第十七話

 お腹が減った……。

 そう思えば、想うほどに、空腹感が増していく――私であった。

 今なら、牛一頭丸ごと食べれる。自腹でもいいのだが、人の金で食べる食事は格段に美味しいのだ。

 食いっぷりをお見せしたいのですが。一応、世間一般の乙女として振る舞っているので、残念ながらお見せすることは、できません。

 あしからず。

 そんなことを考えているうちに、ランチタイムの終わりを告げる音が鳴り響くのであった。

 すると先ほどまで、少女たちの華やかで軽やかな話し声が消え、廊下は一斉に静かに変貌ししていく。

 そして各教室から僅かに漏れ出す、黒板に絵がく文字の音、教師の教える声、生徒の朗読の声、運動場から聞こえる掛け声、音楽室から聞こえる小鳥たちの歌声。


 その声の中に私は存在していない、他愛もない謎解きである。 


 答えは簡単。


 先ほどまでいた消毒液の匂いが漂う保健室に備えつけられている、養護教諭専用の休憩室に。

 居るからなのだ。

 専用と言っても保健室内にある扉、一枚、隔てた休憩部屋だ。緊急時を想定して、とのこと。最悪の場合は学園の附属病院に、即搬送されるのでご安心ください。

 ブルジョワジー学園ですから。

 しかし、

 それなりに金額の空調システムを完備しているのだが、薄い薬品の匂いが部屋に流れ込んで鼻腔を刺激する。

 避難所として使わせてもらっている身としては、贅沢は言えない――無料だし。ぁー、でも、クソ高い学費を払っているので、無料ではないか。

 今から昼食をとるにしても、昼休み時間が過ぎて食堂は閉まっているし。庭園広場にある休憩所で授業を堂々とサボタージュして、お弁当を食べるわけにはいかない。

 え!? "サボタージュ"、の意味が分からない……。あれ? ママたちは、今でも使っているのですが……、"サボる"、ということです。


 …………。


 私の座っている前には少し広めの机が置いてあります。レストランか! とツッコミを入れてしまうほどに。しわ、のないピーンと張られたベージュ色のテーブルクロスが敷かれています。そしてテーブルの上には、花瓶が飾られています。

 その花瓶は、溶岩ようがん灼熱しゃくねつ色が主になっており、そこに乾留液タールの粘り気のある黒色が蛇のように見える模様が施されていました。

 芸術とは一歩、踏み外せば、狂気そのものだと感じさせられる。そんな花瓶です。

 花瓶には、ヤマトタチバナの花、一輪、ジャスミンの花、一輪、が生けてあります。

 相変わらず、几帳面きちょうめんな男。


 私がそう思いながら、その男に視線をズラしていくと。男は私の視線に気づくと、チョイ、チョイ、と私を手招きします。

 仕方ない、仕方ないのです。今の私はこの男に逆らうことが、で・き・ま・せ・ん……。

 私は弱味を握られいます。

 そうです! お弁当はあるのですが、飲み物がないのです! 中原なかはらさんを助かるときに投げて、そのまま放置です。

 放課後に、回収しに行くことにします。飲めそうなら、持って帰って飲むことにします。飲めなさそうなら、ゴメンなさいです。

 心の中でそんなことを囁きながら、私は席を立ち、その手招きする男に向かって、ズドーン、ズドーン、と、効果音が聞こえる足取りで向かっています。

 言っておきますが! 私は普通に歩いていますよ。あくまでも私の心境を表現しているだけです。


 …………。


 ちぃ! 変ところだけ趣味を合う。


 冷蔵庫に入っている物に、私は思わず息を呑んだ。

 興奮をしている自分にブレーキを踏んでいるのに、ブレーキが効きません。べーパーロック現象! が発生してしまいました。

 ラベルが見やすいように並べられたカラフルなペットボトルたちに、無意識に話し掛けていた。


「キミの顔を見るのは初めてだね。あ! この前はお仕事の後に、お世話になりました。うーん……、やっぱり、オレンジが好き! ちょっと炭酸がキツイのがいいのよねぇー、他の味よりも。……、……。すみません、あなたのお友達を投げてしまいました、放課後に絶対に助けに行きますから、許して下さい!」

摩志常ましとこさん、すみませんが冷気が逃げてしまうので、できればそろそろ決めてもらっても構いませんか?」

 

