第26話「早く諦めてくれたらいいのに」
食事は二回、朝と夕方。夕方もピアが運んできた。他にもメイドはいるのだろうが、彼女が係となっているようだ。牢屋に人を閉じ込めていることなど、大勢の使用人に知られたくはないのだろう。
しかし、一度心を許した中年メイドは、サリタによく話しかけてくる。それを悪いことだとは思っていない様子なので、利用しない手はない。
「ロランド様ですか? しばらくお見かけしておりませんねぇ」
どうやらロランドはメイドたちに見つかる前に、この邸から追い出されたようだ。あのあと、おそらくブロテ領に連れ戻されたのだろう。サリタのように牢屋に閉じ込められてはいないのだろう。
「侯爵はよくお出でになられるようね」
「ええ。侯爵様とエドガルド様は義理の兄弟ですし、邸も近いですから」
サリタはパンを口に運ぶ手を止める。
侯爵の邸はブロテ領にあるはずだ。ここは王都に近い場所ではなかったのか。サリタはピアに動揺を悟られないように、必要な情報を引き出す。
「ここは、王都に近い場所ではないの?」
「あら。あなた、流行病で頭がおかしくなってしまったのですか? ここはブロテ領、エドガルド様の邸ですよ。元々は先代侯爵様の別荘ではございますけれど」
木箱の中に閉じ込められていた間に、何日も過ぎていたのだろうか。「違うわね」とサリタは呟く。おそらく、あの聖獣モタビリーの力なのだろう。馬車ごと移動させることなど容易い聖獣なのだ。だから、以前もサリタはいつの間にか王都に到着していたし、今回もブロテ領にやってきてしまった。
しかし、モタビリーはエリアスの聖獣でも、サリタの聖獣でもない。聖獣を使役することができるのは、神託を授かった勇者か聖女だけ。勇者と聖女のそばに侍らず、国内で気ままに過ごす聖獣もいるが、聖なる生き物に対してただの人間が命令することはできない。
あのモタビリーは一体何なのか。誰の聖獣なのか。サリタにはまだわからないことがある。
「……そういえば、誰か、私を尋ねてきた人はいる?」
「いいえ。今日は侯爵様もいらしていませんよ」
ピアの返答に、サリタは小首を傾げる。逃げても追いかける、と豪語していた勇者エリアスがやって来ないのは不思議なことだ。聖獣プルケルに乗ってあの広大な庭にでも降り立つものと思っていた。
助けに来てもらいたいとは微塵も思わないが、勇者が来ないのもそれはそれで不安だ。
「あなた様のご家族の方が心配していらっしゃっても、通すなと言われておりますので……どちらにしてもお会いすることはできませんよ。ですから、早く病気を治さねば」
「ええ。病気の子は増えているの?」
「実は、かなり」
既婚メイドたちが娘を看病をしているので、人手が足りないのだとピアが嘆く。ピアには息子しかいないため、休んだメイドたちの代わりにずっと働いているのだという。
邸の庭にあるブロテキビの量では、流通させるほどの飴玉を作ることはできない。だとすると、ブロテ領のどこかに農園があるのだろうと想像できる。その農園の土の中には、恨みを抱いたまま死んでいった人たちが眠っていると考えると、背筋が冷たくなる。
「……酷いわね」
「そうなんです、かわいそうなものですよ。原因がわからないために、薬も作りようがないと聞いています」
原因はわかっている。だが、ラウラのように昏い痣を直接祓わなければ、体内に入り込んだ『瘴気の澱』を消すことはできない。必要なのは、サリタとエアリスの聖なる力なのだ。
「さすがに疫病は勇者様にも祓うことはできないみたいね」
「そのようですね。最近はあちこちに『瘴気の澱』が現れているので、随分お疲れのようだと聞いておりますし」
先日の聖母会のことだろう。あの酷いクマを信徒たちに見られてしまったと言っていた。
「勇者様はあまりこちらにはいらっしゃらないのかしら?」
「そういえば、いらっしゃいませんね。ブロテ領では『瘴気の澱』があまり出てきませんもの。穏やかな気候のせいなのでしょうかね」
それはおかしい、とサリタはスープを飲む。
亡くなった人はすぐに教会や神殿の聖水で清めて弔いの祈りを捧げなければならない。そうしなければ、『瘴気の澱』が発生してしまうというのがエリアスの考えだ。不慮の事故で亡くなり、何日も遺体が発見されないまま『瘴気の澱』を発生させてしまう人は少なくないはずだ。事故死が特別少ない領地だというわけではないだろう。
ただ、ブロテ侯爵の娘ビクトリアが聖女の資質を授かっているのであれば、その謎も解ける。ビクトリアが聖なる力でブロテ領を守っているのであれば、納得できる。
「ブロテ侯爵のご令嬢、ビクトリア嬢は侯爵に似ていらっしゃるの?」
「それが、全く似ていらっしゃらないんです。ビクトリア様は奥様と同じで、穏やかで優しいお嬢様でいらっしゃいますよ」
ブロテ侯爵が聖職議会の実権を握ることには反対だが、ビクトリアが強い聖なる力を持っているのであれば、できれば聖女の座を譲りたいサリタである。さっさと再婚して、ビクトリアを次の聖女に据え置きたいものだ。
「似なくて良かったわね」
「本当に」
鉄格子を挟み、二人は頷くのだった。
サリタは祈る。ブロテ領では必要がなくとも、地中の『瘴気の澱』まで消すことができるかどうかはわからなくとも、聖母神に国の平和を祈る。牢屋の中から音痴な歌声を捧げる。
この監禁状態がいつまで続くかはわからない。だが、待っていればいずれはどこかに綻びが生まれるはずだ。その隙をついて逃げ出すことはできるはずだ。
サリタは諦めない。
勇者の力を借りずとも、自力で逃げ出そうと心に決めている。エリアスにだけは頼りたくないのだ。エリアスにだけは弱みを見せたくない、その一心だ。
求婚を断り続けるにも力が必要だ。サリタだって心苦しいのだ。求婚を断るということは、エリアスを否定するということなのだから。
「早く諦めてくれたらいいのに」
サリタの溜め息混じりの呟きを、誰も聞いていない。
何年も、何百回もフラれ続けているエリアスも、おそらく同じことを思っているはずだ。早く諦めて俺と結婚してくれたらいいのに――そんなふうに思っているに違いない。
「……それは無理かな」
サリタは毛布に包まる。ところどころがキラキラと光る壁をぼんやりと眺めながら、目を閉じた。
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