家に帰って

 アタシは今日、正式にウチの高校の吹奏楽部でオーボエを担当することに決まった。

 なんだか雰囲気に流されたような気もするんだけど……


 でも、もう決めたことだ。明日からアタシはウチの吹部唯一のオーボエ奏者として頑張って行くんだ!


 ただ…… アタシは家に帰ってからも、なんとなく家族にオーボエの話を切り出せないでいる。特にお母さんには……


 そんなこんなで、もう夕食の時間も終わりに近づいてきた。アタシは今、両親と妹のカナデとハルと一緒に食卓を囲んでいる。ああ、もう! こんなんじゃ、キリがない。そうだ、さりげなく言おう。何気なく言って、よくある夕食時の一コマにしてしまおう。


「あのさあ、アタシ、オーボエ担当することになったんだ。じゃあ、ご馳走さま。今日もお母さんが作ったご飯、おいし——」


——パタン


 ……お母さんのお箸が床に落ちる音がした。


「も、もう一度言ってくれる?」

 心なしか、お母さんの声が震えているような気が……


「い、いやだなあ。そんなにたいしたことじゃないよ。なんか、うちの高校の吹部って、オーボエ吹く人がいないんだって。それでアタシが担当することに、うっ、ぐおっ!」


 気づけば、アタシはお母さんに抱きしめられていた。


「ああー! ナツ、アンタはなんていい子なの!!!」

 絶叫するお母さん。


「おい、ナツが苦しそうだから、やめ——」

 お父さんが止めに入るが……


「アナタは黙ってて!!!」


「お、おう」

 黙らされてしまったお父さん……


「ちょっとお母さん! ハルが怯えてるよ」

 アタシはお母さんの抱擁からなんとか抜け出した。



 うちのお母さんは、高校時代吹奏楽部でオーボエを吹いていた。お母さんはオーボエのことになると、まるで知らないヨソのおばさんのようになるのだ。


「アナタ、ちょっとハルの面倒みてなさい」

「お、おう」


「ねえ、ナツ。明日早速、専門の楽器屋さんに行きましょう。ナツにあったいいオーボエを探しましょうね。それから私がちゃんとリードを選んであげるからね」


「お、おい。なにもそんなに急がなくてもいいだろう? 第一、カネはどうするんだよ?」

 オロオロした様子のお父さんが声を上げるが、

「ん? 貯金を下ろしますけど何か?」

と、お母さんに一蹴されてしまった……


「おい、ちょっと待てよ。この前、カナデに買ってやったばかりだろ? 姉妹共用にすればいいじゃないか」

「……アナタは高校時代、二人で一つのグローブを使ってたの?」


「いや、グローブと楽器じゃ値段が——」

「はあ…… もういいわ」


 そう言って電話口に向かうお母さん。


「私がハルの面倒みてるから!」

と、カナデが声を上げると、ハルを連れてサッサと自分の部屋へ非難して行った。


 電話に向かって話をしているお母さんはというと——

「ああ、もしもし母さん? 私だけど。ねえ、聞いてよ! ナツがね、ナツが高校の吹奏楽部でオーボエを吹くことになったのよ! 私達の夢を引き継いでくれるって言うのよ!」


 いや、そんなことひとことも言ってないんですけど…… 電話の相手はおばあちゃん。元オーボエ奏者だったおばあちゃんとお母さんは、固いオーボエ愛の絆で結ばれているのだ。


「それにね、先輩にも同級生にもオーボエを吹く子がいないんだって。ええ、そうよ、今年からAメンバー確定よ! もう、名古屋のセンチュリーホールに行ったも同然よ!」


 いや、それはなんとも言えないんですけど……



「なあナツ、その名古屋のなんとかホールってのはなんだ?」

 疲れた様子のお父さんが疲れた声で尋ねてくる。とにかく疲れてるみたいだ。


「高校野球で言ったら、甲子園みたいなもんだよ。吹奏楽をやってる人達の憧れの舞台なんだ」


「ふーん。で、ナツんトコの学校、そんなに強いのか?」

「強いってか上手いよ。四国支部からは2校が全国大会に進めるんだけど、去年は支部大会で3番目か4番目ぐらいの点数だったって聞いてるよ」


「じゃあ、お母さんがあんなに興奮するのも無理ないか……」

「そうだね…… なんだかとんでもない高校に入っちゃったみたい」


「でも、お前本当にレギュラーになれるのかよ?」

「レギュラーっていうか、Aメンバーね。うーん…… 野球で言うと、ピッチャーが誰もいない高校に、たまたまピッチャーの経験がある新入生が入ったって感じかな」


「そうか…… 誰でもピッチャーができるわけじゃないからな。だからレギュラー確定なわけか。でも、来年上手な子が入ってきたらどうなるんだ?」


「そりゃあ、Aメンバーから外されると思うよ。オーボエ奏者はピッチャーと似てて、55人中だいたい一人か二人いれば十分なんだよ。まあ、演奏する曲にもよると思うけど…… でもウチの高校は金管楽器に上手い人が多いんで、やっぱり木管楽器のオーボエは、一人になるような気がするね」


