第28話「うん。許されるんだ。俺、勇者だから」
「ボクはエリアスから命令されて、音痴な歌声を探していたんだよ。大体の場所がわかったからってさ、エリアスったらプルケルからボクを放り投げるんだもん、酷いよねぇ。怪我するかと思ったよ」
音痴な歌声をたどっていけばいずれサリタにたどり着く――エリアスはウェールスにそう指示したらしい。「音痴で悪かったわね」と悪態をつきながらも、音痴が初めて役に立ったことを、サリタは内心喜んでいる。
階段を上り、邸の一階に出ても、周りに警備兵などはいない。浪費家の奥方のせいで兵を雇う余裕がないのだと、ピアが言っていた。サリタはあたりを窺いながら、厨房の扉へと向かう。
「アンギスがどこにいるか、音でわかる? 瓶に閉じ込められてしまったの」
「瓶……あぁ、ごそごそ動いている音が聞こえるね」
「どこ? 出してあげなくちゃ」
「うーん。だんだん近づいてくるよ」
あたりを見回したサリタの目に映ったのは、黒い瓶を持った少年の姿だ。モータこと、モタビリー。ウェールスは「へえ」と驚きの声を上げる。
「キミ、聖獣だねぇ。ボク、他国の聖獣なんて初めて見たよ」
「他国?」
モタビリーはウェールスの言葉に応えることなく、瓶をサリタのほうに放り投げた。慌ててそれを受け取り、サリタは中の聖獣アンギスを救出する。
「アンギス! 無事!? 怪我はない!?」
金色のヘビは赤い舌をチロリと出したあと、すぐにサリタの手首に巻き付いた。そうして、また眠り始める。
「モータ……モタビリー。あなた、何者なの?」
「そこの聖獣が言った通りだよ。僕はロッソトリア王国の聖獣」
「ロッソトリア?」
「ラウラの、お姉さんの聖獣なんだ」
ラウラの姉がロッソトリア王国の聖女であることを、サリタは初めて知った。妹ラウラにも聖女の資質があることに気づいた誰かが――カルド伯爵か、ブロテ侯爵が、ラグナベルデ王国に連れてきたのだろう。そうして、偽物の聖女として祭り上げたということだ。
「うーん。でも、キミ、ロッソトリアにしばらく帰っていないでしょ? 聖獣は国から離れては生きていけない……そろそろ死ぬよ?」
「え」
「さすが、ラグナベルデの聖獣。そうなんだ。僕、そろそろ死ぬんだよ」
月明かりの下だけで顔色を判断することはできないが、確かに先日会ったときよりもずっとやつれているように見える。
「えっ、どうして」
「仕方ないんだ。チェーリアからラウラを引き離して、ここに連れてきてしまった僕が悪いんだ。ラウラの幸せのためだって言われて……僕が馬鹿だったから」
チェーリアがラウラの姉であり、ロッソトリアの聖女であることをサリタは理解する。モタビリーは誰かに騙され、ラウラをラグナベルデの聖女にしてしまったのだ。
聖獣は聖母神から国々に授けられた聖母神の分身だ。長期間、国土から離れては生きていけない。消滅するとされている。
「どうしよう、ウェールス。エリアスは? プルケルに乗せて、モタビリーをロッソトリアに連れて行くことってできる?」
「プルケルでもロッソトリアまで二日はかかるよ。それまで、生きていられないんじゃないかな」
「そんな……!」
サリタとウェールスを眺めながら、モタビリーは「いいんだよ」と力なく笑う。「良くない!」とサリタは憤る。
聖獣は、聖女や勇者とともに国を守る存在だ。名もない聖獣であっても、森深くに隠れた聖獣であっても、失うだけで国益を損なうものだ。
「チェーリア様もラウラ様も、モタビリーが消滅することを望んではいないでしょう? 何とかするから、そんな弱気なことは言わないで……!」
「でも、どうするの? 国から国へ簡単に移動する方法なんて」
「ラグナベルデからロッソトリアまで……すぐに移動する方法……あっ! 『道』を使えばいいんだわ!」
サリタは使ったことがないが、フィデルなら他国の聖教会本部直通の『道』を使うことができる。すぐに目的の国へたどり着くことができるのだ。
「急いで神殿に戻らなくちゃ! 馬車だと間に合わない……それこそ、プルケルじゃないと」
「させるものか!」
その声に、サリタは慌てて振り向く。
髪を振り乱し、すすだらけの男が廊下に立っている。ゼェハァと荒く息をしているのは、急いでここにやってきたからであろう。
「ブロテ、侯爵」
「そそ、そいつは、ビクトリアの聖獣になるんだ! ビクトリアの!」
