第三十話 そのためなら、なんだってできるんですか?

 入学して数カ月で、白島莉乃というこくどうはメキメキと頭角を表していた。苛烈な性格ながら、時折見せるカリスマ性と面倒見の良さは、同級生はもちろん上級生すら惹きつけていた。

 彼女は間違いなく、次代の天神会を背負うこくどうだ。周りの人間はそう囁きあった。

 二学期が始まった頃──彼女はある日嫌な場面に出くわした。近所の数名の中学生が──恐らく同級生の──少女を取囲み、小突きながら笑い合っているのだ。

 不愉快だった。

 それが単なる友愛のしるしなどではなく、嘲りと見下しを多分に含んだ儀式であることは明白だった。

 介入しようがしまいが、一文の得にもならぬ場面だったが──こくどうは乙女の生き様である。乙女として恥ずかしい行いが目の前であれば、正してやるのが道だ。

 一通り『礼儀』を教えて、気づいた時には、蜘蛛の子を散らすように卑怯者共は逃げ出しており──ひとり啜り泣きながら地面に転がっている少女が残されていた。

 醜いといえばそうだった。顔の半分が火傷のように爛れていて、それを長い前髪で覆うように隠していた。少女という一点で言えば、それは致命的であった。


「怪我はなあか」


 白島はそう言って彼女に手を伸ばした。少女はその手を掴んだが、涙は止まっていなかった。


「泣かんでええが。もうお前をいじめるやつらは逃げ出したけん」


「うち、い、いっつもいじめられる。顔が汚いけん言うて……」


 中学三年生の大竹あきら。少女はなおも流れる涙の間から、たどたどしくそう自己紹介した。


「だ、誰にも好きになってもらえん。友達も、親も、誰も……」


 理由はべつにあるのかもしれない。親も彼女のことが嫌いでないのかもしれない。

 白島には事情は分からなかったが、この大竹という少女が孤独である事だけは理解できた。誰にも好かれた覚えがなく、大事に扱われた記憶もなく──そうした辛さを共有することもできない。

 ナメられている。そうしたまま、生きることを強いられている。

 こくどうならば報復で良しとするが、それもできない学生には地獄のような苦しみだろう。

 彼女にこくどうとして盃をやれば、全て解決する問題だ。天神会の人間にちょっかいをかけようなどという人間はいまい。

 しかしこくどうとは高校生からの部活動。先輩後輩程度の関係性はあるが、盃という関係の強さとはまた異なる。

 彼女にできることは何もない。それでも、何かしてやりたかった。


「ねえ、あなた。私の妹分にならない?」


 穏やかに、できる限り威圧しないように。こくどうのあり方としては真逆の語り口調で、白島は言った。


「い、妹分?」


「あきらちゃん。あなたが苦しむことは何もないわ。でも私の甲斐性ではまだ、あなたを救うことはできないの」


「ほいじゃ、意味ない……」


「あなたが元町女子学院に入ったら、あなたのことを本当の妹分にするわ。約束する。それまでは裏盃ニオワセだけど」


 裏盃ニオワセ。こくどうがジドリを交わすことで親子姉妹になることは周知の事実だが、組織間の軋轢によってそれができない場合もある。

 だが、盃とは本来「乙女同士の心のつながりを証明するための行為」である。そこに政治的事情が絡んでいたとしても、それを超えて盃を交わしたい者も当然存在する。

 そうした事情を超えた盃こそ、裏盃である。顔は写さない、手元やバストアップだけのツーショット写真──それが裏盃である。


「嬉しい、けど。うち……そがあにようしてもらえるような、に、人間じゃないけん……」


 大竹はそう言って目を伏せた。こくどうの裏盃は珍しい行為ではない。入学前に裏盃で子分姉妹を増やし、入学してから同じ学校の者同士で盃を直すことで派閥を作るのは、いわばテクニックのようなものだ。

