第6話 わかるから

「おい、セツ────」



 呼びかけようとして思いとどまる。



 距離のある今の段階で声をかけて、逃げられてしまってはどうしようもない。

 気持ちも落ち着いてるかわからないし。



 彼女を遠目に少し観察する。曲がり角を利用して建物の影に隠れているから、ちょっぴりいかがわしい雰囲気が出てしまうが……まあ、気にしないことにしよう。



 今はちょうど昼下がりで、冬ももう終わろうとしているが、それでも海沿いは肌寒い。



 ここから夕方になって日が落ちていくにつれて、それは更に厳しくなるだろう。



 整備された街の空気と混ざった淡い潮風が、彼女の髪をくすぐっている。



 息が上がっているとか、落ち着きが無いとかそういうことは全く感じられず、ただ至って普通にマギビークルに乗って海の方を向いてるだけで……



 ん? 海の方?



 海を眺めているならわかるが、マギビークルまで海の方を向いているのは、なんというか違和感がある。



 乗ったりぶつかったりして分かっているが、あの乗り物は結構重量がある。

 "海に落ちたり"なぞすれば、まぁ間違いなく沈む程度には。



 先程までの考え事が頭を過る。

 流れ者の辛さ。例の男と対峙した時の、セツナの真っ青になった顔。



 まさかあいつ────────



 ここで急にセツナがマギビークルを起動させ、ゆっくりと前に進み出したことで、その予感は確信に変わる。



 あいつ、そのまま飛び込む気じゃないだろうな!?



