第20話「追いかけられたくないのであれば、もう勇者殿と再婚すればいいではないですか」

 フィデル副神官長がロッソトリア王国から戻ってきたのは、大聖母会が目前に迫った二十八日だ。新年を迎えるための聖女宮の飾りつけをしているときに、その報告があった。日中は神官や聖職者たちの目があることを考え、サリタはラウラが寝ついたあとになってこっそりと聖女宮を抜け出した。幸い、扉番は見知らぬ聖騎士だった。

 夜中の神殿は相変わらず静かで寒い。サリタは外套をぎゅうと抱きしめて足早に副神官長室へと向かう。謎の小瓶はポケットにきちんと入れてある。

 ノックをして副神官長室に入ると、山積みになった木箱と、机に向かうフィデルの姿がある。暖炉に火がくべられており、室内はとても暖かい。


「お待ちしておりました、サリィ」

「……フィデル副神官長、報告をいたします」


 ラウラに謎の飴玉が渡っていたこと、それを食べると背中に昏い痣が現れること、飴玉を食べなくなったラウラは体調が良くなったことを順に報告する。エリアスと話した不確定な要素のことは伏せておく。

 フィデルは驚くこともなくサリタの報告を聞いている。エリアスとの調査の過程で予想していた通りのことなのかもしれない。


「カルド伯爵に飴玉を渡した人間がいるとすれば、おそらく高位聖職者の誰か、もしくは高位貴族の誰かということになりますね」

「一人だけ心当たりがあるわ」


 レグロとのデートの際に見かけたブロテ侯爵。彼は南方の領地を管理しているため、ラウラの父であるカルド伯爵とは懇意にしているのだ。そして、高位貴族・高位聖職者という条件に合致している。

 フィデルは興味深そうにサリタの話を聞いている。


「なるほど。ブロテ侯爵なら神託の偽装を行なえるかもしれませんね」

「そのあたりはよくわからないけれど……そんなことして何の得があるのかしら? そもそも、ブロテ侯爵は『瘴気の澱』から飴玉を作ることができるの? あ、そういえば、ロッソトリアで『瘴気の澱』の結晶化は確認できたの?」

「いいえ、残念ながら」

「じゃあ、小瓶の製造から追うことはできる?」


 聖なる力を跳ね除ける力を持つ小瓶だ。黒色の小瓶をポケットから取り出して、フィデルに手渡す。フィデルは明かりに瓶を透かして振る。カラカラと飴玉の音が響く。


「これがその小瓶ですか。私には目視以外で『瘴気の澱』を感知する能力がないので、加工されたらしいこれもただの小瓶と飴玉に見えますが……勇者殿が同じことを言うのであれば、『瘴気の澱』の結晶体が関わっているのでしょう。小瓶の製造場所も含めて、こちらで調べておきましょう」

「お願いするわ」

「……勇者殿とお会いしたのですね」


 フィデルの言葉に、サリタは目を丸くして口を押さえる。サリタの行動ですべてを悟ったのか、フィデルは額を押さえて溜め息をつく。


「絶対に勇者殿に見つからない場所だと思っていましたが、こうもあっさりと見つかってしまうとは……」

「わ、私が悪いわけではないのよ。どうしたって見つかってしまうんだもの。気味が悪いわ」

「ご存知でしたか? 勇者殿はあなたがどこにいるのかわかるようですよ」

「はあっ!?」


 フィデルが差し出した書簡を受け取り、サリタは目を走らせる。マルコスのことが書かれた報告書だ。先代聖女と勇者が関わっていたために、神殿にも報告が上がってきたものだ。そこには確かに「勇者エリアスには先代聖女サリタを感知できる能力があるというが、不確定要素である」という文言がある。