 白島はテクニックというよりは、純粋な好意でそれを申し出ていた。彼女がナメられることなく、尊厳をもって学生生活を送れるようになればと考えたのだ。

 それを断られたとて、なにが変わるわけでもない。そういう道がある、ということを伝えるだけでも、違うはずだ。


「私は元町女子学院一年の白島莉乃よ。ねえ、大竹さん。いつかまたあなたが同じ学校に入って、その気があるなら──私にまた、会いに来てね」


 彼女はそう言って、大竹の手を握った。その体温に、その言葉に、大竹は衝撃を受けていた。生きる価値のない、醜い自分に触れ──あまつさえ優しい言葉を。

 女神を見たと思った。

 醜いという一点で、この世こそが地獄と教え込まれた大竹にとって、彼女の言葉は何よりも救いだった。

 その時、彼女は何を差し置いても白島の力になると心に決めたのだ。

 盃こそ交わさない、たった一度きりの邂逅──白島は忘れてしまっていても、大竹の心には強く残った。

 あれから一年経っても、大竹は覚えていた。あの日のことを、あの日の手の暖かさを、あの日の言葉を──震えるほど嬉しかったあの瞬間を覚えていた。

 入学式のあと再会した彼女に『頼み事』をされたとき、大竹はそれを一も二もなく引き受けた。彼女のためになるならば、どうなろうと構わなかった。

 当時の天神会若頭・呉は有能ではあったが、同期の白島にとっては目の上のたんこぶであった。一度序列がつくと、こくどうの世界ではそれを覆すのは難しい。若頭という地位は天神会の跡目と同義だ。よほどの理由かなければ変えられない。

 白島は自分の『都合』で『理由』を作った。その手段こそが大竹だったのだ。



 そして現在。

「大竹……こがあなことは完全に想定外じゃ。最終的に会長にええがにしてもらう、言うんも限度があろうが。まさか日輪が紙屋連合の会長なんぞ、思わんじゃろうが」


 かつての五分の姉妹分──宇品の言葉に、大竹は静かに頷いていた。彼女は日輪に逆らえぬ。紙屋アネキを殺した大罪を握られている。結果的に白島にヤマを返す形になった宇品は、いつどのように白島にワビをいれるのか常々考えている──。


「あ、姉貴……うち、そろそろ殺っちゃろう思うとるんよ」


「……まさか日輪をか?」


「それ以外お、おらんです。かい、会長も、あんなあを生かしとるかいがないけえ」


 日輪が死ねば、紙屋連合の会長は、一刻も早く白島にワビを入れたものになるだろう。白島と通じる大竹がそばにいるのなら話は容易い。


「お前が日輪を殺れれば、話はうまいこと転がるで。紙屋連合なんちゅうて纏まっとるのを、知らん顔してワシが仕切りゃええんじゃ。紙屋の二代目どころか、不動院とこも食って大きくなれるわい」


 いい方へいい方へ──前向きにものを考えられるのは宇品の良いところであった。現実は見えていない。

 大竹の優先順位はもう決まっていた。白島の命令に従い、その過程でかつての姉妹分の力になれるのなら、それに越したことはない。

 いずれにしろ、日輪高子はそろそろお役御免──死なねばならない。白島の目論見通り、彼女は天神会が潰さねばならぬほど大きくなった。が、何事も限度はある。


「姉貴」


 部屋に顔を出したのは、日本人ばなれした黒い肌に高い背──天満屋であった。紙屋会二代目を宇品としたことで、彼女は若頭から舎弟頭に盃を直した。いずれは、日輪の舎弟になりたいのだという。

 宇品からすれば、相当に酔狂な話ではあると思う。日輪は所詮、外様こくどうだからだ。


「おう、天満屋」


「まずいことになりましたで。不動院の姉貴が、本家に喧嘩吹っかけてしもうたんです」


 さあっと血の気が引く音が、宇品の耳奥を流れる。今なんと言った? よりにもよって、本家に?

 そういえば、紙屋連合を認めさせるために本家に渡世の掛け合いに行ったと聞いた。それがなぜ?


「おいおいおいおい……話が全然違ぁじゃなあの。なんで本家に……白島会長に喧嘩を売っとんのよ。意味わからんど」


「ほいじゃが事実ですよ姉貴」


 天満屋は大きな体を慎重にソファに載せた。その額には若干の汗。季節外れのそれは、焦りが形になって出てきたようなものだ。


「戦争ですよ」


 三人は無言で立ち上がり、他ならぬ不動院が提供した寺の離れから出る。

 境内に不動院が立っていた。その顔は、穏やかとも──秘めた野望を押し留めているようにも見えた。


「不動院の姉妹ェ。……あんた、日輪会長にゃあ話入れとるんかい」


「ぶしつけですね。……流石にサンメンで情報が回りましたか」


 その笑みが何だったのか、天満屋たち三人には分からなかった。自ら戦争に舵を切ったのだ。いくら日輪が白島と敵対しているとはいえ、こくどうはトップダウンの組織だ。命令違反にほかならぬ。そしてこくどうの命令違反は死と同義の重罪である。