 男の顔は必死に笑わないように堪えていた。

 私は緩みきっていた表情を戻すたにめに、両手で両頬を挟み込みながら、戻れ、戻れ、と念じながらマッサージをします。

 そして、表情筋がいつも私の表情に戻ったの感じると。森林の中に置き去りにしたのと同じ種類のジュースのペットボトルを冷蔵庫から取り出しました。

 私がペットボトルを取り出したあとに、男は私の知らないラベルのペットボトルを取り出しました。新作だ! と私の心の声が、またダダ漏れしたのでしょう。


「飲んでみますか? 紙コップもありますからお分けしますよ」、と。

 

 優しげな笑顔をしながら、私に提案してきました。

 私にその提案に断る理由はありません。


「ありがとう、弦一郎げんいちろう

「いえ、いえ。摩志常さんが喜んでくれるなら、それが幸せです」


 普通の男がそのセリフを語っても嘘臭いのですが、この男がそのセリフを口にすると絵になるのが若干気に食わない。

 冷蔵庫を扉をしめると。男は次に冷凍室を開けて私に見せてきた。

 この男が冷凍室に入れている物は容易に想像ができた。それは、乙女の憧れるを形として存在が許された物、氷菓アイスクリームです。

 アイスクリームも異能者と同じように分類されています。

 アイスクリーム、アイスミルク、ラクトアイス、氷菓ひょうか、に分類されています。細かいことは、面倒くさいので説明は省きますね。

 先ほどと同じで、一つ、一つ、の種類が分かりやすいようにデザインが見えるように並べてあります。

 文字通り、几帳面な男です。

 冷蔵庫に入っているジュースのペットボトルとアイスの量から。この男は、大の甘党です。

 『十二天将じゅうにてんしょう』の『騰蛇とうだ』を使役しえきしているのに、蟒蛇うわばみではなく。カエルさんです。下戸げこ


 …………。


 しわ、のないピーンと張られたベージュ色のテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には、今、ステンレス製のシルバー色の二段重ねのお弁当と、三段重ねの重箱がテーブルに置かれ。ついさっき、選んだ飲み物が紙コップに注がれてユラ、ユラ、波打っています。

 そして、テーブルを挟んで私と、養護教諭ようごきょうゆこと、『鬼一きいち弦一郎げんいちろう』は、向かい合って座っているのです。

 決して、お見合いをしているわけではありません――昼食をとるためにです。大事なことなので、二回言っておきます。

 私の目の前に座っているために、弦一郎の姿が微細に把握できます。

 性別は、男。中性的な顔立ちをしている、美しいと言われれば美しく、格好よくと言われば格好よく、見える。髪色は黒、寝起きのようなボサボサヘアースタイル。身長は、百八十八センチ、高身長です。それに高学歴なうえに、高収入です。

 ママたちに言わせると、3K(死語)の優良物件らしいです。今の時代なら、超、超、超、優良物件です。女子生徒たちにも人気があり、中等部の女教員たちにも人気があります。

 弦一郎も、異能者です。

 ひめママと同じで、日本に存在する最高位の陰陽師おんみょうじの一人です。元、『黄昏たそがれ』の従業員でもあります。ママたちとは、ちょっとした因縁があります。


 …………。


 私が、三段重ねの重箱をテーブルの上に広げていくと。


「摩志常さんにしては、珍しいですね。人を助けるなんて」

「だって、私のお昼寝場所が、イジメの常習所になられると困るもの」


 弦一郎は、私のその答えに。表情一つ変えることなく。


「で、どうされるのですか? 中原さんのイジメの件は」


 私は弦一郎の瞳と自分の瞳をピッタリと合わせ。


「職務怠慢ね。だいたい、元監察医から診れば中原さんの足の擦り傷はべつにしても、不自然な位置にあった身体の打撲痕で、イジメられていることはすぐに分かったはずよ、弦一郎。それに、怪我のことを教師に伝えると言ったときの動揺で、決定。それなのに弦一郎は、中原さんにイジメのことを聞かなかった。教師がしないことを生徒がするとでも」


 弦一郎は、穏やかな顔を私にしながら。


「彼女が僕に、"イジメ"、の件で助けを求めてきていたら、助けてあげるつもりでしたよ。摩志常さんと違って、優しいですから。でも、彼女は助けを求めなかった、残念なことに」

「なにが、残念なことか、しらないけど。騰蛇の【無限火忌路むげんかいろ】で、天帝てんていが許さないかぎり終わりのない業火を味わうことにならなかった。あの三人、感謝すべきね」

 

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