 この角度からだと表情は見えなかった。

 しかし、最早確認してからという場合じゃない。



 素早く鍵を握って中空でその門を開ける。



 直径拳三つ分ほどの魔法陣が展開し、そこから碧い雷の槍を抜き取って脚に突き刺す。



 雷槍の形態の一つ、雷属性が得意とする自身の機動力強化、加速魔法アクセルだ。



「待てぇぇぇぇぇ!!」



 魔法の行使と同時、大声を出して注意を向けさせ、一瞬の隙を稼ぐ。



 釣り人と、その声を向けられた当人がビクッと肩を震わせて一斉にこちらを向いた。



「えっ、えっ!?」



 不意に自分の名前が響き、戸惑うセツナ。



 その声で十分作戦の成功は確認された。表情なぞ気にしない。この瞬間を逃してはならない。



 フェンリルの足を踏み抜いた時と同じように、一歩目からトップスピードで駆け出す。



 だが今回は、マギビークルを踏みつけて抑えることはできない。マギビークルの横っ腹から彼女目掛けて突っ込んだ。



 不本意ながら──そう、誠に不本意ながら──知ってしまったことだが、この乗り物は彼女の手を離れると急速にその活動を停止させる。



 即ち、彼女をこの乗り物から引き剥がすのが最善策であったのだ。



 俺の急襲に備えている筈も無いセツナは、戸惑いのまま俺のダイブをもろに受ける。



 二人揃って吹っ飛び、地面をゴロゴロと転がった。

 セツナが負傷してはまずい、と彼女の首元に手を回す。



 やがてその勢いは止まって、セツナが仰向けに倒れ、俺がその上に四つん這いになっている形になった。



「ふぅ……ギリギリセーフか。

 お前、何馬鹿なことやって────」



 ここで、咄嗟に腕で頭をガードしていたセツナがゆっくりとそれを解き、彼女と目が合う。



 彼女の顔には涙を伝った跡があって、その目は赤くなっていた。



 乱れた金色のショートヘア、少し荒くなった息遣い。

 驚きからか僅かに紅潮した頬。



 小さな篝火に照らされた、彼女の少しだけ苦しそうな寝顔を思い出す。



 なんというか、つまり、妙に艶っぽくて────



「ねぇ」



 ハッと我に返る。目の前には、さっきまで見惚れてしまっていた彼女の顔は無く、赤く腫れた目のまま、じとっと睨みつける彼女がいた。



「あ、いや別に、大丈夫かなってほら」



「いつまで押し倒してんだ……女の泣き顔見て呆けてんなよ、このどすけべッ!!!!」



 直後、激痛。背丈の小さいセツナの脚から繰り出される前蹴りは、絶妙に俺の急所にクリーンヒットした。



「あっが!? 痛ぅ……すまん、すまんって……。

 お前が飛び込むつもりなんじゃ無いかと思って、必死だったんだって!」



 半泣き絶叫で睨みつけていた彼女であったが、俺の必死の弁明を受けて少し冷静になったようだ。



「う、それは……その、ごめん」



 俺が自分を探していたということに改めて気がついたのか、目を伏せてバツが悪そうに呟く。



 でも良かった。

 彼女が俺と出くわすなり逃げるようなら、正直心も折れていたかもしれない。



 ホッと胸を撫で下ろす……のも束の間、ゴン、と何か重いものが落ちる音がする。



 セツナの後ろを見ると、マギビークルの前輪が道の外にはみ出して落ちかかっていた。

 今もズズズ……と滑っている。



「うおっ、やべぇ! セツナ、マギビークルが!」



「え? うわっいっけね!」



 その言葉で後ろを振り向き全てを把握したセツナは、俺が動かすより早く駆け出し、マギビークルのレバーを掴む。



 しかしその勢いは激しく、それが決め手となってマギビークルと共に道から海へと落ちてしまった。



「!!! セツナッ!!!」



 不味い。もしセツナがマギビークルに拘って手放さなかったら一緒に沈んでしまう!



 急いで駆け寄って道下の海面を見下ろす。



 すると、セツナの姿はそこにあった。

 しかもマギビークルに乗った状態の、である。



「お、おいそれ、大丈夫なのか?」



「そういや言ってなかったね……コイツは水陸両用なんだよ」



 確かに初耳である。

 よく見れば、三つの車輪はそれぞれその側面を海面に向けるように変形して回転しており、マギビークルは重さを感じさせず海面の少し上をふよふよと浮いていた。



 マギビークル下部のあたりの水を抉るように、海面が丸く凹んでいる。



「すげぇ……。

 やっぱりお前の魔法はすげぇよ」



 実際、水陸両用それは中々複雑な技術だった。



 そもそも、陸上の乗り物に赤色や黄色の魔法を使うのは、そちらの方が効率がいいからである。



 それは逆に、その大部分というかそれそのものが水である海を進む為に組む場合、色の関係において"真逆に位置する"赤色の魔法は、効率が悪いということだ。



 わざわざ他の乗り物と似た属性から力を抽出して魔法を組んでないのは、きっとこの水陸両用を実現するため。



 加えて、金属製の乗り物を変形させる魔法式まで組んでいる。

 セツナの万理印は、間違いなくパッと見で解析できるものではないはずだ。



 彼女の父は、自身の研究のその成果を、セツナに託したのだろう。



 そして彼女は、きっと────



「……そんなことないんだよ。

 僕は父さんからこれを教わって、ただ使っているだけで────」



「そんなわけあるかよ!」



 思わず声を荒げる。

 "ただ使っているだけ"な訳があるものか。



「万理印は作った本人にしか使えない……お前は親父さんからこのマギビークルの作り方を教えてもらって、一緒に作ったはずだ。

 お前は培った技術を、存分に発揮してる。それは印章士としてなんもおかしくない!」



「で、でも、僕は印章士として致命的な……」



「うるせぇ! じゃあなんでやってんだ! 俺に名乗った時、印章士だって言ったんだよ!?

 得意不得意がある? 上等だろうが! 言われただけで折れちまうなら、マギビークルそんなものに乗ってるわけがねぇだろう!」



「それは……でもそれは、アラタが強いからそんなことが言えるんだよ!」



「っ!?」



 大声で反論したセツナに、少し驚く。気持ちが昂って捲し立てていたら、思わぬ反撃を喰らってしまった。



「どうにもならないことって、あるんだよ……! それこそ、逃げたくなるくらいのモノが。アラタは、そんなことないかもしれないけどさ!