「私はね……宇品の姉妹。この際日輪会長をヒロシマのてっぺんにやろうと思うとるんですよ」


「わや言うなや姉妹ェ! あんなあはハリボテのお飾りじゃ。意味ないが!」


 宇品の怒鳴り声を聞いても、不動院は表情を変えない。むしろその顔は、何かの確信を秘めたようなものだった。


「本当にそうですか? 紙屋の親分オフクロを殺ったのが白島会長だとしても?」


 じわり、と全身にミストを吹きかけられたように、宇品の毛穴という毛穴からじっとりとした汗が流れたような気がした。

 それは自分のことだ。

 消えることのない、魂に刻まれた罪だ。そしてそれを濯ぐことは、永遠に不可能な──。


「姉貴。それ以上は性根据えて話してつかあさいや。ワシら何言うても白島会長の子供じゃ。子が親に逆らえんのがこの世界です。理由にならんでしょうが!」


 天満屋が叫ぶ。それは宇品に虚しく響く。


「理由? こくどうもんにそんなかったるいもんいらんでしょうが。白島会長はオフクロを殺した『かも』しれん。こくどうにとって灰色は黒と一緒ですよ」


「不動院の姉妹ェ……正気とも思えんで。もっとこう……ええがにして時間稼ぎする方法もあったじゃろうが。なんでこがあなことに」


 宇品はふと大竹の顔を見た。彼女はただならぬ顔つきで不動院を見つめ、押し黙っていた。

 数分前まで、日輪をどう殺るかを話し合っていたが、これはまずい方向へ進んでいる。不動院は優秀なこくどうだ。それに、紙屋を殺したのが白島だと言うことになれば、紙屋連合をまとめることなど容易い。

そうなればどうなる?

 宇品は『必要に駆られるとようやく』計算が働き出す。日輪は紙屋排斥の片棒を担ぎ、それを自分にやらせた。紙屋連合が万が一本家を倒すようなことがあれば、もはや日輪を止める者はいない。

 となれば、宇品は一生、自分の弱みを握る女の下に居なくてはならないのだ。


「まさか姉貴……もう鉄砲玉を飛ばしちょる言うんじゃ……」


 震える声で、天満屋はようやく聞くべきことを聞いた。腹を括るべきか否か──様子見の意味もあった。


「何分寺の娘なものですのでね。『念仏は自前』でやれるんですよ」


 不動院の腕に巻いていた数珠が、じゃらりと音を鳴らした。

じゃらり、じゃらり。

 それは単に数珠が擦れる音ではなくなっていた。戦いの証。戦争のラッパ。破滅の足音──不動明王会が既に手を打ったことは明白であった。


「わやじゃ……わやで、こんなあはよ……」


 宇品は背を向け、離れの中へと戻っていく。整理する時間が必要だった。



 二人だけになってから、宇品の背中に声をかけたのは、大竹だ。


「殺ろう、姉貴」


 彼女とは思えぬほど、鋭いナイフのような言葉だった。それほど猶予は残されていない。

 腹を括らねばならない。

 白島の言葉がよぎる。その先は地獄──いずれにしろ、日輪を殺らねば、宇品に未来はない。


「……大竹。紙屋会は連合として形だけは日輪に従っとる。お前があんなあを殺る言うんは、紙屋連合すべてを敵に回すっちゅうことじゃ。……わしは、知らん振りをすることになる」


 紙屋会二代目に内定した身では、大竹の行為を擁護することはできない。一年前の宇品は、彼女に何もしてやれなかった。その再現となる。なってしまう。大竹しまいはまたどこか遠くへ行ってしまう。


