第31話「じゃあ、あなたが私の初めての相手になってくれるとでも言うの?」
聖女ラウラの行方がわからなくなっていることと、先代聖女サリタが未だ聖女の力を有していることが判明したことから、聖職者と神官は「新たな神託が降りるまではサリタを聖女と位置づける」と信徒たちに公表した。
もちろん、ラウラの神託が仕組まれたものであったことは伏せられたままだ。高位聖職者が神託を偽装することなどあってはならないゆえに、表向きには「なかったこと」として処理された。
ブロテ侯爵とカルド伯爵は共謀してロッソトリアの聖女の妹を聖獣とともにラグナベルデに連れてきたのではなく、ラウラと聖獣が勝手についてきてしまった。ラウラの神託は間違いではなかったが、残念ながら行方不明となってしまった。ブロテ侯爵は身寄りのない人々の墓地を敷地内に造り、弔っていた。前の副神官長エドガルドは、失火が原因で命を落とした。
聖教会の沽券に関わる問題は、決して表沙汰になることがない。内々で処理がなされた。
ハァと大きな溜め息をついて、フィデルはそうサリタに報告した。あれから既に一ヶ月がたっているが、ようやく聖教会の結論が出たのだ。
「――ということですが、ブロテ侯爵の聖職は失効となり指名手配されることになりました。カルド伯爵は幽閉。どちらの爵位も、近親者が継ぐことになるでしょう」
「そう……」
「サリタ様におかれましては、前と同じように聖母神に祈りを捧げ、国と民を『瘴気の澱』から守る役割を担っていただくことになります」
ラグナベルデ王国始まって以来、初めての「出戻り聖女」である。信徒たちからは驚きをもって歓迎されたものの、結婚したのに処女であったということを全国民に知られてしまったサリタは、非常に落ち込んでいる。腹部の傷が痛むから、と理由をつけて信徒たちの前には出ないようにしている上、副神官長に夜毎「再婚相手を早く見つけて」と切望するほどに落ち込んでいる。
「記憶を失ったふりはまだ続けるのですか? 勇者殿にはバレているのでしょう?」
「……もうバレバレよ。私の反応を見て面白がっているのよ、エリアスは。最低。最悪だわ」
「愚かな嘘をつくからですよ」
「それは、まぁ、そうね、愚かだった。それは認めるわ」
サリタは来客用のソファの上で「どうしてあんな嘘をついてしまったのかしら」と嘆く。記憶をなくしたふりをすればエリアスが諦めると思ったのだが、諦めるような男ではなかった。サリタのついた嘘に乗っかり、「俺たちは夫婦だ」と嘘を加えるような男なのだ。
「もう嫌だ……早く再婚してしまいたい」
「元聖騎士のレグロ殿といい雰囲気だったのでは?」
「聖女だってバレてから、正式にお断りされたわよ」
サリタは顔を覆う。
ただの未亡人女官サリィならまだしも、聖女サリタを妻にすることは考えられない、自分にはできない、とレグロは言った。娘のように接してきた聖女と再婚することはどうしてもできない、ときっぱりはっきり断られたのだ。
「レグロのああいう誠実なところ、めちゃくちゃ好きだったんだけどなぁ」とサリタは溜め息をつく。フラれたことには納得しているのだ。
「それで、私の再婚相手はまだ見つからないの?」
「出戻り聖女と結婚したいという奇特な人間はなかなか見つかりませんよ。愛人ならともかく」
「そんな!」
「私の知る限り、聖女様との結婚を望んでいる人物は一人しかいません」
一人、の顔を思い浮かべると鳥肌が立つ。サリタは両腕をごしごしと擦りながら、「彼だけは絶対に嫌」と喚く。
「ロランド・バルデスはどうなさったのですか?」
「ロランドは……お店のお客様との結婚が決まったみたいよ」
「それは残念でしたね」
「いいの、彼は素敵な人だから。きっと幸せになれるわ。私の幸せはどこに落ちているのかしら」
「幸せはそのあたりに落ちているものなのですか?」
フィデルの嫌味な反応を無視し、サリタは冷たくなった香茶を飲む。誰かが捨てた、落ちているような幸せであっても、今なら大喜びで拾ってしまいそうなサリタである。
「そもそも、なぜ結婚したいのですか?」
フィデルの心からの疑問に、サリタは驚いて顔を上げる。
「幸せになりたいのですか? それとも、ただ勇者殿から逃げ出したいだけなのですか?」
「勇者から逃げ出して、幸せになりたいの」
「それは難しいでしょう。聖女様がベルトラン殿と結婚なさっても、勇者殿は諦めなかったのですから」
フィデルの言葉に、サリタは溜め息をつくしかない。
エリアスはどこまででも追ってくる。たとえサリタが誰かと再婚したとしても、ベルトランのときと同じようにまたやってくるに違いない。そのとき、夫がエリアスを退けてくれるのならいいのだが、ベルトランのようにエリアスを招き入れてしまうかもしれない。まだ見ぬ夫に期待はできない。
