平馬がゆく

嵯峨嶋 掌

Prologue

 夕闇の中にこだまするのは、人のざわめきだけではない。

 通りの喧騒にまぎれて平馬へいま耳朶じだをとらえたいななきは、馬のそれではなく、おそらく昨夜闘ったものの残党どもが付け狙う物音にほかならない。

 ・・・・それと悟った。

 急ぎ足で表通りかられ、脇道を曲がった。

 風が生あたたかいのは、そこに何かが蠢いているからである。それは、ざわざわとした感覚にも似ている。ときには、総毛立つこともある。風の流れの境目にひょいと現れてはたちまち消え失せる瞬息せつなのゆるぎ、ともいえるだろうか。

 平馬にはそれがえる。

 感じるのではなく、色彩として視える。けれど、その色合いのほどを言詞ことばで書き表すのは至難である。


 ・・・・そもそも平馬は文字というものが嫌いなのだ。読み書きが苦手なのではない。むしろ大陸、半島のさまざまな経典や古咒書、伝承古文書などを暗喩している。

 けれど、どうにもこうにも文字の羅列、というものにはいまだに信が置けない。むしろ、五感で感得し、その情報を色彩化させたもろもろの立体的質感として、平馬はとらえる。言詞には成し得ないものにこそ、真理が潜むことを師の不移山人ふいさんじんから学んできた。

 いま、十五歳。

 といえば、この時代、十分に大人おとなである、いやそのような扱いを受けて当然の年齢であった。弟や妹がいるならば、親代わりとなり、あるいは家族を養うために九、十歳頃から商家に奉公見習いにあがる・・・・十五ともなれば収入獲得行動として立派に独り立ちしておかしくない歳頃だと世間は見る。当然の認識である。

 ところが。

 平馬には人並みの暮しというものができない事情を抱えていたし、また、ある意味、この少年は厳密には‘ひと’ではないのかもしれない・・・・。

 いわば、修行僧や行脚あんぎゃひじりのごとく、社会の規定のなかに入らない群れのなかに属していたのであったかもしれず、また、いまより三十年のちには元祿げんろくという、江戸時代を通じても、はなはだ珍しい高度経済・文化成長期、庶民が芝居や珍味や衣類に興味を示しはじめた画期ともいえる時代が到来するのだが、その一方で、そういう風潮には馴染まない一群がかくまう枠外わくそとの空間が確かに存在し続けてきた。

 その一人いちにんが、平馬だといってさしつかえないであろう。

 ちなみに、一日三食が定着していったのも、元祿時代以降のことである。それまでは、庶民も武士も貴族も一日二食が当たり前であった。(富貴の者は、夜に餅菓子や甘系の加工物を食した記録が残っている。)いま、十五歳の平馬の時代は、まだ一日二食なのだとおぼえておけばいい。


 さて。

 平馬の横顔だけをみれば、誰もが女人だと見紛みまがう。

 性の境界というものがあるとすれば、あるいは平馬は、まだどちらの性をも帯びていないのかもしれなかった。

 それは。

 師の不移山人が平馬にかけた避邪へきじゃの呪文の効果ともいえた。なぜなら、物の怪は定型化されない人間ひとをこそ怖れるからだった。


 いままさに。

 杉森すぎもり平馬は長年に渡る不移山人の教えどおり、放浪中の師に代わり、この都にまう無垢の人々を陰ながら守ろうとしてる。

 ここ数日、平馬を悩ませていたのは、河童烏かっぱがらす捕われたまま、いまだに行方が知れないことだった。

 鞍馬時代から平馬の頭や肩をとまり木にして、懐いてきた河童烏のまことの名は平馬は知らない。便宜上、そう名づけてやったもののからすではなく、たかに近似しているが、首から先はどこから眺めても、“河童”なのだ。どういう経緯いきさつでそのような姿をしているのか、あるいは、されてしまったのか、平馬には判らない。

