3・11に思いを馳せて。
ハロー。ハロー。美澄です。
本当はこのエッセイもあまりセンシティブなことは書かないほうがいいんじゃないかな、と思ったんですが……10年経ったということと、記憶や思いを風化してほしくないという声を今日いくつかの番組で拝見して、わたしもいち地震を体験した身としてすこしだけ語らせていただこうと思いました。
とはいえ、わたしの住まいは山梨県なので、被災地の情報というものはみなさんと変わらないとは思います。
当時も山梨県に住んでいました。
年齢は二十歳で、ちょうどバイトも大学もお休みの日だったから家に居たんですよね。
生命保険の切り替え時期だったので、保険の販売員の方が来ていたりしたんですが、その方が帰ってすぐにあの地震がきました。
最初は山梨に直下型の地震が来たのか、とか、富士山に関わる地震か、とかって考えた気がする。
生まれて初めて、家族みんなで外に転がり出た地震でした。
本当にすごい大きかったし、揺れも長かったって記憶がありますね。
揺れが収まって、とりあえずノートパソコンと当時使っていたポケットWi-Fi、スマホだけ持ち出して車で情報収集して……そのときはやっぱりこんな大きな事態になっているなんて思いもしなかったです。
日本は災害大国だし、家屋はある程度強度のあるものが作られている。
それに災害の知識だって他国に比べたら小さい頃から教え込まれてきている。
だから、きっとそんなに死者は出ないんじゃないか。
そう思って、やっと落ち着いた頃に家に戻ってテレビを点けて絶句しました。
多くの人と生存確認しあったり、『こわい』を共有したのも初めてだった気がします。
あの一年は、何度も揺れたんですよね。
山梨の直下型もあったりして、本当、気が気じゃなかった。
それからも、熊本地震や、最近も東北で揺れがあったりして……やっぱり災害対策というものを怠ってはいけないなと思いました。
山梨は海がないので、幸いなことに津波はないのですが、地震が起きる確率はどこの都道府県とも変わらないはずなので、ちゃんと避難グッズは支度しようかと思います。
最近特に、なんだか支度しなきゃいけない予感があったのと、この3・11の十年の節目ですしね。
亡くなられたたくさんの方々、そして未だ行方不明の方もいらっしゃいます。
この未曾有の震災を決してわすれません。
そして、わすれないことは、教訓として生かすことだと思います。
それではまた次回。
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