき、アタシがボーっとしてるとか、なにも考えてないとか、黒いこと言ってたくせに。
コイツ…… こんなささやかな会話の中でさえ、清風先輩に取り入ろうとしてやがる……
先輩がアタシの感性を評価してるからって……
恐るべし武者小路篤子。
感性という言葉にビビッときたのか、今度は清風先輩が少し興奮気味に話し出した。
「ああ、まったくその通りだね! 夏子は金管楽器が『ズドーン』って聴こえて、『バーン』って感じになったと言ってたね。それに、ボクのトランペットは『ドキューン』って聴こえたとか。こんな感性豊かな表現、ボクは初めて聞いたよ」
そう、この先輩は勘違いしているのだ。アタシは感性が豊かなのではなく、単に語彙力が足りないだけなのだ。
「嗚呼、そんな感性豊かな夏子には、是非トランペットを吹いて欲しいんだけどね」
あーあ。先輩がそんなことを言うから、また武者小路さんが不機嫌な顔になったじゃないの。
仕方ない。ここは気配りが出来て…… えっと、あとなんだっけ? まあ、いいや。
「もう、先輩ってば、買いかぶりですよ。アタシにトランペットなんて向いてませんよ」
「なにを言うんだい、夏子! トランペットはとても感性が求められる楽器なんだ!」
「はあ…… でも、トランペットに限らず、どんな楽器でも感性は必要じゃないんですか?」
「ふふっ、夏子はわかってないね。だって言うじゃないか!」
「なんと言うんですか?」
「トランペットは『直感』楽器だって!」
「え?」
…………やはり噂は本当だったようだ。どうやら、
「流石、
…………ウチの高校の吹奏楽部には、アタシを含めてバカと天然しかいないのだろうか?
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