 第一、人には見えない。

 もっとも平馬のようにえる者もいるらしいのだが、そのあたりのことははっきりとはしない。

 それには理由がある。

 河童烏は、ほとんど喋らないし鳴きもしない。ときおり、ふう、ぐぅ、ひぃ、といった、人にたとえれば、ため息ともがっくり息ともとれるを立てるぐらいだった。案外、この類に年輪のようなものがあるとすれば、幾星霜を重ねているのかもしれず、かといって、平馬が物の怪に襲われたときなどは、駿馬のごとく、いや駿鷹のごとく敵を追い散らしてくれたりもする。

 ・・・・三日前の黄昏時もそうだった。

 川べりを歩いていた平馬に突如として手裏剣が四方から飛んできた。伊賀者である。

 平馬にとっては宿敵とも呼べる相手であった。

 かろうじて手裏剣をけた平馬に覆い被さってきたのは、十尺(約三メートル)もあろうかとみえた一つ目の巨人だった。その背に三人の黒装束の覆面が乗っていた。どうやら伊賀者は、物の怪つかいを雇ったらしい。あまりの急襲で巨人に踏みつぶされそうになった頃合いの一瞬のすきをついて態勢を立て直した平馬は、河童烏が巨人の大きな目をめがけて跳んだその羽のざわめきを聴いた。

 ・・・・それが最後の河童烏の抵抗で、そのまま巨大な手で掴まれたまま、覆面の連中も手裏剣を投げてきた伊賀者らもふっとき消えた。なんとも面妖なことである。

 それから毎日、外を駆けては河童烏を、捜していたのだ・・・・。

 ところで。

 平馬へいまは、大刀を帯びていない。つばのない寸の短い刀を腰ではなく、お尻の上に鞘があたるように差していた。

 駆けながら両の腕を後ろに回し、左手で鞘を握った。いざというとき、右側からつかに手を添えやすくするためだ。

 浪人の次男坊。

 と、いうことになっている。実はさる大名家の落胤らくいんなのだが、はばかるところがあって、杉森家の次男という体裁をとっているのは、これまた師の不移山人と公卿の一条家による配慮はからいである。その理由と経緯いきさつ仔細しさい追々じきに明らかになっていくことであろう。

 ・・・・平馬自身、そんなことは思慮のほかにあって、むしろ世間の枠外にまう者々ものどもにより親近をおぼえている。つまるところ、おのれもまた枠外わくそとに属する一人いちにんであることに、おのれの存在事由を感得しているようでもあった。


 まげってはおらず、総髪を首の後ろで束ねているだけで、職人が着る作務衣さむえを仕立て直して、布の間に薄い鉄板を編み込んだ帷子かたびらを着ている。敵がよほどの剣客ではない限り、斬られることを阻止できる。

 そればかりか、悪障をはらう鎧の役割も果たしている。師匠の不移ふい山人さんじんからの餞別せんべつであった。

 

わかっ」

 

 横合いから聴き慣れた声がした。年寄りのわりには甲高いその音質は、竹沢左京衛門さきょうえもんにちがいなかった。

 あるいは。

 なにものかが左京衛門に化けているのか。

 くるりと平馬はきびすを返すと、その人物を鋭く睨んだ。

 すると、左京衛門は皺の多い顔にさらに刻みを増やして、

「な、なにごとでござるか」

と、いてきた。

 たまたま平馬を通りで見かけたのか、捜していたのか、息咳きって肩で息をしている。

じぃめを走らせてはなりますまいぞ」

「あっ!す、すみませぬ」

 ようやく得心して、平馬は左京衛門のかおをみた。


「さて、若よ、昨晩も姿をくらまして・・・・ほうぼう駆けずり回って、一体、なにごとでしょうや。困りますぞ、まことに、難儀でござりますぞよ、勝手に市中をうろつかれては・・・・」


 竹沢左京衛門は、福井藩の重臣おとな、坂崎家の元用人ようにんで、藩公の密命を帯びて、平馬に仕えていた。痩せてはいても、いまもなお往年の剣客の気概というものを持ち合わせている。 


わかを御護りするよう大殿おおとの直々に仰せつかりましたゆえ」


 それだけ言うと、白髪混じりのまげを風にゆだねて、ゴホゴホと咳き込んだ。


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