第10話 石鹸作り
材料が揃い、ようやく石鹸作りが始まった。
石鹸の作り方は至ってシンプルだ。人肌よりも高めに温めた油に灰汁を入れ、ひたすらかき混ぜるのだ。
「ふにゅ〜、疲れましたぁ」
子狐姿のノノは、踏み台代わりに椅子の上に立ち、作業テーブルに置かれた大きなボウルの中身をヘラで混ぜていた。小さな子供の体では重労働に見えるが……。
(大人に化けてやったらいいのに)
というツッコミを、レナロッテは辛うじて心の中だけに留めた。ノノに余計なことをいうと、嫌味混じりの屁理屈が何百倍にもなって返ってくることを、今までの生活で彼女は学習していた。
「代わりますよ、ノノ」
子供の弟子からヘラを受け取って、今度は大人の魔法使いが石鹸の元を撹拌する。二人でボウルに向き合う姿は、仲良く料理をする親子のようだ。
サラサラだったオリーブオイルとホリーの灰汁がもったりと白く纏まってきたところで、乾燥させてすり潰したロウワンの実を入れる。白い石鹸の元に赤いツブツブが混じって、
「ちょっと美味しそうです」
ノノがじゅるりと舌舐めずりする。
「これを型に入れて、固まるまで待ちましょう」
まだ柔らかい石鹸を木型に流し込み、しばしの休憩だ。
テーブルを片付けお茶を淹れ、ノノが買ってきたナッツのヌガーでティータイム。
「そういえば。昨日、森の前で変な人に会いましたよ」
口の周りをヌガーでベトベトにしながら、狐の子が切り出す。
「変な人?」
「深い紺色の服に勲章をいっぱいつけてて……、多分軍人さんです」
聞き返すフォリウムにノノが答えた瞬間、盥の水がばしゃっと跳ねた。
「ぐん、じん……!」
濃紺は王国軍の正装用軍服だ。しかも、将校――騎士クラス――の。
「だ、れ!? な……にを、してたんだ?」
触手を痙攣させながら盥から這い出してくる紫の蛭に、ノノは尻尾をボワボワに膨らませて椅子ごと
「キモいから出てくんな! 名前は訊いてないよ。ただ、人を捜してるって」
「ひ、と?」
律儀に盥の中まで引っ込んで、レナロッテが鸚鵡返しする。
「えっと、オレンジブロンドで、瞳は青。背の高い綺麗な女性だとか……」
バッシャン!!
言い終わる前に、レナロッテは立ち上がっていた。
「わ、たし……だ」
「へ?」
「ぶるー、の。ブルーノが、わたしを、さがしにきて……くれた!」
レナロッテは大粒の涙を零しながらノノに駆け寄った。
……しかしその行動は、他人の目から見れば、真紫の巨大な蛭が全身から粘液を
「ぎゃー! たすけてー!」
ノノはおやつの皿を抱えて逃げ出した。だが、レナロッテだって騎士だ。素早く子供の逃走経路を予測をして壁際に追い詰め、退路を断つ。
「ど、こ?」
ぶにょぶにょの触手が、暴れるノノの両肩をがっしり掴む。
「ブルーの、は、どこ!?」
「ひ……っ」
自分の倍はありそうな毒々しい粘体に見下され、がっくんがっくんと肩を揺すられ、ノノは恐怖に硬直する。
「ど、こ? どこな、の! どこに……」
「レナロッテさん」
興奮に我を忘れたバケモノの耳に、静かな声が響いた。
「落ち着いてください。ノノが固まってますよ」
フォリウムの言葉がレナロッテの荒れた心を
「お師様、あいつヤバい! 酷いです!」
師匠の首に抱きつき、膝の上でギャンギャン抗議する。子供は頭からバケツを引っくり返されたように、上から下まで粘液でドロドロだ。
「まあ、レナロッテさんだって悪気があったわけじゃないですから」
「悪気がないからって、何やったて許されるわけじゃありません!」
涙目の弟子の汚れた顔を、師匠は苦笑しながらローブの袖で拭ってやる。
「レナロッテさん、焦らずゆっくり話してください。これ以上ノノを怯えさせるのであれば、貴女を別の場所に移さねばなりません。解りますね?」
初めてフォリウムに窘められて、巨大な蛭は神妙に頷く。
「ノノも。騒がずレナロッテさんの質問に答えてあげてください」
師匠に目を向けられた弟子は、唇を尖らせる。
「なんでこんな凶暴なヤツのために」
「私からのお願いです。レナロッテさんが不安定なのは、魔物に蝕まれているからです。ノノの手助けがあれば、回復が早まりますよ」
暗に『早く追い出したいなら早く治療するしかない』と言われて、ノノは渋々受け入れる。
「で、何が聞きたいの?」
フォリウムの膝の上から、ノノはレナロッテを睨みつける。
彼女は盥の場所まで下がり、師弟から十分距離を取ってから、ゆっくりと……衝撃の告白をした。
「……ノノが見た、ひとが、さがし……てたの、わたし、だ」
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