第22話「急ぐよ。でもさ、俺が助けに行ったらサリタ様は俺に惚れてくれると思う?」

 祭壇を前にして一番前の長椅子に、ラウラが座っている。今の聖女が大聖母会に現れるのは大変珍しいため、信徒たちは涙を流しながら祈りを捧げている。新年を迎える前日の奇跡だと、神殿の周りで騒ぐ信徒たちもいる。

 そのラウラを見通せる位置で、副神官長と勇者は並んで難しい顔をしている。


「で、そっちはどうだったの?」

「あぁ、ロッソトリアですか。長期間滞在して様々な場所を探ってはみましたが、確信が持てるほどの情報はありませんでした」

「何だ、ガセかぁ」

「その代わり、いくつか興味深い話がありましたよ」


 フィデルは周囲を気にしながらエリアスにそれを伝える。


「六国の中央、漆黒地帯から調査隊が持ち帰ったものの中に、どうやら聖なる力を無効化させる石があったようなのです」

「聖なる力を無効化させる石……?」

「ロッソトリアでは『魔石』と呼んでいましたが、それを瓶の製造過程で混ぜることも可能ではないかと」


 ラウラの手に渡っていた小瓶を思い出し、エリアスは頷く。ラウラの養父カルド伯爵の治めるカルド領は、王都から南東の位置、漆黒地帯に隣接している領地だ。カルド伯爵がその存在に気づいていても不思議ではない。材料に魔石が混入していることに気づかないまま、製造している工房があっても不思議ではない。


「ラグナベルデでは今まで魔石の発見の報告がなかったよね?」

「そのような石の存在は聞いたことがありませんね。そもそも、我が国の調査隊の規模は大きくありません。上の者は皆、漆黒地帯に資源を探しに行く手間が惜しいと考えているのでしょう」

「漆黒地帯で新たな資源を求めるほど、財政は逼迫していないということか」


 ラグナベルデは国土が広く、穏やかな気候であるために農業が盛んである。輸出量も多い。わざわざ危険な漆黒地帯に資源を求めるような状況ではないのだ。


「それで、他の興味深い話は?」

「もう一つ。ロッソトリアの聖女様の妹君が、長いこと行方不明となっているようです。妹君にも聖なる力が宿っていたという噂もありました」

「……もちろん、ロッソトリアの聖女様の顔、確認したんだよね?」

「ええ。よく似ておいででした、ラウラ様に」


 エリアスは「なるほどね」と顎をかく。

 ロッソトリアの聖女の妹が、ラウラなのだろう。彼女に聖なる力があることを確信したカルド伯爵が、ラウラをラグナベルデに連れ帰り、養女にしたと考えるのが妥当だ。


「……しかし、カルド伯爵がそんな大それたことを考えつくとは思えないなぁ。遠方のロッソトリアの貴族と親交があると聞いたこともないし」

「それに関しては、一つ別の可能性が浮上しました。先日、先代聖女様からの情報で――」

「さ、サリタ様に会ったの!? 何もしていないだろうね!? 今日、女官たちの視線が何だか生温い感じで、すごく嫌な予感がしたんだよ。まさかお前が関係しているんじゃ!?」


 レグロとのデートの件で、女官たちはエリアスを憐れんだのだろうとフィデルは想像する。だが、訂正する気にもなれないフィデルは、前を向いたまま溜め息をつく。


「ブロテ侯爵が関わっている可能性が出てきました」

「それより、俺の質問に答え……ブロテ侯爵? 南部ブロテ領の? あんまり『瘴気の澱』が発生しない地域だよねぇ。確かにブロテ領の農作物は各国にも輸出されているから、ロッソトリアの人間と関わりがあっても不思議ではないけどさ」

「ただ、動機がわからないのですよ。偽りの聖女様を擁立することで、侯爵にどんな利があるのか」

「ラウラ様はカルド伯爵の養女であって、ブロテ侯爵の娘ではないんだもんな……」


 聖女の父である、ということだけで与れる恩恵は多くはない。現役聖女への手当金や退職後の手当金は微々たるものである。フィデルは既にその手当金の流れが適切であることを確認してある。

 他に大きな恩恵といえば家に「箔」がつくくらいだ。聖女を輩出した家――そんなふうに末代まで褒めそやされるだけだ。


「若い娘に飴玉を食べさせて体力を奪い、偽の聖女を擁立する……どう考えても、利なんてないよなぁ」

「私たちには理解し難い利益があるのでしょうか」


 二人は難しい顔をしてうんうんと唸っている。仲が悪いという噂のある二人が並んで座っているため、仏頂面をしているようにしか見えない。話しかけられる雰囲気ではないため、二人の周りには自然と空席が出てくるものだ。


