第10話 源頼光
(一)
あれから僕と綱さんは4時間以上摂関家の庭で待たされ続けている。
「いくらなんでも、僕らのこと忘れちゃってんじゃないかな…。」
うろうろ付近を歩き回る僕を、地面に座ったままの綱さんがたしなめる。
「落ち着いて座っておれ。大臣は御所へ行かれたよし、そのうち我らに何らかの沙汰が下ろう。」
「えっ、沙汰ってよく分かんないけど、まさか処罰されるってこと無いよね。」
綱さんは呆れ顔だ。
「姫様を守れなかったのだ。処断されても仕方ない。」
ええっ…綱さんはともかく僕に姫を守る義務ないっしょ。それでも勇気だして戦ったんだから、褒美くらい出てもいいのに処罰って…。
「いくらなんでも…。」
「とにかく、そこに黙って待っておれ。」
へいへい…。
そのとき、遠くで牛の声、人のざわめきが聞こえた。
「大臣が帰って来られたようだ。いい加減、こっちへきて座って待て。」
しばらくして…目の前の縁側が僅かにきしんだ。
そのきしみがだんだん迫って足音に変わった。
道長さん、援ヤロウ、そしてもうひとり
その姿を見た綱さんの顔が複雑に変化する。
驚愕、不審、そして…もしかして嫌悪?
もうひとりは、どう見ても痩せて白髪のただの老人
綱さんがこんな顔をするとは一体どういう人物なのか。
(二)
「失礼ながら、藤原の大臣に申し上げもうす。このお方が此方へ参られるとは、どういうことにございましょうや?」
援ヤロウが即座に反応した。
「直に申すとは失礼であろう!」
道長さんがよいとそれを手で制した。
「わしの考えぞ。むろん帝のお許しのもとにな…。」
「しかし、そこな御方は…。」
援ヤロウが真っ赤になって怒鳴った。
「重ね重ね無礼であろう!帝のお許しのもと大臣が呼ばれたものを、一介の武士にすぎぬそちがあれこれ言うとは…。」
綱さんはそれでも顔を上げて老人を睨み付けている。
老人は口の端に笑みを浮かべつつ、油断なく綱さんを見ている。
えーと、何があったか知りませんけど…ここはひとつ穏便に
これ以上、緊迫した空気に耐えられない。
「お主、渡邊党の…確か綱とか言うたか。」
老人が初めて口を開いた。
「ご存知か…。戦でもとんとお見かけせぬゆえ、私めのことなぞ知りもされぬかと思いましたぞ。」
「皮肉を申すな。武家の棟梁たるべきこの頼光、渡邊綱のような豪の者を知らぬわけがあるまい。」
「上手を申されることかな…。武家の棟梁であるならば、先の数回の大江山攻め、何故病を理由にただの一度も参陣されなんだかっ!あたら多くの武士が、その命を落としたものを…。」
「いい加減にせぬかっ!」
道長さんが一括した。
さすがの綱さんも地に伏して平伏した。
頼光と名乗った武士は、意に介せぬ様子で身じろぎもしていない。
(三)
僕たちを庭へ残し道長さんたちは奥の間へ引っ込んだ。
その間に怒りに震える綱さんからあの老人のことが聞けた。
老人の名は源頼光
見た目は老けているが、年齢は50歳くらい。
まあ、平均寿命の短いこの時代ではじいさんに入るらしい。
武家の棟梁である源氏の氏の長者…つまり綱をはじめとする日本の武士で一番偉い人だ。
この人、武勇に優れ軍略に長けた人物という評判がある一方で、いずれも大敗北に終わり多数の戦死者を出した大江山討伐戦には病気を理由に参加しなかった。
そのため臆病者よ卑怯者よと武士達の憎しみを一心に集め、世間に出られず引きこもっていたという噂がある男らしい。ズルいやつなんだね。綱さんが嫌いそうなタイプ…。
「姫様を救うという大事に、藤原の大臣はなぜあのような者を呼ばれたのか?わしは理解に苦しむっ!」
うーん、綱さんは怒っているけど、僕にはなんとなく理由がわかる気がする。
前にあったという大江山攻め、おそらくあのじいさんには敗北が見えていたんじゃないかな。綱さんみたく、部下思い忠節一本やりの熱血男にはとんでもないことだろうけど、あのじいさん無駄なことは絶対しない冷徹な合理主義者なんじゃなかろうか。勝ちが見えないと戦わないから軍略の達人って言われる。
そんな人だから、あの酒呑童子に勝つ可能性があると道長さんは考えたんじゃないかな。
綱さんはまだぶつぶつ独り言を続けている。
いい加減落ち着いてくださいよ…。
意外に子供みたいなとこあるんだから…。
そんなことを思っていると、奥の間から足音が聞こえてきて、道長さんを先頭に、援ヤロウ、頼光さんが縁側まで出てきた。
(四)
「なんとっ、たった三名…それも戦に役立たぬこのまれびとも入れてっ!それはさすがに姫様を救うどころか自殺行為でござる。」
驚く綱を頼光が挑発する。
「臆したか…。渡邊綱ともあろう武士が。」
「臆したのではないっ!無謀と申したに過ぎぬ。」
道長が珍しく嘴を挟んだ。
「どう見ても無謀に見えるからこそ上手くいく奇策ということもある。大江山は正攻法では攻められぬ。じゃからこそ、麿は頼光の奇策に賭けてみようと思うた。」
「そうは言われましても…。」
「そちも重々知っておろうが、ただの刀槍では鬼と戦いようがない。屈強な武士が何千いようと同じぞ。しかしそこなまれびとは不思議の道具を使うて、あの酒呑童子を一瞬といえど足止めした。まろは力自慢だけの武士より、むしろ鬼相手なら十分役立つような気がしておる。」
「その点は……わしも同感じゃ。」
頼光が僕をじっと見て言った。
「それに…三名というわけではないぞ。」
ふいに後ろから声がかかった。
振り返ると……晴明さん?いつの間に
晴明さんは見知らぬ若者を連れている。
二人とも僕と綱さんの横に並ぶと膝をついて座り、道長さんたちに深く一礼した。
「晴明よ、そこな若者がそうか…。」
晴明さんは顔を上げると頷いて言った。
「そうです。我が陰陽の一番弟子にて、占いを役目として代々の帝に仕えし卜部の一族…名を季武と申す。」
卜部季武と紹介された若者が顔を上げた。
色白で鋭い切れ長の目、いかにも頭良いって顔だね…
ちょっとすかした感じが、いまいち好きになれんけど…。
「おことの一番弟子とあらば…陰陽の腕は確かか?」
道長さんの問いに晴明さんが頷いた。
「大げさでなく、我が若きころに優るとも劣らぬ腕にて…。式神こそ使えませぬが、天文を読み風火水などを操り、緊縛や速足、剛力など様々な術が使えます。」
今度は道長さんが深く頷く番だった。
「うむっ……軍略に長けた源頼光、鬼斬丸を持つ豪の者・渡邊綱、陰陽道の達人・卜部季武、それに不可思議な道具を使うまれびと。これで…いや、これなら詮子を救えるかもしれぬ。」
「いや、卦を見るところ、姫様を救うにはもうひとり必要です。」
晴明さんが静かに頭を振った。
「晴明…それは何者じゃ?」
そもそも卦を信じない頼光さんが、いぶかしげに晴明さんを見た。
「名までは…。しかしその者、摂津の国は五月山辺りにおると卦が教えております。」
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