第24話 インスマウス
(一)
小さな無人駅で降りると鼻をつく独特な魚の臭い
ニューヨークで列車を乗り換えた僕たちは
客車2両の小さな蒸気機関車で港町インスマウスへと
昼間なのに通りには人影がない。
動くものは野良猫とカラスのみ
こんなところに紗耶香ちゃんは居るのだろうか…
「まず、新人がラブクラフトから聞いたという呪われた屋敷とやらがどこにあるのか、この辺で情報収集しないとな。」
賀茂先輩がキョロキョロ辺りを見回す。
「漁師町の常として午後は人通りが無いものだよ。漁は朝が早いからね。」
そう言う左近寺先輩に賀茂先輩が食ってかかった。
「もう寝てるって言うのか!夜まで待てって…。」
左近寺先輩は顔に浴びせかけられる唾をハンカチで拭った。
「そうじゃないよ。映画なんかでもそうだろう…この時間に漁師が集まるところは決まっているのさ。ところで…」
左近寺先輩の視線は入来院先輩に向かった。
「プログラム解析中…うむ、ロスなんちゃらと比べるとここはプログラム構造上より深部であることは間違いなし。ルートディレクトリは近いのではないか。」
入来院先輩はモニターから目を離さずに言った。
左近寺先輩は頷くと賀茂先輩に向き直った。
「解析はプロに任せて、こっちはこっちで情報収集に行こうか。」
僕たちは駅のベンチでパソコンにかじりつく入来院先輩を残して港の方へ向かった。
「先輩、この時間に漁師が集まるところって何処ですか?」
左近寺先輩が微笑む。
この人は本当に大人の余裕みたいなものを持っているなあ…
「そうか…わからないだろうね。そうだね、サラリーマンの仕事終わりをイメージしたらいいよ。」
あっそうか…新橋とかね。そう考えていたら、古びた建物から喧騒が聞こえてきた。
扉の横で50センチ四方の木の看板が振り子のように海風に揺れてる。
Appledore
彫り込まれた字は店の名前だろうか?
左近寺先輩が興味深げに眺めている。
扉は映画で見たことあるスイングドアって両開きのやつ
バタンバン
賀茂先輩がずんずん入っていく。
「オーベット・マーシュって知ってる奴いるかあ!」
ああ先輩、いくらなんでも西部劇じゃないんだから…
(二)
「教祖、言われていた通りの巨大な門が発見されました!」
黒いローブをまとった老人が慌てた様子で部屋に駆け込んで来た。
「ご苦労です。すぐ行きます。」
窓から荒れ狂う海を眺めていたオーベット・マーシュは手にした赤いワインをぐっと飲み干した。
老人が一礼して下がると…部屋中にクククという笑い声がこだました。
ソファーに座る紗耶香は、可笑しくてたまらない様子のオーベットを不思議そうに眺める。
「ああ失礼…プログラムで作ったので門が発見されて当然なのですが、ジリジリしながら待っていた自分が可笑しくてならないのです。」
オーベットは、テーブルの瓶からグラスにワインを注ぐと紗耶香の対面のソファーに座った。
「いったい何をしようとしているんですか!」
ここ数日で話し方すらすっかり変わった紗耶香が言った。
オーベットはニヤニヤしながらグラスを揺らす。
「あなたにはわからないでしょうね。」
紗耶香はかっとして言い返す。
「わかります…邪神を呼び出そうとしているんでしょう!」
赤い液体がグラスの中で渦を巻いている。
「ほほう…それから…。」
紗耶香はうっと詰まった。
「それから……………。」
オーベットは楽しそうに液体を飲み干す。
「教えてあげましょう……私がやろうとしているのは宇宙の変革ですよ。いや、創造と言ってもいい。神でしかなし得ぬ業を、ひとりの人間が最新テクノロジーを利用して成し遂げようとしているのです。愉快ではありませんか……。」
オーベットの高笑いが部屋中に響いた。
「あなたは狂ってる…それは創造なんかじゃない破壊よ!」
紗耶香は笑いをかき消すように立ち上がって叫んだ。
「お静かに…。」
ぱちっ…
オーベットが指を鳴らすと、気を失った紗耶香はソファーに崩れ落ちた。
歩み寄ったオーベットは優しく紗耶香の髪を撫でる。
