第9話 嘘③


 八畳間の一室で、西園寺幹久は三人の女性を前に正座していた。

 ピンっと背筋を伸ばして正座する幹久の額には、じんわりと汗が滲み出る。季節が夏だということもあるだろうが、それだけが理由じゃないことは幹久自身わかっていた。


 この部屋の空気がとてつもない重圧となって幹久にのしかかっているのだ、それこそ滲み出る汗の大きな原因だった。



「もう一度だけ聞くよ。あんたはどこの誰で、何故この部屋にいたんだい?」



 老婆の質問に、幹久は答えられずにいた。

 昨日も同じ質問を月陽からされた時と同様、本当のことを話せなかったのだ。



「えっとね、おばぁちゃん。幹久は……」


「アタシはこの男に聞いているんだよ、月陽は黙ってな!」


「うぅ、はい……」



 沈黙に居た堪れなくなり声を挟んだ月陽だったが、見事に跳ね除けられる。

そのやり取りを目の当たりにした幹久は、彼女達の関係を把握しつつあった。


 今この場にいる老婆は何者なのか、それは明白だった。

 旅館の若女将である月陽が彼女のことを『おばぁちゃん』と呼んだ、つまりこの老婆は月陽の肉親である。それはこの旅館で権力を持つ月陽より立場が上だということ。月陽が若女将と呼ばれていることから、本当の女将がいてもおかしくはない。おそらくあの老婆こそが、この旅館の本当の女将なのだろう。



「どうして、何も言わないんだい? 耳も口もちゃんと付いてるんだろう?」


「言えないから……です……」


「言えない? 何故言えないんだい?」


「それは……」



 幹久は咄嗟に言葉を濁す。なんて答えればいいのか、わからなかったからだ。

 昨夜のことを踏まえてずっと考えていたが、幹久には彼女達を上手く誤魔化せる方法をどうしても見つけられなかった。



「もしかして……、ご自分の記憶が思い出せないんじゃないでしょうか?」


「「「え?」」」



 ポツリと呟いた花梨の一言に、幹久を含めた三人が同時に同じ反応を返した。



「記憶が無いって、花梨……それはどういうことや?」


「言えないんじゃなくて、言うことができないんじゃないかって思ったんです。考えてみたら、西園寺様を見つけたあの時だってただ事じゃない様子でしたし……」


「……あんた、そうなのかい? 自分の記憶が無いのかい?」


「いや、えっと……その……。…………はい…………」



 話が思わぬ方向へ転び始めていたが、幹久はコレを機転に返事をしてしまう。


 記憶喪失、その手があったかと気づかされたのだ。


 この方法なら、自分が理由を話せないのだって上手くいけば誤魔化せる。そして記憶喪失を口実にこの場をやり過ごせる、幹久の頭はそう瞬時に判断した。



「記憶喪失かぁ~、それじゃあ何もわからんわけや。でも、それならそうと早う言って欲しかったわぁ~」


「無理もないですよ、あんなにボロボロでお腹も空いていたんですし。西園寺様自身も、きっと戸惑っていたんですよ」



 月陽と花梨は、幹久が記憶喪失だということに納得した様子だった。

 幹久としても彼女たちを騙していることに多少なりとも罪悪感は抱いていたが、そこはグッとこらえ目を瞑ることにした。



「でも、記憶が無いなんて困ったねぇ……。月陽、今すぐタクシーを呼んどくれ、一度病院へ連れて行って診てもらうように……」


「い、いや大丈夫です! もう体はこの通りで、足だって大分マシに……」


「マシに言うても、頭の方は診てもらった方がえぇんやないか……」


「大丈夫だって、本当に……。それよりほら、俺みたいな得体の知れない、素性もハッキリしない奴をいつまでもここに置いとくわけにはいかないだろ? 旅館だって忙しそうだしさ、そろそろ俺はお暇させてもらうよ」