「そうか、ポジション争い厳しそうだな…… なあ、ナツ。それならレギュラーになれる可能性が高い楽器を選ぶってのは——」


「ちょっとアナタなに言ってんの! ナツはもう野球を辞めたのよ! アナタは私のナツにかかわらないでちょうだい!」

 冷たく言い放つお母さん。おばあちゃんと電話中のお母さんだったが、お父さんの発言が耳に入ってきたようだ。


「かかわるなって、俺、ナツの父親なんだけど……」


「ええ、じゃあ、明日娘3人連れて、そっちに行くわ」

「お、おい、いつのまにそんな話になったんだよ!」

 焦るお父さんの姿が涙を誘う。


「ナツにオーボエをやらせない亭主なんて人間として認めないから、実家に帰って来いって」


「ちょ、ちょっと待てよお母さん!」

 アタシは慌ててお母さんに向かって叫ぶ。いつの間にそんな話になったんだよ!


「なんでアタシがオーボエ吹いたら、家庭が崩壊すんのさ!」

「そ、そうだ、ナツの言う通りだ。オーボエはなんとかするから、とりあえず、落ち着いて話し合おう」



 とりあえず、実家に帰るのは見合わせることにして、明日おばあちゃんが我が家へ来ることになったそうだ。おばあちゃん、関西に住んでるのに大丈夫なのか? お盆やお正月でもないんだよ?


 まあなんとなく、こんな感じになるだろうとは予想してたんだけど。仕方ない、アタシは出来るだけ冷静に、お母さんに向かって話しかける。


「オーボエを買うかどうかはまた今度じっくり考えようよ。音楽準備室にあったオーボエを見たんだけど、スっごく綺麗だったよ。なんかつい最近買ったらしいから。オーボエ奏者はアタシ一人だから、とりあえず来年まではアタシ専用なわけだし」


「……わかったわ。明日おばあちゃんが来ることになったから、とりあえず、明日はリードを買うだけにしておきましょう。リードの取り扱いが多い専門のお店に行きましょうね」


 このリードってヤツが、これまた結構いいお値段がするのだ。

 ちなみにリードとは、楽器の音を鳴らすための発音源になる薄片で…… まあ、要は口と楽器の間にあって、直接口に触れる部分のことだ。コイツは薄いもんで、長く使ってると破れるんだ。まあ、消耗品だね。でも、コイツの良し悪しでオーボエの音色やら何やらが変わってくるから困るんだよね。まあいいや、とにかく話を戻そう。


「え? 明日ってアタシが帰って来る時間には、たぶんお店閉まってるよ」

 だから諦めてね、お母さん。


「お母さんが顧問の先生に電話しておくから、明日は部活休んで早く帰って来なさい。いいえ、時間がもったいないから、おばあちゃんと一緒に学校の前で待ってるわ」


「近所の楽器屋さんで買うからいいよ」


「…………夏子。あんた、オーボエをなめてんの?」

 お母さんのスゴみの利いた低い声が部屋中に響き渡る。


 怖い…… これだよ、これがあるからオーボエやりたくなかったんだよ。

「わ、わかったよ。でも、自分で先生と先輩に言うから、電話なんてしないでね。カッコ悪いよ」


「なあ、ナツ。お前が本気でオーボエをやりたいって言うんならお父さんも反対しないぞ。お父さんの小遣いを減らしてでもオーボエを買ってやる。だからちゃんと教えてくれないか? なんでまたオーボエやる気になったんだ? 小学生の時、もうオーボエなんか絶対やらないって言ってたし、中学で吹奏楽部に入る時も、わざわざ別の楽器を選んだじゃないか」


「ふっ、道を作るんだよ、お父さん」


「は?」


 アタシは、今日、清風きよかぜ先輩から言われたことを話した。


「それでさ、アタシはそこから一歩進んで、音楽の先生になるのもいいかなって思ったわけよ。それなら、後輩達にもっといっぱい伝えることができるじゃない、って、あれ? どうしたのお父さん?」


 お父さんは体が上下に揺らしながら——

「うおおおーーーーん! ナツ、お前いつの間に、そんな立派なこと言うようになったんだ!」

 もう…… 泣くことないじゃない……


 お母さんもハンカチで顔を覆いながら——

「ウッウッウ…… バカな子だと思ってたのに、立派に成長して」


「母さん、明日オーボエを買いなさい! なんなら借金してもいいぞ!」

 お父さんが叫ぶ。


「ええ! それからその先輩をご招待して、我が家の全力をあげておもてなししましょう! そうだわ! ついでにその先輩の楽器も買ってあげましょうよ!」

 お母さんも叫ぶ。


「流石は母さんだ! いいこと言う!」

 またお父さんが…………


「いい加減にしろよ! オーボエは買わなくてもいいって言ってんだろ!」


 以前、我が家の両親をよく知る野球チームの監督は、二人のことを激情家だと言っていた。

 あの二人の子どもだもの、お前が異様にアツイのは仕方ないさ、と苦笑いしていたのを思い出す。監督の言ってること、正直言って子どもの頃はよくわからなかった。でも、今日はっきりわかった。

 下手したら、我が家は借金で崩壊するかもしれない……

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