「光栄に思いなさい。貴女は新しい宇宙の統率者への、最初の捧げ物となるのですから…。」
窓の一つには寂れた港町が映る。
「羽虫が何匹か紛れこんだようですが、残念ながらここにはたどり着けませんよ。自分の力を過信するというのは不幸なことです。」
部屋は再び高笑いに包まれた。
(三)
「ふん…数十のインスマウス人ごときで、このあたしに勝てるとでも思ったのか!」
賀茂先輩がせえせえ息をしながら言った。
「いくらなんでも無茶だよ…生身で乱闘するなんて。」
左近寺先輩が、床を埋め尽くしてのびているインスマウスの漁師たちを避けながらカウンターに向かっていく。
カウンターには魚顔のバーテンが隠れて震えていた。
「手荒い真似をして申し訳ない。僕らはただオーベット・マーシュの居場所が知りたいだけさ。」
言葉と逆に、左近寺先輩は右腕でバーテンの胸ぐらを掴んで吊り上げた。
怖っ…優しい先輩の新たな面を発見。
魚顔はぶるぶる震えながらも顔を背けている。
「言っただろう…手荒い真似をしたくないんだ。時間も少ないようだから、さっさと教えてくれないか。」
左近寺先輩は掴んだ手でギリギリ襟を絞る。
青白い魚顔がみるみる赤くなっていった。
水掻きのある手が先輩の腕をタップし、襟元の力が緩んだ。
ガハッガハッ…
魚顔が苦しそうに息を整える。
「お前ら…ごとき…。」
苦しそうな息の合間にポツポツ喋る。
「あの呪われた館に…たどり着けるものか。」
賀茂先輩がものすごい勢いで距離を詰め、魚顔は悲鳴を上げると両手を前に出して座りこんだ。
「何処だその館っ!どうやって行くっ!」
魚顔は再び吊り上げられた。
その腕が弱々しく外を指す…その先には荒れ狂う海…そのまた先に
「島かっ!」
賀茂先輩はバーを飛び出した。
港の沖…2キロメートルくらいの距離だろうか
うっすらと島が浮かぶ。
よく見ると大きな屋敷のようなものも見えた。
あれが最終目的地…ロープレでいう大ボスの待っている場所か。
(四)
ボボボボボボ…
潮の臭いと独特の軽油の臭いが混じる。
甲板で立っていられないほどの荒海
僕は船室の柱にしがみつきながら、寄せては返す吐き気と戦っていた。
賀茂先輩は船首に立って迫り来る島を見つめ続ける。
合流した入来院先輩は、外の様子に無関心でキーボードを叩き続けている。
ただの金持ちじゃないことを露呈した左近寺先輩は、鍵の無い漁船を手慣れた様子で起動させ、この荒海を普通に操縦している。
島がどんどん大きくなってくる。
「もっと妨害があるかと思っていたけど、なんかすんなりと着けそうだね。島で待つ敵が強大なのか…僕らが大したことないと思われているのか。」
その両方かもです左近寺先輩…そもそも邪神の親玉とどう戦うんですか?作戦らしい作戦、何も聞いてないんですけど…。
ぐらっ…
島に近づくにつれ揺れがどんどん大きくなった。
ひっくり返ってもおかしくない状況で、左近寺先輩は涼しい顔をして船を操り続けている。
テクニックも凄いが、この人のハートも相当に強いな…
賀茂先輩のバランス感覚も凄い。
この大揺れで船首に片足をかけて微動だにしない。
「!…左近寺、何か来る!」
賀茂先輩が叫ぶ。
船がそのままエレベーターに乗せられたように上昇
左近寺先輩が慌てて舵を回すが、海底から浮き上がる黒い影はどんどん大きくなっていく。
船首が突然ぐっと持ち上がり、さすがの賀茂先輩も甲板にしりもちをついた。
「転覆する…海に飛び込めっ!」
賀茂先輩の声に左近寺先輩と入来院先輩が船室を飛び出した。
船首は60度を越えて持ち上がった。
ざざざざざざざ…
波間から巨大な何かが姿を現す。
黒いゴツゴツした皮膚
まぶたの無い魚のような丸い目
鉤爪のある前足…腕?
怪獣というか…まるでゴジ…。
「ダゴンかっ…馬鹿な!」
左近寺先輩の声が波間に消えた。
海が激しく渦巻く。
僕らは次々に海中に引きずり込まれていった。
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