第45話 蘭々さんのウキウキおっぱいカーチェイス

「よぉし、乗ったね、青菜くん! シートベルトしっかり締めて! 危ないよ!」

「乗りましたし、そりゃあ締めますけど。あれ、蘭々さん、運転苦手ですか? でしたら、僕が代わりますけど」


 気付けば車に駆け寄って来る、チーム妹。


「青菜ー! 頑張って! ララ姉の運転、ちょっとアレだけど、道交法は守るから! あとはね、気の持ちようだよ! 絶対に生きる事を諦めないで!!」


 ちょっと買い物に行く人に対する言葉じゃないですね。


「お姉ちゃん、青菜さんは初心者なんですから! いつもみたいに運転しちゃ、ダメですよ! いいですか!? 5割にレベルを下げてくださいね!!」


 僕の危機予測能力も、フラワーガーデンに来て随分と成長したなぁ。

 心配そうな芹香ちゃんと、たんぽぽちゃん。



 もうこれだけで、僕がひどい目に遭うのが分かるんですから。



「大丈夫だってー! お姉ちゃん、しっかり寝たから元気だし! 青菜くんは男の子だし! 平気、平気ー! それより、魚屋さんが閉まっちゃうよ!」

「待ってください。今、ナビをセットしますから」


「そっちも大丈夫だよ! この辺の地理は頭の中に入ってるから! それじゃ、少し急ぎで行くからね! 青菜くん、準備は良いね!?」


「青菜……。ごめんね、ウチ、何もしてあげられない」

「帰ってきたら、美味しいご飯食べましょうね!」


 どうして2人は少し涙目なのかな?

 理由はここで言及する必要はありませんね。


 すぐに分かります。


「よーし! 行くよー! 出発進行!」

「あいだっ! えっ、ちょ、蘭々さん!? 予想はしてましたけど、急加速が過ぎませんか!? あああああ! その速度で曲がるんですか!? あああああ!!!」


「青菜くん、喋ってると、舌噛むよ!」

「アメリカのカーチェイス映画の主人公みたいなこと言わんで下さい! あああ!!!」


 こうして、僕の命運は蘭々さんに握られたのだった。

 魚屋さんに行くって話だったのに、どうしてこんな事に。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「おじさん! 新鮮な魚介類を見繕ってもらえますか!? バーベキュー用で!」

「はいよ! 何か希望はあるかい?」


「青菜くん! こら、青菜くんってば! なに助手席で死んでるの! 出番だよ!! おっぱい博士!! 出番だってば!!」

「行きの車中で……。誰も蘭々さんに、運転させようって言わなかった……理由が、やっと分かりましたよ……」


 もしくは、この車、一定の速度以下にスピードが落ちると、爆発するのかな?

 キアヌ・リーヴスの映画であったなぁ、そんな設定。


「し、白身魚だと、鮭とか。あと、エビとかイカにはたんぱく質が多くて……。ああ、それから貝も良いらしいですよ。ホタテとか、アサリとか」


 スマホの文字が躍っているように見える。

 コンピュータウイルスに感染したのかな? 


 それとも僕の三半規管が大破したのかな?