「私はただ、結婚して幸せになりたいだけなのに」
「はぁ。結婚しないと幸せになれないとでも? 結婚すれば無条件で幸せになれるとでも思っているのですか? それは浅慮すぎませんか?」
フィデルの辛辣な物言いに、サリタはうなだれる。
「……そうね、フィデルの言う通りよ。結婚すること自体が幸せなのではないわね。その後の生活によって、幸せや不幸せが蓄積されていくものだわ。ベルトランとの結婚生活は、穏やかで、とても幸せだった。もう一回それを味わいたいと思うくらいには、幸せだったのよ」
行き遅れかつ出戻りの聖女だ。多くは望めないだろうとサリタにもわかっている。だが、「エリアスとだけは結婚したくない」という条件だけは譲れない。
「もう諦めたらどうですか」
「他人事だと思って」
「他人事ですから」
エリアスから逃げることと、誰かと結婚することは同時でなくてもいい。サリタはふと思う。ベルトランと結婚しても、エリアスから逃げ出すことはできなかった。ならば、先にエリアスから逃げ出すことを考えるべきなのではないかと。
「エリアスは、勇者はラグナベルデ王国から出られない……じゃあ、私が国外に出ればいいんじゃない?」
「あなたが聖女である間は無理ですよ」
「……仕方ないわ。じゃあ、扉番の聖騎士にでも純潔を奪ってもらって、聖女の資格を失うしかないわね」
目を丸くするフィデルに気づかず、サリタは「いいことを思いついた」とばかりにソファから立ち上がる。フィデルは慌てて椅子を倒し、部屋から出ていこうとしたサリタを追いかける。
「な、何を考えていらっしゃるのですか、あなたは」
「だから、純潔を奪ってもらいに」
「なりません、なりません! 聖女の仕事はどうなさるのですか! せっかく、偽物ではなく本物の聖女が戻ってきたことを信徒たちに示したというのに。また彼らを裏切るのですか!」
「別にいいじゃない。出戻り聖女なんて一時的なものだと信徒たちもわかっているでしょ。若くて可愛らしい聖女様を迎えたほうが、国民にとってもいいんじゃないかしら?」
「だからといって、扉番の聖騎士などと――」
扉の前で立ちふさがるフィデルを見上げ、サリタは溜め息をつく。
「じゃあ、あなたが私の初めての相手になってくれるとでも言うの?」
「……え」
「無理よね。神官も聖母神に純潔を捧げているんだもの。どうして聖職者と聖騎士と勇者は妻帯が許されるのに、神官と聖女は許されないのかしら? どうして清らかでなければならないのかしら? ねーえ、おかしくない? おかしいわよね?」
「ち、ちかい、近いです、聖女様」
うろたえるフィデルを扉のほうへと押しやり、サリタは深い溜め息をついたあと、バン、と扉を叩いた。フィデルをその両腕の中に閉じ込める形で。
「……フィデル。あなた、私に『愛人になりますか』なんて聞いたわよねーえ? あれは、神官を辞めてもいいという意味だったのかしら?」
「あの、待っ、」
「聖騎士に奪われるくらいなら私が、なんていう気概はないの!?」
どうしても勇者の包囲網から逃げ出したい聖女に睨まれ、副神官長は顔を真っ赤にして縮み上がる。「心の準備が」と尻込みするフィデルの体を神官服の上から触り、「細い」と嘆くサリタの視界がぐらりと揺れた。
「何? すごい音がしたけど、何かあった? 副神官長……どの?」
「わあ……あぐっ」
「いったぁ」
突然開かれた扉のせいで、フィデルとサリタは床に倒れ込む。サリタがフィデルを押し倒す形で。フィデルがサリタを抱き止める形で。
「……何、しているの、二人で」
その冷ややかな声に、二人は硬直する。この姿を絶対に見られてはならない人物が、凄まじい怒気を孕んでそこに立っている。空気がヒリヒリするほどの勢いだ。
「ち、ちがっ、誤解、誤解です、勇者殿っ」
「うふふ、フィデルったら。私を愛人にしたがっているく・せ・に」
「ちょっ、聖女様!?」
「副神官長殿? どういうこと? え? ねぇ、どういうこと?」
険悪な雰囲気になっているエリアスとフィデルの誤解を解くことなく、サリタは颯爽と聖女宮に向けて駆け出した。フィデルの悲鳴が聞こえたような気がしたが、気にしない。エリアスが自分の名前を呼んでいるような気がするが、気にしない。
聖女の資格を失ったあと、国外に出てしまえば勇者が追ってくることはできないと気づいたサリタは、心軽やかに聖女宮へと戻っていった。それはもう、ウキウキで。
後日、聖女宮の扉番はなぜか聖女サリタに口説かれ迫られるという噂が立ち、夜間の扉番をやりたがる聖騎士が少なくなるのだが、それはまた別の話。
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