第16話 空と女郎蜘蛛の間には……
山吹さんは、空を飛んだ。
目に飛び込んできた雨上がりの空は、とても青く澄んでいて、気持ちの良い風が、頬を……頬を……抉るように吹き抜けるっ!
詠んでいた景色のポエムは、いつしか私の口から絶叫になって飛び出した。
「ギャーー!速い!怖い!高い!しーーーぬーーー!」
「うるさいな」
呆れて言うヨキを無視して、私は長義さんにしがみつく。
長義さんは余裕綽々で下界を見下ろし、目まぐるしく変わっていく景色を堪能しているようだ。
その姿を見て、私も少し落ち着き、ようやく意味のある言葉を口にした。
「さ、さすが、大妖怪女郎蜘蛛ですね。これだと本当にあっという間に着きますよ!」
「うむ。そうであろう?その昔、この吉良長義と激戦を繰り返し、今日まで引き分けに持ち込んだ力は尊敬に値する!」
「ま、まぁ、そんな。照れますわ、オホホホホ」
長義さんの誉め殺しに、山吹さんのスピードが三倍増になった。
肌に当たる空気が重く痛い。
うっかり口でも開けようものなら、空気に溺れてしまいそうで、私は必死で口を閉じた。
女郎蜘蛛山吹さんと行く空の旅。
そのジェット機並みの速さに、これ以上は耐えられない!と思っていたら、山吹さんが突然スピードを弛めた。
つ、着いたのかな?
だとすると大妖怪女郎蜘蛛は、公共機関を利用して一時間かかるところを約十分で来たということだ。
そのあり得ない所業に感心しつつ、私は思う存分深呼吸をしまくった。
「この下の建物ですわ」
山吹さんは空でゆらゆらと揺れながら、大きな目をギロッと下に向けて言った。
私も高さに震えながら恐る恐る下を見る。
すると、個性的な四角いコンクリートの建物が見えた。
建物の廻りには蔦が這い、お洒落な雰囲気が外からでもわかる。
「うん。間違いない。ギャラリー湯川よ」
「問題はどう入るかだな?人に見られるのは困るしな?」
長義さんに抱えられたまま、ヨキが言った。
「でもさ、オーナーの湯川さんは七十歳で最近目が霞んで老眼も酷いってぼやいてたよ?素早く入れば見つからないかも?」
「素早くと言ってもだな。いくらなんでもそんな一瞬で……」
「可能ですわ!」
私とヨキの話に、山吹さんが右上脚をぐぐっと振り上げて加わった。
その動きで一瞬全体がグラリと揺れ、長義さんがおっと!とよろめき、私はヒイッと青ざめた。
「女郎蜘蛛よ。可能とは?」
「目にも止まらぬ速さで室内に侵入出来るということです。しかし、絵に入るのは猫又殿の領分なので、上手く時を合わせねばなりませんが……」
「なるほど。良し、それならなんとかなりそうだ。室内に入ったタイミングで妖力を解放をしよう」
私が青ざめている間に、ヨキと山吹さんは侵入の手筈を整えていた。
そして、一瞬の動作に機敏に動けるよう長義さんがしゃがみこむと、山吹さんは勢い良くギャラリー湯川に突撃した。
入り口が突風の仕業のごとく開くと、ヨキが長義さんに抱えられたまま妖力を放つ。
山吹さんは迷うことなく一直線に樹海の絵を探し、そのまま絵の中に飛び込んだ。
それは本当に一瞬で、室内の様子も何も全く見えなかった。
そこに、湯川さんがいたとしても、いたずらな風の仕業だ、と思うだけだろう。
絵に飛び込んだ私達を迎えたのは、深く薄暗い森だ。
鬱蒼とした木々の隙間から覗く空は曇天。
鼠色の空を覆い隠すような樹木は、深緑を越えて果てしなく黒に近かった。
長義さんは慎重に辺りを確かめて、山吹さんから降りる。
そして、私とヨキをゆっくり地面に降ろした。
「怖いね……」
そう呟くと、ザワッと木々が揺れる。
侵入者を感知したかのような雰囲気に、心臓がバクバクとうるさく鳴った。
「奥になにやらたくさんの気配を感じる……山吹、わかるか?」
長義さんが山吹さんに問いかける。
すると山吹さんは、体から白い無数の糸を出して、四方八方へと飛ばした。
樹木の間を余すことなく這っていく糸は、蜘蛛ならではの監視装置または罠なのだと思う。
「ええ、感じますわ。これはまた夥しい数の怨霊だこと。何年にも渡り、絵にとり殺された霊の怨み辛みが渦巻いておるような」
答えた山吹さんは、なぜかフフッと笑った。
長義さんを見ると、彼もどこか表情が弛んでいるようだ。
「では、その奥の怨霊の巣に不動産屋がいるんだろうな」
ヨキが山吹さんに尋ねた。
「はい。微かに生きた人の気配を感じます」
「良かった!まだ漆原さん生きてたんだ!」
「ええ……妙ですね。取り込まれたら、普通はすぐ殺されてしまうのですが。なぜでしょうね?わかりかねます」
喜ぶ私の隣で、山吹さんは淡々と言いわずかに首を捻った。
あまりにも平然と言われて身震いをする私を、黒曜石の美しい瞳で無邪気に見つめる山吹さん。
妖怪っていまいち理解できない種族かも……と思っていると、長義さんが言った。
「ここで話していても埒があくまい。早く奥へ向かい、怨霊退治と行こうではないか」
その提案に全員が頷いて、樹海の奥へと歩を進めた。
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