始末屋繁盛記:1st impression

大竹久和

プロローグ


プロローグ



 東京都新宿区の中心部に位置する、とっぷりと陽が暮れた夜の歌舞伎町。けばけばしい七色のネオンサインの光に照らし出された雑居ビルの薄暗い廊下を、黒光りする革靴を履いた何者かが、こつこつと固く乾いた足音を立てながらゆっくりと歩き続けていた。雑居ビルのエントランスでは、見張り役を任されていた若いチンピラが二人、脳天を真っ二つにかち割られた惨殺死体となって転がっている。そして窓の向こうに垣間見える誘蛾灯の青白い光に一匹の蛾が飛び込んで焼け死ぬと同時に、革靴を履いた何者かは廊下を渡り切り、突き当たりの扉の前で立ち止まった。頑丈なパイン材で出来た扉には、力強い毛筆の書体でもって『若木興業』と書かれた看板が掲げられている。

「……」

 扉の前で立ち止まった何者か、つまり身長が優に2mを超える浅黒い肌の大女は、無言のまま革靴を履いた足でもって扉を蹴り開けた。蹴り開けられた扉は蝶番が外れ、真鍮製のノブが弾け飛び、めきめきと言う破砕音と共に真っ二つにへし折れて床に転がる。たった一撃で頑丈なパイン材の扉を破壊してしまう大女の膂力は凄まじく、常人のそれとは比較にならない。

「な、ななな何だてめえは!」

 扉を蹴り開けて侵入した雑居ビルの一室には都合四名の男達がたむろしていたが、その内の一人の、やけに派手な柄のアロハシャツを着た若く大柄な男が威嚇するような口調でもって怒声を張り上げた。ところが彼の視線の先に立つ突然の闖入者、つまり黒光りする革手袋と革靴を履き、真っ赤なネクタイを締め、黒い三つ揃えのスーツの上から駱駝色のトレンチコートを羽織った大女はまるで動じない。そして彼女はトレンチコートの胸ポケットから一枚の写真を取り出し、それを掲げながら男達に問う。

若木源蔵わかきげんぞうはどこだ?」

 そう言ったトレンチコートの大女が掲げる写真には、如何にもガラの悪そうな顔立ちの熟年男性が写っていた。この若木興業の母体、つまり広域指定暴力団若木組の組長、若木源蔵その人である。

「てめえ、親父に何の用じゃあっ! 他所の組のカチコミかあっ!」

 先程のアロハシャツの男とはまた別の、紫色のド派手なスーツを着た男がそう言って威嚇しながら短刀ドスを取り出し、鞘から抜いたその切っ先をこちらに向けた。名も無き刀匠によって打ち鍛えられた玉鋼の刀身が、天井に据え付けられた蛍光灯の光を反射してぎらりと冷たく輝く。しかしながらトレンチコートの大女は、鋭利な刃物を眼の前にしても、やはり一向に動じない。

「若木源蔵はどこだ?」

 再びそう言って問い掛けるトレンチコートの大女に、紫スーツの男が短刀ドスを構えながら襲い掛かる。

「死に晒せ! この鉄砲玉が!」

 殺意に満ちた怒声を張り上げながら紫スーツの男が襲い掛かるも、それとは比較にならない素早さでもって、大女はトレンチコートの懐に自らの手を差し入れた。そしてその手が引き抜かれたかと思えば、次の瞬間には紫スーツの男の頭部が上下真っ二つに頭蓋骨ごと分断され、その上半分だけが真っ赤な鮮血を滴らせながら雑居ビルの床を転がる。トレンチコートの懐から引き抜かれた大女の手には一振りの手斧が握られており、この手斧による必殺の一撃が、紫スーツの男を一瞬にして絶命せしめた事は想像に難くない。

「てめえっ! よくも兄貴を!」

 頭の上半分が無くなった紫スーツの男の身体が膝から崩れ落ちるのとほぼ同時に、アロハシャツの男がそう言って一挺の黒星拳銃トカレフT33を取り出しつつ、その銃口をトレンチコートの大女に向けた。そして躊躇う事無く続けざまに四回引き金を引き絞り、四度の銃声と共に射出された四発の銃弾が狙いを違えず命中した事を確信すると、口角を上げてほくそ笑みながら勝ち誇る。