 このままでは本当に病院へ連れて行かれてしまいかねないので、少し強引だったが幹久は話題を変える。そしてこの場を離れようと痺れかけた足でゆっくりと立ち上がった。



「……後のことはアタシとこの男とで話をするから、二人は仕事に戻りな」



 しかしその幹久を静止させるかの様に、老婆が口を開いた。



「で、でもおばぁちゃん。ウチ、幹久のこと気になって仕事どころやないよ!」


「わ、私もです。ちゃんと西園寺様を病院へ」


「いいから早く行きなっ!」


「「は、はい!」」



 一喝された二人は、仕事に戻れと部屋を追い出されてしまう。

 そして残されたのは幹久と老婆の二人だけだった。



「……記憶喪失だって言うのは、嘘だね?」


「うっ!」



 老婆による突然の指摘に、幹久は心を見透かされているような感覚に陥った。

 なんとか老婆の指摘を訂正しようとしたが、彼女の鋭い目がそうさせない。下手な誤魔化しや嘘は通用しそうにないと、直感的に幹久は悟っていた。


 だからこそ観念して、首を縦に振ったのだった。



「はぁ~、やっぱりね。人間六十以上も生きてりゃそこそこの勘も身につくし、この商売してれば相手の顔色だって見えてくる。嘘ついてるのだって、おのずとわかるのさ」



人生経験によって、幹久の嘘は見抜かれてしまった。



「……全く、あんたも厄介な男だね。ウチの孫達にいらない心配かけてくれて」


「す、すみません……」


「聞けばウチの孫達は、あんたを助けたそうじゃないか。それなのにあの子達に嘘までついて、何も言わずこのまま去るつもりだった。そいつは少し身勝手すぎやしないかい?」 



 言われずとも、そんなことはわかっていた。

 自分が彼女達に対して、あまりにも失礼な事をしているのだと。そして老婆の言葉に何も言い返す資格はないことも、理解していた。



「あんたがこれからどこへ行こうとしてるのかは知らないけどね、このままじゃあんたはロクな人生を生きられないよ」


「……今でも、ロクな人生を歩んでないさ」


「ほう、わかったような口を聞くんだね」


「あんたにわかるもんか。生まれてからずっと親の言いなりにされてきた挙句、上手くいかないことがあれば失敗作や出来損ないだと言われ続けてきた気持ちが!」



 幹久は老婆の言に対し、心に抱えていた黒い感情を口にしてしまう。しかし癪に障ったとはいえ、自分がそんな事を言える立場じゃないと我に返った。



「すみません、今の……聞かなかったことにしてください」


「そうだね……アタシも口が過ぎたよ。でも、聞かなかったことにはできないね」


「……それって、どういう?」



 老婆はフーっと一息つくと、再び幹久に向き直った。



「お前さん、今日からこの旅館で働きな。言っておくが拒否は許さないよ、あんたはウチの孫娘達に助けられたのに恩も返さないどころか嘘までついたんだ。アタシの気が済むまでこき使ってやるから覚悟しな!」


「え、いや、ちょっと待て!」



 全く話が見えてこないまま幹久は老婆に言われ放題だったが、いつの間にか自分がこの旅館で働くことになっている点だけは追求した。



「なんだい、文句あるのかい?」


「文句というか、俺がこの旅館でしてきた数々の振る舞いに対し怒るのは解る。が、贖罪としてここで働かすっていうのは色々おかしいだろ?」


「何がおかしいんだい。助けてもらったのなら、その恩を返すのが筋ってもんだろう。その恩を今ここで返せってアタシは言っているんだよ、どこもおかしくなんてないさ」



老婆との口論は、次第に熱を帯び始めた。



「いやいやいや、おかしい。絶対おかしい! 確かに助けてもらった恩を返すのは筋かもしれないが、それで働かなきゃいけないことになるのかよ」


「じゃああんたは、ここで働く以外にあの子達やアタシに詫びる方法があるっていうのかい?」


「それは……」



 答えに詰まる幹久、その方法がわかれば苦労はない。

 そしてさらに、老婆の追求は続いた。



「ここを出たところで、同じことの繰り返しさ。今のあんたに、この世の中を渡っていけるもんか。お前さんの数倍歳くってるアタシが言うんだ、間違いないね」



 老婆の言葉は至極的をいており、己の未熟さを痛感させるものだった。



「自覚しな、あんたはまだ子供なんだ。もしこれから自分一人で生きていくつもりなら、そのすべを学ぶ必要がある。それを今、ここで学んでいくんだよ」


「……………」


「それでもここを出て行くっていうのなら、もうアタシからは何も言うことは無いね。所詮は他人なんだ、好きにしたらいいさ」



 その言葉を最後に老婆は立ち上がると、幹久を残して部屋を出ていった。


 一人残された幹久だったが「よしっ!」と一言呟くと、両手で自分の頬を引っ叩き、襖を開け部屋を出たのだった――。


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