「おじさん! 今のヤツ! あるだけちょうだい!」

「おう、景気がいいなぁ、お姉ちゃん! そんじゃ、ホタテはオマケしちゃおう! 閉店前に大口注文とか、こっちも助かるからね!」


「またまたぁ! 結構繁盛してるじゃないですか! ゴールデンウィーク需要で儲けてるくせに! ほら、またお客さんが来た!」

「はは、参ったな! 分かった、イカもちょっとオマケしよう!」


 蘭々さんがきとなまものを購入している。

 僕は着々と生気せいきを失っている。


 ああ、自動販売機でコーラでも買おう。

 カフェインって乗り物酔いに効果があるらしいですからね。

 邦夫くんが中学生の頃、バスに酔った僕のために買ってくれたっけ。


 僕が邦夫くんの顔を茜空に浮かべていると、事件が向こうからやって来た。

 邦夫くんは全然悪くないのに、なんだか空に浮かんだ邦夫くんを少し恨みそうになってしまった。


「きゃああ! 誰か、捕まえて! ひったくり! 泥棒!!」

「へっへ! バーカ! とろくせぇんだよ! 別荘に来てるお金持ちさんはよー!!」


 僕の体が五体満足だったら、ひったくり犯を捕まえる事ができたかもしれない。

 蘭々さんがおっぱいに夢中じゃなかったら、イカ、いや、以下同文。


「せいぜいバカンスを楽しんでなー! ひゃはははー!!」


 僕にできるのは、やっとふらつかなくなった足で立って、被害者のおば様に寄り添う事くらい。


「大丈夫ですか!? お怪我は!?」

「ええ、ありがとう」

「ひでぇヤツだな! すぐ警察呼ぶから! 待っててくれよ!」


 魚屋のおじさんの行動は正しい。

 だけど、もっとシンプルな答えを導き出した人もいた。


「青菜くん! 乗って!!」

「えっ!? ……ええっ!?」


 「……」の間に、僕は全てを理解していた。

 悔し涙を流すおば様。さぞかし無念でしょう。心中お察しします。

 そんな気分では、せっかくの休暇が台無しですもんね。


 分かりました。僕の命ひとつでそれが救えるなら。


「乗りました!」

「よーし! 追っかけるよ! おじさん! ちょっと行って来るから、さっきの注文、取り置きよろしく!!」


 蘭々さんが言い終わるのを待たずに、車がキュルキュルとタイヤの悲鳴を響かせながら、急発進した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「おーし! 目標発見! ふっふー! どうやらあちらさん、あたしたちが追跡者だって気付いてないみたいだねー! のんきに信号待ちなんかしちゃって!」

「あああああ! ら、蘭々さん、信号待ちをするのは良い事なのでは!?」


「あっはは! そりゃそうだ! 失礼しましたー! はい、青菜くん、捕まえて!」


 蘭々さんの操るハイエースが、ひったくり犯の乗るバイクの横にビタ止まりした。

 ぎょっとした表情のターゲット。


 そして見事に空振りする僕の腕。


「やっべ!」

「あ! この!! すみません、蘭々さん。僕としたことが」


 バイクは横道に急展開。

 小回りが利くバイクと、ハイエース。

 細い路地ではどちらが有利か。そんな事は考えるまでもない。


 僕のミスで、悪人を取り逃がしてしまった。


「まだまだぁ! そりゃああっ!! お姉ちゃんを舐めるなよー!!」

「ああああああ! 蘭々さん、えっ!? どうなってんですか、今!?」


 僕の認識が間違っていなければ、ハイエースが緩やかな斜面を走っている。

 どういう理屈なのかは僕に聞かないで下さい。



 こっちは今、生きるのに必死なんです。



「うりゃりゃー!! ふふふ、あたしをここまで本気にさせるのは、2年ぶりだね!」

「免許取り立ての頃じゃないですか! 若葉マークの頃からこんな運転してるんですか!?」


 そして薄目で見ていた前方に異変を感じ、勇気を出して開眼すると。

 その先は行き止まりでした。


 難を逃れたつもりのひったくり犯。

 災難と言う名の猛スピードで迫るハイエース。


 彼は多分、今になって犯した罪の重さを知っているのでしょう。

 真っ青な顔で「ぎゃあああぁぁっ!!」と叫んでいます。


 反省するなら最初っからするんじゃありませんよ!!!


 そして、奇跡のようなブレーキングで、ひったくり犯のバイクスレスレ、わずか5センチほどの隙間を遺して急停車。

 僕は無言で、バールを持って車から降ります。


 もちろん、フラフラですよ。

 だけど、今回ばかりは僕も、鬱憤うっぷんをぶちまけても許されるでしょう。


「お、おい! よせよ! もう逃げねぇから! な、何する気だよ、お前!?」



「うるさいですよ!!」



 ゴーンといい音を残して、ヘルメットがすっ飛んでいきました。

 そして倒れ伏すひったくり犯。


「おおー! 青菜くんにしては珍しい、パワープレイ!!」

「あの、僕帰りはタクシー拾って帰りますから、蘭々さんは先に」

「何言ってんの! 今警察に連絡しておいたから、後は任せとけば平気! さ、戻るよ!! はい、おばさんのバッグだけ持って!!」


 一応確認なんですけど。

 無茶苦茶な運転で、本来は入れないところまで入ってきましたよね?



 どうやって戻るんですか?



「あああああああああああああああああ!!! もう嫌だああああああ!!!」

「うーん! 久しぶりに運転すると、気分も良いね! 魚屋さんへ、いざリターン!!」



 あの世と現世うつしよの境界線を、僕は初めて垣間見た気がしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る