「へっ! どんなもんだ! ざまあみろ!」

 アロハシャツの男はそう言って勝ち誇るが、彼によって銃撃された筈のトレンチコートの大女はいつまで経っても倒れない。いや、よく見れば彼女は一振りずつの手斧を左右の手に握り、その鋼鉄製の頑丈な斧腹でもって、飛び来たる鉛の銃弾を受け止めてみせたのだ。

「ひいっ!」

 銃弾が通用しない相手を前にした男達が怯んだのを合図に、今度はトレンチコートの大女が彼らに襲い掛かる。

「ぎゃあっ!」

 人並外れた膂力と長身を生かした跳躍力でもって部屋の端から端まで一気に移動したトレンチコートの大女は、手始めにアロハシャツの男の脳天に手斧の刃先を振り下ろし、その頭部を頭蓋骨ごと真っ二つにかち割った。そして素早く身を翻しながら、返す刀でもって、今度はシャツの袖から覗く両腕にびっしりと刺青が彫られた三人目の男の首を撥ね飛ばす。撥ね飛ばされた首の断面からおびただしい量の鮮血が噴き出し、およそ十畳ばかりの広さのこの部屋、つまりヤクザの組事務所を床から天井に至るまで真っ赤に染め上げた。

「おんどりゃあっ! 死に晒せっ!」

 最後の四人目の男が、やはり懐から取り出した黒星拳銃トカレフT33の銃口をトレンチコートの大女に向け、弾倉が空になるまで続けざまに引き金を引き絞る。しかしながら大女は飛び来たる全ての銃弾を手斧の斧腹でもって巧みに弾き返し、浅黒い肌に覆われたその身に傷一つ負わない。

「畜生!」

 弾倉が空になった黒星拳銃トカレフT33を投げ捨てた四人目の男は、舌打ち交じりに悪態を吐きながら慌てふためき、やがてこの場からの逃走を決意した。そして扉が蹴破られた組事務所の出入り口の方角に向けて一目散に駆け出すが、そんな男の無防備な背中目掛け、トレンチコートの大女は手斧を投擲する。

「ぎゃっ!」

 投擲された手斧はくるくると回転しながら宙を舞い、狙いを違えず、逃げ惑う男の後頭部に見事命中した。左右真っ二つに両断された頭部の断面から、まるで割れた卵の殻を伝い落ちる卵黄の様に、赤みがかった薄灰色の脳髄がぼろりと零れ落ちる。

「……」

 四人の男達を一方的に屠り終えたトレンチコートの大女は投擲した手斧を回収し、顔色一つ変えずに無言のまま、ぐるりと周囲を見渡した。室内には頭部を破壊された四つの死体以外に、人影は見当たらない。しかしながら部屋の奥の壁に眼を向けた彼女は、更に奥へと続く扉を発見する。そしてその扉に歩み寄り、黒光りする革靴を履いた足でもってそれもまた蹴破ろうとした、次の瞬間であった。

「!」

 頑丈なパイン材で出来た扉が一瞬にして真っ二つに切り裂かれ、その扉を切り裂いた何かが迫り来る気配を察知した大女は、後方へと素早く飛び退る。

「へえ、あんた、今のをかわしちゃうんだ? それってマジヤバくない?」

 真っ二つに切り裂かれて床に転がり落ちた扉を乗り越えつつ、組事務所の奥の部屋から、一人の少女がそう言いながら姿を現した。タータンチェック柄のミニスカートを履き、だぶだぶのカーディガンとリボンタイに身を包んだその少女は、一見すると渋谷や原宿の街をうろついているような普通の女子高生にしか見えない。しかしながら彼女の左の腰には大小二本の日本刀が差され、紺のハイソックスと革のローファーに包まれた足は敵との間合いを慎重に測り、その眼は堅気の女子高生らしからぬ鋭い光を放つ。

「そのトレンチコートに手斧にガタイの良さからすると、あんた、噂に聞く『始末屋』でしょ?」

 腰に大小を差した少女はそう言って、視線の先に立つトレンチコートの大女の正体を看破してみせた。

「そう言う貴様こそ、最近この辺りに出没すると言う『ギャル侍』だな?」

 始末屋と呼ばれたトレンチコートの大女もまた敵の正体を看破し、両者は互いの間合いを測り合いつつ対峙する。

「先生、どうかお願いします! そんな黒んぼの大女は、とっとと切り殺しちまってください!」

 不意にギャル侍と呼ばれた二本差しの少女の背後、組事務所の奥の部屋の方角から、野太くドスの効いた男の声が聞こえて来た。見れば奥の部屋、おそらくは組長室だと思われるそこには一人の男が立っており、睨み合う始末屋とギャル侍の一挙手一投足に熱い視線を注ぎ込んでいる。そしてその男こそ、先程始末屋が掲げた写真に写っていたガラの悪そうな熟年男性、つまり若木組三代目組長若木源蔵その人であった。