「待って。これが『切り札』だってこと? じゃあ、私が逃げても無駄だっていうこと?」

「不確定要素ではありますがね」

「私、ずっとエリアスに追いかけられるってことじゃないの……! こわっ! 気持ち悪っ!」


 サリタは頭を抱えてソファに崩れ落ちる。怖い気味が悪い気持ち悪いと嘆くサリタに、フィデルは呆れたような視線を寄越す。


「追いかけられたくないのであれば、もう勇者殿と再婚すればいいではないですか」

「そうね、さっさとレグロと再婚してしまえばいいのよね」

「勇者殿ではなく、レグロ殿? 聖騎士を引退した? なるほど、エドガルド殿のことと言い、ああいう人があなたの好みですか」


 フィデルは少し思案して、手元にあった書簡に目を落とす。


「……ブロテ侯爵、でしたね?」

「ええ」

「ブロテ侯爵のご子息から、あなた宛てに手紙が届いております」

「え? なぜ?」


 手渡された書簡の宛名は「聖女宮女官サリィ様」と書かれている。ロランド・バルデス、という名前にもちろん見覚えはない。

 封を開けると、ふわりと花の香りが匂い立つ。美しい筆致――おそらく代筆をした者がいるのだろう、その文章を読んでサリタは悲鳴を上げた。


「えっ、なに、どういうこと? どうして?」

「その反応ですと、何が書かれていたのかは大体推察できますね」

「やだ、怖い、気持ち悪っ」

「やはり求婚の手紙でしたか。困りましたね」


 むせ返るほどの愛の言葉に、鳥肌が立つ。エリアスのせいで「運命だ」とか「ひと目で恋に落ちた」とか「結婚してほしい」という言葉に拒否反応が出てしまうサリタだ。ブロテ侯爵の息子の顔など既に思い出せないが、若い青年だったことは覚えている。もちろん、サリタの好みではない。


「レグロ殿は確か侯爵家の警備を行なっているのではありませんか?」

「ええ。そうだと言っていたわ」

「では、彼との再婚は難しいかもしれませんね。雇い主の息子があなたに求婚を申し込むのであれば、従者としては身を引くのが道理ですからね」

「嘘! そんな! 嘘でしょ! 私、レグロと再婚したかったのに!」


 フィデルは「残念ですが」と笑う。


「他人事だと思って!」

「他人事ですから」

「レグロは、候爵を裏切ってまで私を迎えに来てくれると思う?」

「その可能性は低いでしょう。聖騎士を長年勤め上げた男ですよ。聖職者への忠誠心がなくなるとは思えません」


 サリタは頭を抱える。

 女官に侯爵子息からの求婚を断る権限はない。レグロとの再婚は諦めざるを得ない。


「ブロテ侯爵のご子息との結婚がお嫌でしたら、勇者殿と結婚なさればいいではありませんか」

「どっちも嫌」

「しかし、ロランド殿にはお会いしないといけません。ただの女官に拒否権などありませんから。彼との結婚を回避するには、うまく嫌われないといけませんね」

「ええぇぇ……」


 エリアスか、ロランドか。レグロの家に無理やり押しかけて「さらってください」などと言うことはできない。フィデルの愛人にもなりたくない。現状、エリアスか、ロランドかの二択しかないのがつらいところだ。

 しかし、いい機会だともサリタは考える。


「……でも、うまくすればブロテ候爵の懐に潜り込めるのではないかしら?」

「それは、やめたほうがよろしいのでは」

「うまくすれば、『瘴気の澱』を結晶化させるやり方か、小瓶の製造方法にたどり着けるんじゃないかしら?」

「やめてください、危険です」

「わかった、ロランドに会って、候爵に近づいてみるわ」


 フィデルの言葉など一切聞いていないサリタだ。フィデルは思わず声を荒らげながら、サリタの前にやってくる。


「危険だと申しております! おやめください!」

「あのねぇ、フィデル。普通の女の子が苦しんでいるのよ?」


 目の前に立つフィデルを、サリタは睨む。

 寝たきりで過ごしている女の子たちがいるのだ。ラウラも、飛び跳ねること自体を喜ぶような子だった。体調が良くないからと、若い娘がいろんなことを諦めている。そんな悲しいことを、サリタは許しておけないのだ。


「普通の女の子から自由を奪うことは、絶対に許されないことなの。原因を取り除くことができるかもしれないのだから、頑張って調べるしかないじゃない」

「ですから、そのために私も勇者殿も動いているのです。ずっと前から準備をしているのです。あなたはおとなしく見守っていてください」

「私はおとなしく『瘴気の澱』を祓うだけでいいと?」

「ええ、そうですよ。あなたは祈りを捧げるだけで構わないのです。余計なことをしないでいただきたい」


 フィデルから邪魔者扱いされて、サリタは腹立たしく思うと同時に、納得もしている。自分が焦って事を起こしたせいで二人の計画が水泡に帰することだけは避けたい。

 フィデルから視線をそらし、サリタは溜め息をつく。


「……わかった。余計なことはしないわよ」

「わかっていただけて安心いたしました。今、あなたを失うわけにはいかないのです」

「私が純潔か命を失って正しい神託が降りたら、ラウラ様がどうなるかわからないものね」

「……そういう意味で申し上げたのではないのですが」


 フィデルはサリタに手を伸ばそうとして、やめる。ぎゅうと手のひらを握りしめる。


「……失いたくない」


 小さく零れた言葉と想いに、どうやったらロランドに嫌われるのかを考えているサリタは気づかない。フィデルの寂しそうな笑みにも、もちろん、気づくことはなかった。



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