黒猫は小さな画廊に住んでいる
藤 実花
滴る絵
第1話 黒猫ヨキと円山芙蓉
ここは、
郊外のショッピングモールに押され、徐々に客足も遠退いてきた寂れた商店街である。
その一角には、小さな画廊が存在していた。
『
しかし、オーナーは孫にその店を譲り、ある日ふらっと旅に出たのだ。
そして、譲られた私、
彼は名を『ヨキ』といい、美しい毛並みの黒猫だ。
ただし、全てが真っ黒というわけではない。
額に二センチほど、斜めに走る白い模様があって、それは個性的で可愛らしいのだけど……言動はあまり可愛くはなかった。
「芙蓉。私の猫缶がもうないぞ?」
噂をすればなんとやら。
ヨキの声がして私は振り向いた。
彼は、廊下の奥からのっそりのっそりとやって来て、ヒョイと受付台に乗る。
そして、台帳を整理する私の邪魔をするように前足でペンを押さえた。
「猫缶?ツナ缶じゃダメ?」
すると、ヨキは二つにわかれた尻尾をピーンと立て、シャァーと唸った。
「馬鹿め!何度言えばわかるのだ!あれを食うと腹を壊す!旨いのだがな!そう、非常に旨いのだが……残念だ!」
「はいはい。わかりましたよ。後で買って来るから、朝は鰹節で済ましておいて?」
「ふむ。仕方ないな……」
そう言うとヨキはすっと近くの絵の中に消えた。
彼は……本人(猫)曰く、何百年も生きた猫又である。
円山画廊の裏倉庫には、黒猫が描かれた日本画があった。
その黒猫がヨキなのだそう。
ヨキはその
祖父は、自然と物が倒れたり、風もないのに絵が揺れたりすることをいつも不思議がっていた。
見えない人からしてみれば、それはポルターガイストや心霊現象である。
たぶん祖父は、毎日起こる心霊現象に嫌気がさし、ここを押し付けて逃げたのでは?と私は考えている。
まぁ、美大を卒業してからすることもなく、ぼーっとしていた私にとっては渡りに船だったのだけど。
祖父からここを譲り受け、初めてヨキを見た時は、私よりも彼の方が驚いていた。
聞くと、もうずっと人に認識されることがなかったらしい。
どうして私にだけ見えるのかはわからないけど、誰かに認識されることがヨキは嬉しかったようだ。
その証拠にヨキはいつも
今までの分を取り戻すかのように喋り、私にも事あるごとに纏わり付いてくるのだ。
私は意識を台帳に戻した。
ヨキが起きてきたということは、だいたい十時くらい。
そろそろ新しい絵が搬入されてくる時間である。
今日入るのは、隣町に住むある資産家のものだ。
資産家は既に死亡していて、一人残された夫人が亡くなったため、その遠縁の者が調度品や絵などを、不動産屋に処分を願い出た。
この絵に関しては「どんなに安くても売れればいい」……というのが売り手の希望だそうだ。
一緒に住んでいなかったのなら、絵や骨董品などには、思い入れもないし処分に困るだろう。
だけど、安くても売れればいい、なんていうのはどうも気に入らない。
自分自身が描く身としては、いい気分ではなかった。
「もう少し、絵に敬意を払って貰いたいものよね」
「わからぬ者にはそれが普通だ」
私の言葉に答えるように、後ろの絵からヨキが飛び出して、また台帳に乗った。
こうやって、どこの絵からもやって来るので、たまに心臓が止まりそうになる。
「……そうでしょうけど……あ、来たわ」
店の前に搬入車がやって来るのが見え、玄関に歩み寄る。
ヨキも床に降り来客を迎えた。
「どうも!毎度です!」
「おはようございます、青木さん」
運転手は青木画材の青木さん。
青木画材は、美術関係の額や絵具、いろいろな物を扱うが、美術館や画廊への搬入業務も請け負ってくれる。
私が円山画廊を継いだ時には、父と子二人で搬入をしていたけど、今は息子の
青木さんは、後ろの幌を上げてトラックに乗り込むと、8号サイズの絵を持って出てきた。
「中にいれますよね?もう、掛けちゃいますか?」
「はい。お願いします」
予め開けておいた余白に、絵を掛けると、青木さんは忙しそうに去っていった。
「ふむ。これはなかなか興味深い」
「興味深い?」
ヨキはスッと姿勢を正すと、絵を見上げる。
私もその横に立ち、同じようにした。
絵に描かれていたのは、若い女性が池の桟橋に佇む景色。
タイトルは『宝物』で作者は不明。
よくある作風で、一見して何の変哲もない絵画である。
売れるか売れないかと問われれば、果てしなく売れない部類のものだ。
「何が興味深いの?」
尋ねると、ヨキは私の回りをグルグルと周り、恨めしそうに見上げてきた。
「それよりも、お前。ちゃんと猫缶を買ったのか?」
「は?まだに決まってるでしょ?ついさっきのことでしょうがっ!五分前のことを忘れるなんて、お爺さんなの?」
イヤミを言ってやると、ヨキは得意気にペロペロと前足を舐める。
「
「……くっ!」
飄々と返され、私は悔しさで俯いた。
「ほれ、急いで買いに行け。あとな、濡れてもいいような敷物も買っておくといい」
「敷物?なんで?」
「そのうちわかる。朝一の仕事を増やしたくなければ、絵の下に敷いておけ」
ヨキは前足で搬入されたばかりの絵の下を指した。
彼は画廊に搬入される絵を見ては、こんな風に指示を出すことがある。
大抵そんな時は、ワケアリの
「わかったわ……猫缶もね……」
「うむ。店番は任せろ」
私の返答に、ヨキは満足して受付に向かう。
そして、猫又の能力でドロンと人に化けると、どっかりと椅子に腰かけた。
黒の着流しに濃い藤色の羽織。
漆黒で艶のある長い髪を下の方でゆったりと結び、涼しげな目でこちらを見る姿は、一見して、画家か小説家といったインテリ風だ。
しかし、時折見せる雰囲気は武闘派を匂わせ、掴み所がなくミステリアスである。
ヨキは台帳に目を落としながら、手で私を軽く払った。
……早く行け、ね。
軽く溜め息をつくと、私は店を出た。
そして、商店街の中にある小さめの雑貨屋とペットショップをハシゴしたのである。
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