「飴玉……ねぇ、飴玉の材料って何だっけ?」

「そういえば、ブロテ侯爵にはご令嬢がいるのではありませんでしたか? 飴は砂糖から作られるものでしょう」

「ブロテ侯爵令嬢でしょ? 見かけたことないけど」


 二人は考えることをやめず、それぞれがぶつぶつと呟く。


「砂糖……ブロテキビ? 農作物に『瘴気の澱』が短期間付着するだけでは品質に問題ないはずだけど……」

「ブロテ侯爵は、娘を聖女にしたいのでしょうか?」

「長期間『瘴気の澱』に蝕まれた土地があるとしたら……どうなる?」

「もし、侯爵令嬢に聖女の素質があるとしたら……?」


 二人は顔を見合わせる。


「ブロテ領ではあまり『瘴気の澱』が発生していないのでしたね?」

「ああ、少ないほうだよ。それより、地中に染み込んだ『瘴気の澱』をブロテキビの根が吸ったらどうなる?」

「土壌が『瘴気の澱』に汚染された場合の植物の生育状況ですか? あまり例はないようですが、エドガルド殿がまとめていた報告書によると――」


 フィデルは一瞬言葉に詰まる。何かを思い出したかのような表情に、エリアスが怪訝な視線を向ける。


「どうした?」

「エドガルド殿が結婚した相手のことを失念していました。私としたことが。二日前に気づくべきだったのに」

「前の副神官長殿がどうしたって?」

「エドガルド殿の結婚相手は、ブロテ侯爵の妹君です」


『瘴気の澱』に関する情報はすべて神官長や副神官長に共有されるため、エドガルドが何らかの情報を得ていた可能性はある――フィデルの指摘に、エリアスも納得する。


「じゃあ、前の副神官長には魔石の情報が共有されていたかもしれない、ということだよねぇ?」


 エリアスの指摘に、フィデルは目を丸くする。

 意図的に情報を握り潰せる、情報を他者に流すことができる立場の人間が関わっていたとしたら――二人は叫び出したいのを我慢して、その場に立ち上がり、連れ立って足早に神殿の外に出る。周りの信徒たちはラウラに気を取られているため、副神官長と勇者には見向きもしない。


「動機が見えないのは、つまり、伯爵や侯爵の裏に、もう一人いたからなのか!」

「しかし、エドガルド殿が侯爵や伯爵と手を組んだところで、利益があるとは思えません。彼は清廉潔白な神官でした」

「清廉潔白な神官が、神官長を目前にして結婚退職なんてするかな? 普通、一番上に立って自分の理想とする神官を育成したり、組織を改革したり、するもんじゃない? それを捨てて結婚したんだ。俺たちにはわからない利益なのかもしれない」


 副神官長室の前に、うろうろと歩き回っている女官がいる。フィデルの姿を見つけると慌てて女官が駆け寄ってくる。


「フィデル様、申し訳ありません! サリィを見失ってしまいました!」

「何ですって? 聖女宮から出たのですか?」

「はい、申し訳ございません。西二番街のカフェに入ったことは間違いないのですが、そこから戻ってこなくて」


 青ざめるフィデルを見て、エリアスは冷静に「ウェールス!」と聖獣を呼ぶ。長い耳をピクピクと動かしながら、ウサギの聖獣が廊下の隅に現れる。


「ウェールス、サリタ様は?」

「今? 馬車に乗ってどこかへ向かっているよ。そのあたりはエリアスのほうが詳しいでしょ」

「……いや、ダメだ、サリタ様の意識がない。居場所がたどれない。馬車に乗っているんじゃない、乗せられているんだ」


 エリアスは小さな溜め息を零したあと、ウェールスの首根っこを掴む。ウェールスが喚いても暴れても遠慮はしない。


「俺はサリタ様を追う。地中の『瘴気の澱』を吸い上げても枯れない植物があるはずだ。ブロテキビがそれに適合するならば」

「『瘴気の澱』の結晶はブロテキビから作られる、ということですね。わかりました、魔石の存在とともに確認しておきます。……急がないのですか?」


 フィデルは怪訝そうな視線をエリアスに向ける。じたばた暴れる聖獣ウェールスを手に、のんびりしている勇者の意図が読めない様子だ。聖獣プルケルに乗っていけばすぐに追いつくとでも考えているのだろう。


「急ぐよ。でもさ、俺が助けに行ったらサリタ様は俺に惚れてくれると思う?」

「……こんなときに何を考えているのですか」

「サリタ様が惚れてくれるような登場の仕方」


 フィデルは「聖母神よ……なぜこのような男に聖なる力を分け与えたのですか」と、深い深い溜め息をついた。

 ラグナベルデの国民はこんな男を頼りにするしかないのだ。先代聖女の尻を追いかけ回してばかりの変態男に、聖なる力が宿ってしまったこと自体が、この国の悲劇だと言える。


「さっさと、行ってきなさい!」

「うーん、こう、窮地を救ってこその勇者だよね? やっぱ、こう、勇者として活躍する様子を見てもらわないといけないよね?」

「勇者殿!!」


 エリアスはフィデルに脅され、ようやく厩舎のほうへと駆け出す。ヒッポグリフの聖獣プルケルが待つ厩舎へと向かって。



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