「ええんよ。うち、それでええ」


 大竹は明るく──喜びすら感じていそうな表情で言った。


「会長のためじゃけえ、それでええ」


 複雑だった。彼女はあの日人を殺めてから、既に自らが手の届かぬ遠くへ行ってしまった。宇品には、それを引き戻す手段など残されていなかった。


「日輪『会長』は、ヒロシマ中央総合病院におる。太田川の遺体が収容されたんじゃ」


 宇品はそれだけ言うと、彼女を見ていられなくなり、目を逸らした。あの日から、遠くに来てしまった。夢を語った入学式の後──待つと決めた年少の面会室。

 女子高生には、短いようで長すぎる日々。そしてこれは、この時は──恐らく大竹との別れだ。それはわかっている。

 だが、彼女にできることは何もない。静かに、それでいて力強い足音と共に、大竹は去っていく。振り向くことなく、まっすぐに。

 宇品はその背中に手を伸ばし、空を掴み──そのまま下ろした。何も言えなかった。

 彼女は座布団に座り込んで、今後の事に思いを馳せた。大竹しまいのために、不動院の放った刺客を止めなくてはならぬ。



 その日の夕方。

 安奈が入院する、ヒロシマ中央総合病院にて。


「もうこがあな時間か」


 高子はスマホから顔を上げるのと同時に、パイプ椅子からも腰を上げた。クッションが薄いのか、少し痛む。


「もうすぐ退院じゃのう。安奈、退院たらお前にもいろいろ頑張ってもらうで」


「……もちろんです」


 安奈は弱々しさを隠せぬ様子で微笑んだ。手元には握りしめた特殊警棒。

 安奈は強い──と高子は考えている。こくどうになり、姉妹の死を経験した彼女にはまだ伸びしろがある。

 逃げなかった人間には、それだけ戦える余地がある。それはこくどうのみならず、人間の伸びしろと言い換えてもいい。だから、今は弱っても必ず立ち上がれる。


「安奈。今度また鯉柱にいかんか。退院祝いじゃ。盃もやりたいしの」


 もはや身内と言えるのは、安奈だけだった。曲がりなりにも道龍会の若頭を討ち取ったこくどうとして、安奈に立場を作らなくてはならぬ。

 御子やゆりにしてやれなかったことを、彼女だけにはしてやりたかった。それが自分のすべきことと信じていた。

 安奈は握った警棒に目を落としながら、頷いた。


「ほたら、ワシはもう帰るけん。もう何日も無いけえ、右見て左見たら終わりじゃ。養生せえや」


 安奈は力なく笑った。たしかに彼女は強い。だが、高子がここを離れれば、枕を涙で濡らすだろう。それを否定するつもりはない。流しきらねば、立ち直れない。そうなれば、御子は報われない。

 静かに病室を閉じ、高子は病的なまでに白い廊下を、消毒用アルコールの匂いを縫って歩く。

 恐らく同世代であろう少女達が、花束を持って向こうから歩いてくる。高子は身を固くして、拳を見えないように握った。

 もう見舞い時間は過ぎている。それに、三人とも花束を抱えているのは不自然だ。


「……姉ちゃんら。病院っちゅんのはのう。人を生かすところじゃろうが」


 ドスはない。銃もない。しかしこくどうは心に一本、刃を呑んでいる。女は度胸だ。先にカマした方が勝つのは、喧嘩の基本だ。高子は続けて、静かに言った。


「それがわからんなら、ワシがオドレらを死なすで、コラ」


 ばさ、と花束が落ちて、花弁が中を舞う。それの中に仕込まれていた長ドスがぎらりと光り、白い壁に反射する。三人の刺客は花を踏み越えて、じりじりと高子を取り囲んだ。

 デキる。三流の鉄砲玉なら、自分を奮い立たせるために堂々殺すと宣言し始めるところだ。

 よほど厳選したのだろう。

音もなく、刃が空を切る音だけが廊下を通り抜ける。ひゅん、ひゅん。高子は先頭のこくどうの突いてきた刃をひらりと躱し、廊下の壁を蹴って跳躍。三人の頭上を飛び越えて、廊下を転がってから立ち上がる。

 後ろ向きに歩きながら、三人を挑発するように指をこちらへ来るように動かす。

 エレベーターホールを抜けて、非常階段の扉へ飛び込み、階段を降りる。なにせ武器がない。このままでは嬲り殺し──そう思っていた矢先、階段そばに、バケツに突き刺さったままのモップが視界に入る。迷わず高子はそれを抜いて、追ってめがけて後ろへ振り抜いた。

 先頭のこくどうの顔に柄がめり込む。

 一撃で昏倒した彼女の手から、空中を縦に回転して長ドスが舞う。高子はそれを掴み取ると、踊り場に着地する。仲間が倒されたことに怯みもせず、金髪のこくどうが突っ込んで来る。

