第5話 消えた八雲

書類の確認を済ませ、私は事務所応接室で館長と歓談しつつ漆原さんを待った。

最初は館長の絵画や美術品に対する熱意を、素晴らしいなという思いで聞いていた。

だけど話が二転三転し、可愛い孫娘のことになる頃にはすっかり飽きた。

チラッと掛け時計を見ると、なんとあれから二時間弱経っている。

漆原さん……一体どうしたんだろう……。

何か会社で大変なことがあったのだろうか?

心配する私の表情を見た館長は、気を利かせて言った。


「彼、遅いね。電話してみれば?」


「あ、そう……ですね……」


私は貰った名刺を取り出し、携帯番号を確認した。

実は今日この名刺を貰うまで、漆原さんの連絡先は会社以外知らなかったのだ。

日に何度も来るし、取り立てて用事もないしで連絡をする必要がなかったからである。

名刺に書かれた携帯番号を押し、暫しの空白の後、電子音が鳴った。

ちょうど二回の電子音の後に応答する気配がして、私も声を出す準備を整えた……のだけど、響いて来たのは、『お掛けになった電話番号は、電波の届かない所に……』というお馴染みのメッセージである。


「館長?」


私は目の前で、こちらを窺う館長に尋ねた。


「何?」


「美術館内って、携帯電話の通話は可能ですよね?」


「うん。問題なく通話できるよ?まぁ、出来るだけ電源は切って鑑賞して貰いたいけどね」


そういえば、さっき漆原さんも「メッセージが来た」って言っていたから、電源が入ってないとか電波が届いてないというわけではなさそうだ。

じゃあ、なんで出られない状況に?


「館長!私、館内で漆原さんを探してきますね!」


「あ、そう?うん。たぶんトイレとかじゃないかな?ウロウロしてたらそのうち会えるよ!」


そうだとしたら、お腹の調子でも悪かったんですかね?

というツッコミをグッと飲み込み、私は軽く頷いて事務所を出た。


まず、直前に別れた日本画の場所へ行ってみようと、来た道を引き返す。

自分の足音しか聞こえない館内は、先ほどと同じ様相だけど、三人で歩くのと一人で歩くのとでは大違いだ。

広く無機質な美術館は、誰もいないと突然「何か出そう」な雰囲気に変貌する。

洋画コーナーの肖像画の目が動いたり、美術品コーナーの甲冑が移動したり……。

そんな摩訶不思議なことが起こっても納得出来てしまう、そんな、圧倒的な雰囲気があるのだ。


「う、漆原さーん?いますかー?」


角を曲がりやって来た日本画コーナーは不気味に静まり返っていた。

相変わらず、吉良長義さんは斜め上を見て何かと戦っている。

他の二枚の絵は、風景画なのでそこまで怖くはなかったけど、それでも、場の雰囲気からか独特な威圧感があった。


「う、漆原さぁーん……」


怖々と声をかけつつ、反対側の角を曲がると、そこにはまた三枚の日本画があった。

手前はよくある富士山の風景画。

真ん中は、平安時代風の女性が鮮やかな黄色の衣を纏っている絵……なのだが、どうも構図がおかしい。

公家の屋敷のような建物の中で、その女性は、ように見えたのだ。

私はタイトルを確認した。


山吹やまぶきの方始末記しまつき……?」


作者名はない。

そういえば、向こうのコーナーにある長義さんの絵も作者不明だった。

線もタッチも似ているし、紙の色味も同じ。

もしかしたら、対の絵かもしれないと思いながら、次は隣の絵に視線を移した。

そこにあったのは、樹海のような暗い森の絵である。

静かで暗い館内との相乗効果で、樹海は不気味さを増しているようだ。

私はブルッと一度身震いをして、その場から足早に退散した。


道なりに進んだ奥にはトイレがある。

トイレを通り過ぎると壺やら陶器やらの美術品コーナー。

そのすぐ向こうにはお土産コーナーが見えた。

だいたい施設のお土産コーナーは最終地点にある。

つまり、もう出口なのだ。


「漆原さーん?トイレですかぁ?大丈夫ですかぁ?」


私はトイレまで戻ると、その前で叫んだ。

本来ならこんな非常識なことは絶対しないんだけど、いい加減イライラしていたのである。

仕事でいなくなるにしても、お腹を下してトイレに籠るにしても、連絡くらいして欲しい。

いや、酷くお腹を下したなら、無理かもしれないけど……。

私はもう一度、トイレに向かって叫んだ。


「漆原さん!いますかぁ!」


「見てこようか?」


「ひっ!」


突然後ろから声をかけられ、私は飛び上がった。

……本当に、三十センチは飛んだ……。


「か、館長!びっくりするじゃないですかっ!」


「ごめんごめん。気になって私も探してみたんだよ。館内のトイレも見て回ったけどね、誰もいなかったよ?後はここだけなんだけど」


そういって、館長は男子トイレに踏み込んで行った。

そして、すぐに出てきた。


「いないね……女子トイレも見る?」


「いや……それは……別に」


もう、そこにいたら即通報しないといけなくなる。

さすがに、漆原さんがそんな変態には見えないので遠慮しておいたけど、そうなると一体、どこにいると言うのだろう。


「守衛さんに聞いたらね、駐車場から車が出た様子は無かったって。もしかして、誰かが迎えに来て、その車で帰ったとか?」


「あー……可能性はありますね……」


会社からの連絡が、思いがけず大きな問題で、突然帰らないと行けなくなった。

しかし、すぐに片付けて帰るつもりだったから車はそのままで、社員に迎えに来て貰った……と、想像ならいくらでも出来る。

だけど、実際にここにいないのは確かだし、何の連絡もなしに私は置いていかれたのだ。


「はぁ……もう!」


「どうせ車があるならここに帰って来るでしょ?待ってる?先に帰るなら、円山さんは帰った、って伝えとくよ?」


「えっ!いいんですか!?お手間では?」


「別にいいよー。今日は休みだしね!」


館長はプリンと頬を揺らし、にっこりと笑った。

……なんていい人なの!

私は心の底から感謝した。

そして、丁寧にお礼を述べると、さっさと画廊へと帰ったのである。

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