「先生だと? さてはギャル侍、貴様、用心棒として若木組に雇われたな?」

 手斧を構え直した始末屋はそう言ってギャル侍の立場をも看破してみせるが、看破されたギャル侍はスワロフスキーのクリスタルでデコられた太刀を腰の鞘に納めつつ、日サロで日焼けした顔に不敵な笑みを浮かべる。

「ヤクザに雇われていたとしたら、何だってのさ? 金のために人を殺す仕事に就いているってのは、あたしもあんたも同じでしょ? 違う? 違ったらマジヤバいっしょ?」

「成程、確かに貴様の言う通りだ。だがしかし、その結果として貴様は今ここで死ぬ。覚悟しろ」

「へえ、大した自信じゃない。でもね、あたしとあんた、マジで覚悟しなきゃならないのはどっちか教えてあげるっしょ?」

 手斧を手にした始末屋と居合い切りの構えを取ったギャル侍の二人は言葉の応酬でもって互いに牽制し合いつつ、四人の男達の死体が転がる組事務所の中央で、じりじりと間合いを測り合った。始末屋は常人離れした膂力による必殺の一撃を誇り、一方のギャル侍もまた、パイン材の扉を一太刀でもって切り裂く神速の剣技を誇る。

「!」

 そして互いの間合いが重なり合った次の瞬間、始末屋とギャル侍の二人は一気にその距離を詰め、眼の前の獲物の息の根を止めるべく襲い掛かった。

「覚悟!」

 鞘の中を滑らせる事によって爆発的な瞬発力を得る居合い切りの太刀筋が、始末屋を襲う。しかしながら始末屋はトレンチコートの裾を靡かせつつ身を翻し、紙一重のタイミングでもってこれを回避した。すると一太刀目を回避されたギャル侍は間髪を容れず、素早く大上段に構え直したかと思えば、今度は始末屋の頭頂部目掛けて太刀を振り下ろす。

「ふん!」

 ところが始末屋は左右の手斧を頭上で交差させ、頭頂部目掛けて振り下ろされた太刀を見事に受け止めてみせた。言うなればそれは、素手ではなく手斧による真剣白刃取りである。そして交差させた手斧でもってギャル侍の太刀を挟み込み、左右から圧力を加える事によって、その刀身を力任せにへし折った。耳障りな金属の破砕音を奏でつつ、へし折れた太刀の刀身が宙を舞う。

「ちいっ!」

 主兵装である太刀をへし折られたギャル侍はその太刀を見限り、用を為さなくなったそれを素早く放り捨てると、腰の脇差へと手を伸ばした。しかしながら彼女が脇差を抜くより早く、始末屋の手斧の刃先がギャル侍の脳天目掛けて振り下ろされる。

「マジヤバ!」

 意味不明かつ頓狂な声を上げながら、脱色された頭髪に覆われたギャル侍の小ぶりな頭部が、始末屋の手斧によって叩き割られた。頭蓋骨に続いて下顎骨、更には胸骨までもが真っ二つに分断され、敢え無く絶命したギャル侍はおびただしい量の鮮血と脳漿とを周囲にぶちまけながら崩れ落ちる。

「……」

 無言のまま、始末屋は足元に転がるギャル侍の死体の脇腹を、革靴を履いた足の爪先でもって軽く小突いた。上半身の殆ど全てを真っ二つに叩き割られた死体は力無く横たわり、ぴくりとも動かない。彼女の死を確信した始末屋は手斧の構えを解き、改めて組事務所の奥の組長室へと足を向ける。そして組長室に足を踏み入れてみれば、若木源蔵と思しき男が身体を小さく丸めながらソファの陰に身を隠し、がたがたと震えていた。

「若木源蔵だな?」

「ひいっ!」

 胸ポケットから取り出した写真を掲げながらの始末屋の問い掛けに、若木源蔵は悲鳴交じりにその身を震わせるばかりで、明確な返事は無い。

「若木源蔵だな?」

 改めて始末屋は問い掛け直し、組長室の床に這いつくばったままの若木源蔵の襟首を掴んで力任せに立たせると、その顔を手元の写真と見比べる。全体的な骨格や肉付き、顔の造形や髪形からしても、ここまでそっくりな人間が狭い組事務所の中に二人も存在すると言う事はあり得ない。そして眼の前の男が若木源蔵本人である事を確信した始末屋は、トレンチコートの胸ポケットに写真を仕舞い直し、懐から取り出した手斧を大上段に振りかぶる。

