02 俺は佐藤だ

 一日目、今か今かとそわそわしながら、クリスの接触を待っていた。俺たちの教室はたった二つ隣。遠い距離ではない。実際ゲームでもアニメでも、朝のホームルーム前にやってきたのだ。


 なのにクリスはその日、俺の前に現れることはなかった。


 俺が煌宮蒼一になったことによる、行動の変化の弊害か? いや、この教室へ足を踏み入れるその日まで、軟禁状態だったのだ。周りに影響を及ぼせるほどの行動は制限されていた。


 二日目も、三日目も、そわそわしながらクリスを待っていたのに、向こうから接触してくる気配がない。四日、五日目には、こちらからなに食わぬ顔でクリスの前を通り過ぎたりしたのに、視線すら寄越してこない。


「クリス……もしかして、あのクリスティアーネ・リリエンタールさんのこと?」


「ああ」


「……ソーイチ、いつの間にあの人と仲良くなったの?」


 いつもより暗い声色。目を落とすとソフィアはスカートを軽く握っている。どうやら嫉妬をしているようだ。


 ソフィア・プラネルトは、初めから蒼一に愛情を抱いているキャラだ。


 地球へ連れられてきた幼き頃、ソフィアは迷子になってしまった。そこに手を差し伸べた者こそが、煌宮蒼一であった。幼い頃、一度だけ出会った関係。ただしソフィアにとって特別なその記憶は、胸の中に彩りを残し続けてきた。


 時は流れ、それから数年後。魔法学園に入学し、しばらくした頃、クソザコナメクジの噂を耳にした。二つとない、煌宮蒼一の名を。


 以来、蒼一との交友を築いたソフィア。そんな思い出一つが、なぜソフィアにとって特別なのか。ソフィアルートの内容は知らないので謎である。


「いや、言葉を交わしたことすらないよ」


 そう言いながら、ソフィアの髪に手を伸ばす。肩まで伸びたサラサラなそれは、透き通るような銀色だ。


 慈しむように、髪の感触を楽しみながら頭を撫でる。それに伴いその頬は、朱色に染め上がっていく。抵抗する様子も、嫌悪感を見せることなく、ソフィアはされるがままだ。


 蒼一のことが好きなのは、アニメを見ていた時から明白だった。この一週間、スキンシップという名のセクハラを重ねてきたが、彼女は喜んで受け入れた。


 顔が良ければ頭も良い。望めば喜んでその身を差し出してくれるだろう彼女を前にして、この一週間、何十回ソフィアルートへ突入しそうになったか。


 据え膳食わぬは男の恥であるが、そこは堪えている。前期の嫁に操を立てているのではない。切実で止む得ない事情から、最初に手を出す相手として、ソフィアを選ぶのを躊躇しているのだ。


「なら、どうして?」


「俺は蒼き叡智を手にしただろ? クリスはそれを気に入らないんだ」


「そっか。異界の門が開いた二十年後、魔導書あおきえいちは再び色を取り戻す。その色を取り戻すと期待されていたのが、蒼の賢者の末裔であるクリスティアーネさん。先を越されたら……面白いと思わないよね」


「しかもその先を越したのが、学園の落ちこぼれだ。俺だっておかしいと思うよ」


「そんなことない……!」


 ソフィアが声を張り上げた。


「ソーイチはずっと頑張ってきた。誰になんて言われようと、立ち止まることなくずっと走り続けてきた。蒼の魔導書が色を取り戻せたのは、そんなソーイチだったからこそだとわたしは思ってる!」


 右手を取られたと思ったら、柔らかな両手で包まれた。


「だから、自分のことをそんな風に言わないで」


 目頭に雫を溜めながら、ソフィアは哀願する。


 どうやら不相応な力を手にし、自分なんかがと自虐的になっていると受け取ったようだ。折角掴んだこのチャンス。想い人に報われてほしいという、ソフィアの優しさであり愛情なのだ。


 一方、俺はそんなつもりで言ったわけではない。


 落ちこぼれがある日、力を手にする。テンプレと化した王道であり、腐るほどありふれた展開だ。第一話であるからこそ、いかに読者視聴者を引き込むか。それが大事である。


 蒼グリのアニメの第一話。蒼一は開始一分で蒼き叡智を手に入れていた。魔法が使えない落ちこぼれだと後に説明されても、雑な導入と思わざるえない。


 特に見どころもなく、キャラの紹介と設定だけが並べたれられたような第一話。視聴後、


「クソアニメだな」


 と漏らした田中が、渡辺に腹パンされてたのは今でも忘れない。


「ごめん、ソフィア。もう言わないよ」


 空いた片手でソフィアの涙を拭った。


「大事なのは、これからだもんな」


「うん、これからだよ、ソーイチ」


 あれだけ悲しそうに曇っていた顔が、すぐに晴れやかなものへなる。


 そう、大事なのはこれからだ。苦労してきた過去はあるけれど、苦しんできたのは俺じゃない。蒼一が今日まで築いてきた、特に感情移入できない過去。それを背負って、これから楽しませてもらおう。


 一度は涙ぐんだソフィアを慰めるよう、その頬を撫でる。はにかんだその瞳と見つめ合いながら、二人の世界が出来上がる。


 教室でいちゃこらするな、という無言の圧力には絶対に屈しない。毛が生え揃ったばかりのモブ共が放つ圧力など、俺にとっては吹いて飛ぶようなものである。


 そんな世界に介入せんという気配が、後ろで立ち止まった。


「貴方が煌宮蒼一ね」


 待ちに待ちわびたその台詞。ただしその声音は、凛と耳朶を打つことはない。


 声に釣られるがまま、ソフィアから目を逸らす。


「私たちは貴方を認めない」


 特筆するほどの特徴がない、モブのような女がそこにはいた。


 私たち、と口にした通り、その後ろには四人ほど控えている。


 どれも髪型でしか区別がつかないモブ顔である。可愛いといえば可愛いのだろうが、ソフィアと比べると二段も三段も見劣りする。むしろ比べることなどおこがましい。ソフィアに失礼ではないか。


 ま、中の上といったところか。


「な、なによその顔は!」


 落胆という二文字をを表現しきっているだろう顔を見て、モブ女は叫声を上げた。


「……ガッカリだ」


 大きく肩を落とす。


 俺が待っていたのは、前期の嫁。クリスティアーネ・リリエンタール、金髪蒼眼の美少女だ。こんな記憶するのに苦心する、廊下の背景画にいそうな顔では断じてない。


「ちょっと!」


「なんだ? 出口ならあっちだぞ」


 片手で教室の扉を指し示す。


「貴方ッ……バカにしているの!?」


 顔を真っ赤にしながら、詰め寄ってくるモブ女。


「待ち人来たりと振り返った先にいたのが、モブキャラか。はぁ……」


 大きなため息をつく様を見て、今度は五人揃ってわめき出す。女三人揃えば姦しい。これだけ数が揃えばなおさらだ。


 嵐のように喚き散らすモブたちのせいで、教室中の視線を集めてしまっていた。このままでは周りも迷惑だろう。まずは彼女たちを宥めることにした。


「要件は煌宮蒼一を認めない。それでいいんだな?」


「ええ、その通りよ。絶対に認めてやるものですか!」


「なら人違いだな。俺は佐藤だ」


 ブチン、と血管が切れる幻聴が聞こえた。


 人違い作戦で逃れるつもりが、余計にヒートアップしたようだ。仮にも女の子が、人前でこんな爆音を響かせていいのかというくらいに喚いている。


 暴力的な叫声はかくして、講師が来るまで鳴り止まなかったのであった。

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