第10話 嘘④


「ほら、かけな」


「かけなって、一体どこに……?」



 女将と共に部屋を出た幹久は、旅館の外に建てられた小屋へ連れてこられるなり電話を掛けるよう催促された。



「どこって、アンタの家以外にないだろ」


「な、なんで俺の家に電話なんてしなきゃならないんだよ!」



 家が嫌いで飛び出した身だというのに、なぜその家へ電話しなくてはならないのか――幹久は理解ができなかった。



「アンタがこの旅館で働くことに親の承諾が要るんだよ」


「そんなの、別に必要な――」


「そりゃ、アンタが大人だったらイチイチ親に承諾なんてとりゃしないさ。でもアンタ、見たところ学生だろ? 従業員を雇う身にも、それなりの規則や守らなくちゃならないもんがあるのさ」


 個人情報や就業規則、会社規定に身元証明。

 社会人として働く人はすべからず、そういったものを同意あるいは提示することで労働者となり会社に勤めている。


 経営者である女将の許可が下りたとはいえ、幹久の社会的立場は学生なのだから親の了承を得ずして旅館で働くことはできないのだった。



「この際だ、親に心配かけた詫びも兼ねて電話の一本するのも筋じゃないかい?」


「……わかったよ」



 不承不承といった感じではあるが、幹久は女将の手に握られた受話器を受け取ると自宅の電話番号を入力した。


 コール音が耳に聞こえてくる間、幹久の胸中は穏やかではなかった。

 家を離れて既に五日が経過している、父が心配しているとはさすがに思えなかったが妹の日鞠がどうしているだろうかという疑問が脳裏に浮かんだ。


 しかしそれ以上に幹久が気にしていたのは、西園寺の家にいる〝とある人物〟のことだった。



『はい、西園寺です!』



 案の定、受話器の向こうから聞こえた声の主は幹久の想像通りの相手だった。



「あ、あの……恵美さん。俺です、幹久です……」


『み、幹久くん!? よかったぁ! 無事だったのね!』



 幹久の声に安堵したのが受話器越しでも伝わってくる、そんな声色だった。

 

 西園寺恵美(さいおんじ・めぐみ)、彼女は幹久にとって姉のような存在だ。正確に言えば父の弟家族の娘で親戚にあたるのだが、西園寺家は親族のほとんどが同じ家で暮らしているということもあって彼女と顔を合わせる機会は多い。


 なので、年上の恵美とは物心がつく頃より一緒に育ってきたのだった。



『どこにいるのよ、みんなに心配かけさせて……家を出て行ったって日鞠ちゃんから聞いたときは、門下生の子達と町中探し回ったのよ!』


「ごめん、でも……俺はもうそっちに戻るつもりはないから……」


『戻るつもりはないって……駄目よ幹久くん! おじ様から酷いことを言われたのは知ってるわ、全国大会で優勝できなかったから失敗作なんて、いくらなんでもいいすぎよ!』


「本当の事だ、俺はあの親父にとっても西園寺家にとっても失敗作……日鞠のように完成された人間じゃない。だから家を出たんだ」


『卑屈になっちゃいけないわ、幹久くん! 貴方が頑張ってきたのは、傍で見てきた私が誰よりも知っているもの! 貴方には貴方の強さがあるわ。剣の実力が劣っているからって、これまでのすべてを否定するような考え方はしちゃいけないわ』



 恵美の言葉は、本当に幹久を心配してくれているのだろう。彼女の慰めがあったおかげで、父親の厳しい叱責や修練に耐えてこられた経験は少なくない。



『それに、おじ様だって今回の一件で少し考えが改まったかもしれないわ。幹久くんが出て行ってしまった原因が自分にあるんだって、きっと反省――』


「あの人は絶対にそんなことはしないよ、それは同じ西園寺の名前で生きてきた恵美さんだって理解しているだろ?」


『それは……』



 父が自分の考えを改める人間なら、そもそも幹久が家を出るような行動に至っていないだろう。

 幹久は父に反省して欲しいなんて望んでいない、自分の考え通りにならない存在の証明を認めて欲しいのだ。


 そしてそれは、同じ双子の日鞠にはできて、自分には出来なかったことだ。



「だから俺は家を出たんだよ。そして、西園寺の家が作ってきた剣の道を進むんじゃなく、俺が作る道を進むために……」


『幹久くんが作る道……?』



 そこまで言うと幹久は、今の自分が何処にいて、何をしようとしているのかを恵美に語り始めた。

 命を助けられた恩を返すため、恩人が経営する温泉旅館で働きたいのだ――と。



「だから恵美さん、頼む! 俺がこの旅館で働くことを許可をしてほしいんだ」


『……わかったわ、幹久くんの意思を尊重します』


「ありがとう、恵美さん!」


『でも、そのまえに……そちらの旅館の女将さんと話をさせてほしいの。代わってもらえますか?』


「え……、あぁ。わかった……」



 戸惑いながらも、幹久はすぐ後ろで今までのやり取りを見ていた女将へと受話器を渡す。


「はい、もしもし」


『この度は、幹久くんを助けて下さって本当にありがとうございます。彼の父に代わりまして、姪の私からではありますがお礼の言葉を述べさせていただきます』


「別にアタシが助けたわけじゃないさ、ウチの孫が勝手にやったからアタシはその始末をつけてるだけで、この子がこの旅館で働きたいってのはなりゆきだよ」


『そのことなんですが、事情が事情なだけに幹久くんがそちらで働くことに際し……女将さんや旅館の従業員様は抵抗があるのではないかと思いまして……』


「ふん、生憎だけど仕事柄面倒事には慣れててね。それにこんな厄介な子供でも人手は欲しいくらいに忙しいんだ、そっちの許可が出たら遠慮なくこき使ってやるつもりだから安心しな。迷惑かけられた分、体で返してもらうよ」


『……くす。はい、幹久くんを、よろしくお願いいたします』


 その後のやり取りでは恵美が幹久の身元保証人ということになり、温泉旅館【湯ノ花】で正式に働くことが決まったのだった――。



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