「ま、待て! やめろ、頼む! 頼むから殺さないでくれ! 誰だ? 一体お前はどこの誰に雇われた? 八木組の奴らか? それとも岩本組の奴らか? いや、誰であろうと俺ならその雇い主の二倍、五倍、いや十倍の額を払う! だから見逃してくれ! お願いだ、頼む!」

 若木源蔵はそう言って懇願しながら、組長室の片隅で膝を突き、まさに平身低頭と言うべき言葉の通り深々と頭を下げて土下座した。いくら絶体絶命の死の淵に立たされているとは言え、曲がりなりにもヤクザの組事務所を統括する者の態度としては、褒められたものではない。

「悪いが、一度引き受けた依頼は何があろうと完遂するのがあたしのモットーだ。例外はあり得ない」

「そんな……」

 プライドをかなぐり捨てた必死の土下座も空しく、自らのモットーを口にした始末屋は、若木源蔵の頭頂部目掛けて躊躇無く手斧を振り下ろした。ぐしゃりと言う鈍い打撃音と共に彼の頭部が真っ二つに叩き割られ、およそ七畳から八畳ほどの広さの組長室内に、真っ赤な鮮血と薄灰色の脳漿とがぶちまけられる。そして始末屋は二度三度と繰り返し手斧を振り下ろし、標的ターゲットである若木源蔵の頭部を滅多刺しの要領でもって入念に切り刻み終えると、やがてその手を止めた。

「……」

 顔色一つ変えず、無言のまま、始末屋は自身の足元に転がる若木源蔵の惨殺死体を値踏みする。そして血と脳漿まみれの手斧を手にした彼女が若木組三代目組長若木源蔵を殺害して来いと言う今回の依頼の完遂を確信したその時、トレンチコートの内ポケットに納められたスマートフォンが、軽快なリズムでもって着信音を奏で始めた。液晶画面を確認してみれば、非通知設定の番号からの着信である。

「誰だ?」

 脳天を叩き割られた若木源蔵の死体が転がる組長室の中央で、始末屋は内ポケットから取り出したスマートフォンを耳に当てながら応答ボタンをタップすると、開口一番ぶっきらぼうな口調でもってそう言った。すると聞き慣れた声が受話口越しに耳に届き、彼女を労う。

「おめでとうございます、始末屋様! 依頼達成でございます!」

「ああ、貴様か」

 スマートフォンの向こうの通話相手は、始末屋の様な裏稼業のならず者達を統率する非合法組織『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターの男であった。

「今回の依頼の報酬をあなた様の口座に振り込んでおきましたので、どうぞ、ご確認ください!」

 妙にテンションの高い声と口調でもってそう言った調整人コーディネーターの男の言葉に従い、始末屋が彼女の銀行口座の預金残高をオンラインで確認すると、確かに約束されていた額の報酬が振り込まれている。

「確認した」

 やはりぶっきらぼうな口調でもって始末屋はそう言うが、調整人コーディネーターの男の要件は彼女を労う事だけにとどまらない。

「それでは始末屋様、さっそくですが、我々『大隊ザ・バタリオン』からの新たな依頼でございます!」

「新たな依頼?」

 始末屋が問い返すと、スマートフォンの向こうの調整人コーディネーターの男は答える。

「はい、そうです始末屋様! 今度の依頼は複数の執行人エグゼキューター様達による合同コンペティションでございます! 詳細は現地で直接お伝えしますので、どうか皆様、フォルモサにお集まりください! お待ちしております!」

 そう言い終えた調整人コーディネーターの男は一方的に電話を切り、それ以上の応答は無い。

「フォルモサか……」

 通話を終えたスマートフォンをトレンチコートの内ポケットに仕舞い直した始末屋はぼそりと呟き、今回の依頼の標的ターゲットであった若木源蔵と四人のヤクザの構成員、それに若木組の用心棒を務めていたギャル侍の死体が転がる組事務所を後にした。

 窓の向こうに垣間見える誘蛾灯の青白い光にまた一匹の蛾が飛び込み、その身を焼いて死に果てる。

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