大江山異聞

宮内露風

第1話 貴船にて

(一) 

 木漏れ日のなか、夏の終わりを歌う蝉時雨がせわしない。

 流れてくる額の汗を右手で拭いながら山道を昇る。

「碓井クン、何やってんの。遅い遅い!」

 坂の上からややかすれ気味のハイトーンボイスが響く。

「彩芽、ちょっと待ってよ。」

 こいつは幼稚園から幼なじみの渋谷彩芽、小学校から始めた短距離走は国の強化選手に選ばれるほど。168cmの高身長にスラリと脚が伸びた9頭身のモデル体型、艶やかな黒髪を走るために無造作にショートにしている。日に焼けた小麦色の肌が、まくった白いTシャツの肩とデニムのショートパンツから覗く。適度に張りのある筋肉質のお尻が歩くたびにぷりぷり動く。

 うーん、自覚のないセクシーは罪深い。

 しかも、幼稚園のころから男にも女にもモテまくり。

「こら!なにいやらしく鼻の下伸ばしてんのよっ。」

 おっと

 僕は貧弱な身体に重たいリュックをしょい直して坂を登った。

「はやく、はやく。急がないと夜になっちゃうよ。あたし、こんな森で闇の中を歩くのはごめんだからね!」

 僕は碓井光、都内にあるA大学工学部の2回生。学生のかたわら結構人気のyoutuberやってる。

 彩芽は同じ大学の文学部2回生。頼みもしないのにいつもくっついてくる。ひまなんか?それとも…。

 大学の夏休み、youtuberとしての不思議探訪。結構人気でフォロワー50万人まであと少し。

 場所は京都の貴船神社の更に奥、貴船山中にある禁断の地・鏡岩を訪ねてその様子をYouTubeに上げるのだ。ここが何なのか、ここで何があったかはっきりした情報が無い。あくまで噂だが、太古から神降ろしが行われた場所だとか、あの世と繋がっているとか、行方不明者が絶えないので禁足地になったとか、自殺の名所だとか。本当のところは全くわからない。

 相棒はいつもの彩芽。かって犬鳴峠や沖縄の海でえらい目にあったが、ぶつぶつ言いながらもついてくる。本当にひょっとしたら僕のこと…

「なにぼーっとしてんの!あたし帰っちゃうよ。」

「ほいほい。」

(二)

 暗い森の中をしばらく歩くと、山道は獣道になりやがて道が途絶えた。まだ昼間なのに辺りはどんどん暗くなる。ひっきりなしに鳴いていた蝉の声は、いつの間にか聞こえなくなり静寂のみが支配している。

「なにここ?やばくない。」

 夏だというのに寒そうに腕組みした彩芽の肩が小刻みに震えている。

「なに言ってんの。こういうのがリアリティーなんだよ。」

 自撮り棒の先のiPhoneは、森の中でリズミカルに揺れる彩芽のヒップを捉えている。

「こら!なに撮ってんのよ。」

「視聴者サービ…!」

 つかつか寄ってきたちっパイに、ばちんと頬を叩かれた。

「いてて…」

 頬をさする僕を文字通り尻目に、彩芽は怒りに任せてずんずん森の中へ入っていく。

「きゃっ!」

 突然、前から悲鳴が聞こえた。

「どうした!」

 痩せている上に身長160cmしかなく、生まれてこのかた体育の授業を除いて運動らしいものをやってこなかった僕にとって、坂をかけ上がるのは重労働だ。ぜぇぜぇ言いながら追い付く。

「ねぇ、これ虫!信じらんなーい。」

 なんだよ、小さな蛾じゃないか。そうだった。スポーツ万能、成績優秀の彩芽の唯一の弱点は虫だった。

 ひらひら舞う蛾を手で追い払う。

「どっか行ったよ。」

 彩芽を見ると顔面蒼白

 今度は毛虫でもいたのかよ?

 彩芽は大きな目を見開いて震える右手で前方を指差す。

 指の先、深緑の木立の中に朽ちかけた赤い鳥居

 見慣れたものと違うのは、まるで包帯のようにしめ縄が十重二十重に結びつけられているということ。入るなと言わんばかりに…。

(三)

「弱いセキュリティだなー。鳥居の横から入り放題じゃん。」

 iPhoneで動画撮影しながら呟く。

「ねえ、やめない?なんかやばいよ。」

相変わらず青白い顔で彩芽が言う。

確かに、不気味すぎる雰囲気は鈍感な僕でもわかる。

でも、珍しく弱気な彩芽に強いところを見せたかったのかな。口をついて出たのは自分でもびっくりの一言。

「なに言ってんの。大抵の奴が怖じ気づく場所を動画で上げたら、フォロワー一気に100万も夢じゃないよ!」

「そりゃそうかもしれないけどさ。」

長い付き合いだ。こういうとき、負けず嫌いの彩芽を動かすキラーワードを僕は知っている。

「怖いの?」

青白い顔が一瞬で紅潮した。頬を膨らますと勇ましく両手を振って鳥居の横を抜けていく。

そうこなくっちゃ

右手にiPhoneをかざしながら後に続く。

き………ん!

激しい耳鳴り

鳥居の横を抜けるときだ。

左手で耳を押さえうずくまる。

「どうかしたの?」

覗き込む彩芽の顔が心配そうだ。

あれ、耳鳴りが止んだ。

「大丈夫、何でもない。」

また行かないなんて言い出すと面倒だ。

まだ少しふらふらしたが、努めて元気に立ち上がり、これ見よがしにニッと笑ってみせた。あの海賊漫画の主人公みたいに。今度は先頭を歩いてみせよう。

「ちょっと、ちょっと待ってよ!」

彩芽が置いていかれまいと走ってきた。

思わずiPhoneを向ける。

うーん、太ももぶるんぶるん。

(四)

 深い森の中だというのに、前方から台風のような猛烈な風が吹いてきた。これ以上進ませないと言わんばかりに

「ねぇ、これおかしくない?やばいって、もう帰ろうよ。」

 馬鹿言うんじゃない。ここは本物だ。これを映像に残せたら…。

 成功したYouTuberとしてタワマンに住み、良い女を助手席にキャデラックを乗り回す自分が目に浮かんだ。ベタでバブリーかつ陳腐な想像だが、庶民のイマジネーションの限界という奴だ。

 逆風をついて森の奥へ進むと、目の前に一本の杉の巨木が現れた。巨木と一言でいっても桁違い、幹は大人20人で取り囲めるほど太い。一体、樹齢何千年だよ。

「ねぇ、あれ!」

巨木の根元を彩芽が指差す。大きな木に似合いの巨大な岩が縦横に並んでいる。明らかに自然のものではなく、人工の岩穴が根元を穿つように黒々とした口を開けている。一言で説明すると不気味だ。

これが鏡岩?

想像とだいぶ違う。

急に逆風が強まった。

「ねぇ、この風!」

彩芽に言われるまでもない。この強風は岩穴から吹き付けている。いっそう不気味だ。

「この穴、向こう側でどっか外と繋がっているのかも。」

怖じ気を吹き飛ばすように、iPhoneをかざして穴へ向かう。フリーの左手がぎゅっと引かれた。背中にあたるちっパイの感触…。もしかしてノーブラ?

「やばいって…ねえ!」

その瞬間、風が逆巻いた。それも一層強く。

「うわぁぁぁ!」

「きやぁぁぁぁ!」

逆らいようもなく、僕たち二人は岩穴の中へと吸い込まれていった。


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