他国の聖獣を他国の聖女や勇者が使役することはできない。そんな初歩的な教えが、ブロテ侯爵からは抜け落ちている。サリタは額に手をやり、溜め息を吐き出す。
「こんな愚かな男が聖職者の中にいるだなんて……」
「もう、お前に用はない! 先程、ビクトリアが初潮を迎えた! もう、お前は! 死んでもいい!」
月夜の下、剣先が鈍くきらめく。短い剣を持ち、侯爵は肩で息をしている。切っ先は震えているが、鋭い眼光がサリタを睨む。
「ハハハ! 死ね! ビクトリアのために死ね!」
サリタはしっかりと木の板を構える。うまくすれば横殴り一撃で仕留められるかもしれない。そんなふうに考えながら、足を踏ん張る。
「死ね!!」
サリタはぎゅっと木の板を握りしめたが、その前に、鈍い音とともに侯爵の姿が視界から消えた。
「え」
「ダメだよー、侯爵。俺の奥さんにそんな物騒なもの突きつけちゃあ」
倒れた侯爵の上で馬乗りになっていたのは、サリタが最も会いたくない――けれど、彼の聖獣には用がある、男。
「ブロテキビの畑、ちゃーんと焼いて綺麗にしてくれるって。あなたの後始末をしてくれるんだって。良かったね、素晴らしいご子息をお持ちで。もう一人は逃げ出したみたいだけどね? ほんと、どっちが嫡男にふさわしいんだか」
「ええい、離せ! 離せ! 離せっ!!」
エリアスは侯爵が持っていた短剣を遠くに蹴飛ばし、太い縄でさっさと縛り上げる。白銀の衣装も、顔も、すすだらけ。今まで畑にいたのだろう。
侯爵の後始末を申し出たのは、おそらくロランドだ。そういう男だとサリタも知っている。
「あ、大丈夫。燃やしたあとは、ちゃーんと聖水をかけて消火するから。近隣の教会や神殿から、運べる分だけ運んでもらっているからね」
「こんなことが! 許されるとでも!」
「うん。許されるんだ。俺、勇者だから」
エリアスは侯爵から靴を脱がし、それを口の中に突っ込む。そうして、おとなしくなった侯爵を見下ろしたあと、ようやくサリタのほうを向く。真っ直ぐな赤銅色の瞳を、サリタに向ける。
同時に、サリタの視界に、揺れる白いものが映る。サリタは何かを考える前に、体を動かしていた。
「サリタ様、怪我はない?」
サリタは何も言わずにエリアスに抱きつく。ぼん、と顔を真っ赤にするエリアスを、サリタはそのまま押し倒す。鋭い痛みが走るものの、受け止めてくれる腕の優しさに、サリタは安堵する。
「わあぁ、サリタ様から俺に抱きついてくるなんて! 俺めちゃくちゃ幸せなんだけど!」
「……もう、生きていたって、しょうがない……」
エドガルドの低い声に、エリアスがようやく気づく。しかし、既に遅かった。サリタは、腹のあたりを押さえる。熱と、痛みに抗うかのように。
「サリタ様!?」
「……ったぁ、い」
侯爵の短剣を持ったエドガルド。その下で、うずくまったまま動かないサリタ。生成りの服を赤黒く染め、床に落ちていく雫。
すべてを理解したエリアスは、顔色一つ変えず、当然のように剣の柄に手をかける。
エリアスが聖剣を抜くのと、サリタのそばに生温い液体が落ちてくるのは、同時だった。ぐしゃりという音を遠くで聞きながら、サリタは目を閉じ、自分でもよくわからないままに何事かを呟く。
「……アンギス、主人の止血を。プルケル! 王都へ急ぐぞ!」
「エリアス、この聖獣も連れて行くよ。サリタが助けたがっていたから」
「好きにしろ」
金色のヘビが体を這って止血に向かうのを、くすぐったく思いながらサリタは少し目を開ける。サリタを抱き上げ、必死の形相で聖獣プルケルに向かうエリアスの姿を、すすと血で汚れた顔を、ぼんやりと見上げる。
「サリタ様、もう少し我慢して。絶対、助けるから」
「ウェル、スから、聞いて、モタビリ、を、ロッソ、トリアに」
「うん。わかってる。ロッソトリアの聖獣と、ラウラ様のことはフィデルに頼むよ」
ラウラのことを忘れていないエリアスを、サリタは頼もしく思う。モタビリーと一緒に、ラウラもロッソトリアに帰ってしまえばいい。そうすれば、偽証の罪に問われたとしても、所在を特定することができなくなる。カルド伯爵が罪に問われるだけですむ。
「エド、ガ、さま?」
「……死んだ。あとで祓いに行くよ。たぶん、立派な『瘴気の澱』になりそうだから」
「あ……」
あなたが殺したの?
サリタはそう聞くことができなかった。ゆっくり、ゆっくりと、意識は暗闇の中に落ちていくのだった。
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