 僕は印章士だよ、確かにそうだ。そのはずだ! そうなりたくてやってるさ!

 でもアラタみたいに強く無いし、張り切ったって空回りで、マギビークルだって、まだまだ使いこなせてない……!」



 俺が煽った所為か、セツナが言葉を吐き出す。



 堰き止めていたはずの、自分の内でぐるぐると回っていたはずの言葉が溢れているのだろう。



「だからまた遠くへ行かなきゃって、そう思った。

 あんな奴が押しかけてきたら迷惑かかるし、僕と仕事だってしたく無いだろ?!

 みんな優しいよ、アラタだってそうだ。

 だからこそ! たかが他人事にそんなに首を突っ込まなくたって……!」



 初めて会った時はあんだけ張り切ってたクセに、随分と弱気になったものだ。



 逆に言えば、それだけ嫌な思い出を故郷に置いてきてしまったのか。



 でもそれじゃあ、繰り返すだけだ。あの男がもう追ってこない確証もない。



 また逃げて、次の場所で頑張って、また逃げて。



 それを続ければ、辛いのは他でもないセツナなのだ。



 解る。気持ちが痛いほど、よく分かる。だからここで退くわけにはいかなかった。



「俺も"同じ"だ」



「……え?」



「なんで俺が、ヒューガナツのことをなんも知らなかったと思う。

 どうして、お前と魔法の打ち合わせをしなかったと思う?

 知らなかったよ。印章士に万理印のことなんて、聞くもんじゃ無いと本気で思ってた」



「そ、それは……」



「責めてない。言ったろ、同じだって。

 俺も極化回路な使えないんだよ」



「使えない……!? まさか」



 態とらしく語気を強めて俺は告白した。それでもちょっと抵抗があって、遠回しになってしまったけれど。



 だがセツナは少し考えてすぐに気付いたようで、驚きで目を丸くした。



「俺はユディさんに依頼されて探しに来た……まだお前の話を聞けてないんだよ。心配してる人だって居るんだ」



「……」



「俺だって知らないフリはできねぇ。いや、したくねぇんだ。

 俺の勝手だけど、だから……」




「……分かったよ」



 上手く言葉にできないまま懸命に説得を試みる。



 暫く驚いていたセツナだったが、やがて根負けしたという風に軽く息を吐いた。



 彼女の緊張が少しだけ解けていくのが、彼女のレバーの握りから感じられる。



 少し、周囲を見る。

 大立ち回りをしてしまったから、釣り人達の目が厳しい。



 なんだなんだと心配そうに見る人から、騒がしいから失せろと言わんばかりの顔の人まで。



 兎にも角にも、場所は変えた方が良いだろう。よく考えれば彼女も追われてる訳だし。



「なぁ、乗せてくれよ。それ」



「え?」



「場所変えようぜ。熱くなっちまったし、風を浴びたいと思ってさ……だめか?」



 切り出しづらくて、それでもなんとかしなきゃと思い紡いだ言葉は、どうもナンパっぽかった。しかも妙にクサい。



 セツナは数秒俺を見つめて、すぐ顔を下に向けた。



「……な、なんだよ。笑ってんのか?」



「……ふふ、違うよ。

 優しいね。すけべだけどさ」



「なっ」



 なんか棘がある。でもそろそろ俺も断じて違うと言えないような気がする。



 冗談だよ、とセツナは呟くと相棒をクルリと旋回させ、道に立つ俺の方にマギビークルの後部を向けた。



「乗って。僕を足で挟むように座れば、多分ちょうど良いから」



「へ? あ、ああ……分かった」



 誘われるままにマギビークルに飛び乗る。少しだけその車体が沈むが、水面に触れるような兆しは全くない。



 俺が座ったのを後目に見て、セツナは徐にスピードを上げた。

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