第21話 魔法使いの話

 野茨のいばらの茂みを飛び越え、楓の大木を半周してから、樫の木の枝に掛けた標的を矢で射抜く。


「ちょっと待ってよ。レナ、速い!」


 悪態をつきながらヘロヘロになったノノが追いついた時には、レナロッテは持ち手になめし革を巻いた木剣で素振りをしていた。


「遅いぞ、ノノ!」


 木剣の切っ先を向けて、女騎士が微笑む。

 目覚ましい回復を遂げたレナロッテは、森の中に独自の訓練コースを作って鍛錬に励んでいる。……お目付け役のノノにはいい迷惑だ。


「毎日よく飽きないよねー」


 岩の上に座って膝に肘を置いて頬杖をついて、子狐は呆れたように繰り返される女騎士の剣舞の型を眺めている。


「一日修行を怠れば、取り戻すのに三日は掛かる。早く勘を戻して職場復帰しないと!」


「貴族夫人って家に入るもんじゃないの?」


「ブルーノは三男だからな。ペルグラン本家の屋敷からは出なくてはならないから、二人で家を買うためには稼がないとな!」


 現実的な問題だった。


「でも、毎日続けなきゃ衰えるなんて、人間も大変だね」


 小馬鹿にしたノノの言い方に、ムッとする。


「魔法使いは修行しないのか?」


「他人に知識を学ぶことはあるけど、基本魔法使いは生まれた時から魔法使いだからね。なまけたって魔法使いのままだよ」


「へえ」


 良いのか悪いのか。


「そういえば、ノノ達はいつからこの森に棲んでるんだ?」


 レナロッテがこの森に来たのは、母が夢物語に聴かせてくれたからで、後に知った白樺印の膏薬は祖父の代からあるものだ。


「んーと、ここら一体が今の領主の土地になる前からだよ」


 ……ということは。五十年以上は経っているはずだ。


「ノノはいくつなんだ?」


 ストレートに訊いてみると、


「ボクは若いよ。第三岩漿がんしょう戦役より後に創られたから」


「岩漿って……」


 その言葉には聞き覚えがあった。


「あのヴォルケン山からマグマの巨人が現れて、国の半分を焦土にしたっていうおとぎ話のことか!?」


 ヴォルケン山はデトワール王国の北東にある休火山だ。言い伝えでは数百年に一度火山が噴火し、火口から巨人が這い出して地表を灼き尽くすのだという。


「まあ、人間にとってはおとぎ話かな。大昔から、マグマの巨人が現れる度、人間と魔法使いは協力して巨人と戦い、火口へと押し戻してきたんだ。お師様は三度目の戦役には出たんだって」


 昔話では第三岩漿戦役は今から三百年前とされている。

 ……あの二十代半ばにしか見えないフォリウムは、三百歳を超えるというのか。


「にわかには信じられない話だ」


 呆然と呟くレナロッテに、


「信じられないように教育されたんだよ、は」


 ノノが事も無げに言う。


「第三岩漿戦役に勝利した後、人間は魔法使いの強大な能力を恐れて迫害したんだ。そりゃあもう恐ろしい方法で。多くの同胞を失った魔法使い達は、人間の入って来れない場所を創って逃げ込んだ。それが結界だよ」


「結界……」


「結界は魔力を持つ者か、よほど意志の強い者にしか破れない。レナだって、魔物に憑かれてなかったらここまで辿り着けなかったよ」


 魔物に飲み込まれなければ、魔物から解放される術に出会えなかった。運命とは皮肉なものだ。


「私はこの森を出たら、もうノノ達に会えなくなるのか?」


「どうかな。結界を認知した者は通りやすいから。でも……、あんまり来て欲しくない」


 そっぽを向いて、ノノが零す。


「人間は裏切るし、すぐ死ぬから。お師様はたくさん人と関わって、たくさんの死を見送ってきたんだ。寂しくって、ボクを創っちゃうくらいに。だから、人とは深く付き合いたくない」


「……私は、裏切らない」


「でも、ボク達と同じ時間は生きられないでしょ?」


 そう言われたら……否定できない。


「冷えてきたね。帰ろっか」


 夕暮れが迫る。大きな尻尾を揺らし、子狐は岩から飛び降りた。


「今日はこの前仕込んだ猪肉の塩漬けで……」


 献立を発表するノノの声が止まる。三角耳がピンっと立った。


「ノノ?」


 立ち止まった子供を覗き込むと、


「シッ!」


 鋭く叱咤される。


「……まずいな」


 尻尾の毛が逆立ち、膨れ上がる。レナロッテも漸く気がついた。


「囲まれてる」


 姿は見えなくても、気配で判る。

 背中合わせに警戒するノノとレナロッテ。目線の先の藪がガサリと揺れる。

 頭を下げ、緩慢な足取りで現れたのは……狼だ。その数、三十頭強。

 レナロッテはゴクリと唾を飲み、弓に矢をつがえた。

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