「ごめんくださいまし!」

 私は目の前に建つ表長屋の玄関に向かって、声をかけた。真新しい表長屋には、この店が『葉茶屋』であることを示す布が掲げられており、お茶っ葉のいい香りが、私の鼻腔をくすぐる。

「はいはい! 何でございましょう?」

 この『葉茶屋』の旦那さんだろうか? 威勢のいい声で男性が、私を出迎えてくれる。しかし店から出てきた彼の顔には何処か影があり、空元気のようにも見えた。

 そんな彼に、私は手もみをしながら営業用の笑顔を浮かべ、要件を述べる。

「あの、私深川で『貸本屋』を営んでおる者でして。この度、こちら、深川に新しくお店をお出しになられたということで、ご挨拶に伺わせていただきました。同じ深川で商いを営んでいるのも、何かのご縁。今後何卒ご贔屓に使っていただければと思いまして」

 何もない場所に、一瞬で家が建つなんてことはあり得ない。家が建つにつれてどんな家が建つのか噂になり、どんな人が越してくるのかも、近所では噂になる。

 私は昨日この家が完成し、今日から本格的に『葉茶屋』が商売を開始するという話を、この家を建てた大工から聞いていた。聞けば品川にも店を構えている支店が建つということなので、これを期にお得意様を増やそうと考え、私は他のお得意様を回る途中、このお店に寄ったのだ。

 だが、

「あ、『貸本屋』さんなの! ああ、でも、せっかく来てもらって申し訳ないんだけれども、うちは本店が品川にあって、ここはその支店なんだよ。悪いんだけど、贔屓にさせてもらってる『貸本屋』さんは、本店と合わせてるんだ。その方が割引が聞くっていうからさ」

 申し訳無さそうな顔をして、『葉茶屋』の旦那さんがそう言った。私も残念そうな顔を作る。

 とはいえ、断られるのは初めから想定していた。暖簾分けならいざしらず、支店ともなれば本店の方が力が上。本店が贔屓にしている『貸本屋』がいるとなれば、そちらを優先するのは当然のこと。

 だがしかし、そこで引き下がっては商売にならない。地の利を活かして、私は商品を届ける早さを売り込むことにした。

「……とはいえ、品川から本を運んでくるとなると、時間もかかりますでしょう? うちでしたら場所も近うございますし、半刻(一時間)、いや、四半刻(三十分)もあれば、ご要望の品がうちにあるようでしたら、すぐにこちらへお届けできます。どうでしょう?」

「うーん、そう言われてもねぇ。俺もおっかさんも、そこまで本を読みはしないんだよ。悪いんだけど、他をあたってもらえるかな」

「……左様でございますか。ではもし、何かご入用の際はいつでもお声がけください。私、この界隈におりますので」

 残念な結果に意気消沈しそうになるも、最後には笑みを浮かべて一礼する。立つ鳥跡を濁さずだ。一度の失敗で、めげてはいけない。

「そうかい。悪いね」

『葉茶屋』の旦那さんの声を背に、私は歩き出そうとした。

 その時。

「ちょいと、お待ち!」

 店の中から女性の声が聞こえ、私の足を止める。

「その亀の旗印。ひょっとして、噂の『相談屋』さんなんじゃないかい?」

「何? 『相談屋』?」

 女性の言葉に『葉茶屋』の旦那さんは怪訝そうな顔を浮かべ、私は頬を引く付かせた。『葉茶屋』の旦那さんは、その顔で疑問を口にする。

「おっかさん。何だい? その『相談屋』ってのは」

「今朝洗濯してる時に、井戸の所で聞いたんだよ。何でもこの界隈じゃ本好きが始めた『貸本屋』があって、本が好きすぎて『貸さない本屋』があるんだって」

「いえ、この通り本は貸しておりますから!」

『葉茶屋』の奥さんの言葉に、井戸端会議でうちの実情を知られていたという事実に、内心冷や汗を流しながら私は弁明した。だが彼女は私の声が聞こえていないのか、口を閉じることなく店の中から顔を出す。

「その本屋の旦那は毎日本ばかり読んでいて、本は貸さないけれど知識だけは豊富にあるもんから、何か困ったことがあればその旦那に相談すればいいって聞いたんだよ」

「じゃあ、何かい? あんたがその、『相談屋』さんなのかい?」

 いえ、うちは『貸本屋』です、と答えられれば、どれだけ仕事がし易いことだろう。しかし悲しいかな、うちが、正確には先生が『相談屋』として呼ばれているのは、周知の事実だった。

「……はい。そうとも呼ばれております。主に呼ばれているのは私のことではなく、うちの先生のことだと思いますが」

「そうかい? それじゃあ、その『相談屋』の先生に相談したいことがあるんだけれど」

 渋々頷く私に、『葉茶屋』の旦那さんは腕を組みながらそう言った。そんな彼を、奥さんは肘で突く。

「何言ってんだよ、あんた。向こうは『貸本屋』なんだよ? 本も借りずに相談事をしようだなんて、虫が良すぎだよ」

「え? おっかさん、今『貸さない本屋』って言ったばかりじゃねぇか」

「ですから、貸しております!」

 首を捻る『葉茶屋』の旦那さんに向かって、私は再度叫んだ。ああ、もう! だからややこしいのにっ!

 奥さんが旦那さんに耳打ちをして、ようやく納得したのか、彼は一つ膝を叩く。

「なるほど! それじゃあ俺の相談事が解決出来れば、あんたんとこから本を借りようじゃねぇかっ!」

「はい、ありがとうございます!」

『貸本屋』の仕事ではないが、本を貸して回っているとこうしてお客様から相談事を聞くことも、多々ある。そうした相談事を解決する『相談屋』としての顔が、うちのもう一つの需要だった。

『貸本屋』としてではなく、『相談屋』として名が売れていく現状に思うこともあるが、今は何よりお金が大事。

 大体、『相談屋』という名も、先生が何でもかんでも相談事を聞いてくるのが原因で付けられたようなものなのだ。その原因である先生には、今回の相談についてもしっかりと働いて解決してもらわなければならない。

 しかし一方で、私はこうも考えていた。相談の内容によっては、私一人で解決出来る可能性もある。そうすれば、私一人で稼ぎを上げる、先生に恩返しが出来るかもしれない。

 そう考えると、俄然やる気が湧いてくる。私は密かに闘志を燃やしながら、相談事を伺うことにした。

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