 高子はそれに合わせるように、刃を付き出した。手元でくるりと刃が回転し、交錯した刹那、金髪の喉笛を切り裂く。鮮血が白い壁と高子に飛び散る。仲間の死に感情を見せずに、最後に残ったパーカーを着て髪を後ろで束ねたこくどうが、長ドスを手に体勢を低く構える。

 高子は刃に残る血液の暖かさを感じながら、冷静に彼女を見ていた。こいつは刺客の中でもさらにデキる。仲間の死の中でさえ冷静にいられるのは、もはや才能だ。

 高子は逆手に長ドスを構える。パーカーのこくどうは自分の立場をわかっているのか、名乗りもしない。死ぬまで殺し合いをやめない手合だ。

 乱暴にドアが開く音が聞こえたのは、その直後だった。階段からホールへつながる扉から、女がひとり飛び込んできた──正確には、投げ込まれたのだ。

苦しそうに呻き、女はその場に伏したまま蠢いている。外からは悲鳴、怒号、銃声、銃声、怒号──『なにかがいる』。高子はそう感じ取ってから、すぐに意識を正面に向けた。

 巨大な刃が目の前に迫る。

 体ごと体勢を低くし、それを避ける。頬が耳に向かって裂ける。凄まじい切れ味だ。

 突き出したドスが空を切る。高子はそれに合わせるように、切っ先をゆらりと揺らし、ジャブ──不動院直伝の高速ジャブだ──の要領で、弾丸の如く長ドスを突き放つ。

 眼の前のこくどうの胸の間に刃が突き刺さる。冷たい瞳が高子を射抜いて、血を吐いたかと思うとそのまま女は倒れ伏した。

 血が階段を流れ落ちる。

 一つの線となって、高子のスニーカーを濡らす。足元が血で汚れるのも厭わずに、彼女はそれを踏み越えて、一階のホールへと足を進めた。

 玄関ホールでは、すでに見舞客は居らず、スタッフは逃げ出して──死体だけがそこに転がっていた。

 こくどう達の死体の山だ。

中央に立ち尽くすは、一人のこくどう。その手には一本のドス。刃から血が滴り、元町女子学院のスカートに跳ねてまだら模様を作る。髪をアップに纏めて、顔には醜い爛れた肌──。


「大竹──か」


「ひ、日輪会長。どうも」


「誰な? こんなあらは。本家の鉄砲玉かいや」


「そ、そうですよ」


 嫌な予感がした。このように大々的な喧嘩の売り方、それも内部抗争。よほどの理由が無ければできまい。不動院が説得に行ったはずなのに。


「……まさか、不動院」


「そのまさかで、です。不動院の姉貴は、本家に、喧嘩売ったんです」


 高子が長ドスを握る力を思わず強めた。

 それは不動院への失望だったのか、眼の前の大竹が発する殺気だったのか──。いつもの卑屈な態度は無く、堂々としたその立ち姿に、高子は警戒し──そして直感した。


「お前も、ワシを殺りに来たんか」


 まさか自分を助けに来るほど信頼度が高いとは思えない。ここにいるのは、他の理由があるはずだ。


「さすがにもうわか、るよねえ」


 にや、と粘度の高い笑みを浮かべて、大竹はずいと一歩踏み出す。殺意のドームとでも呼ぶべきものがずるりと動き、高子を侵す。ぞっとするほど冷たい空気が体を通り抜ける。

 大竹は敵だ。

 いつかはそうなるだろうとは頭の隅で考えていたが、それが今なのだ。


「誰の差金じゃ……言うても、お前は話さんよな」


「いいやあね。そがあなこと、な、ないよ。うち、白島会長に言われて、ずうっと我慢しよったんよ」


 もう一歩踏み出すのと同時に、高子もまたつられるように一歩前へ出ていた。白島のスパイ。やつの目は、想像以上に近い位置にあったのだ。

 高子はそれを『ナメられている』と判断した。ここまでの立ち回りができる大竹を喉元に置いて、何もしなかったのだ。『お前などすぐに殺せるのだ』という意思表示をしながらそれをしない。それは、ナメているというほかないではないか。

 高子は怒りがおのれの血液を奔るのを感じていた。

 踏み出す。歩み寄る。白島が托したであろう意思を刈り取らんがために。その舐め腐った企みを粉砕するために。

 日輪高子の命は、そこまで安くはないのだ。

 いつの間にか、ふたりのこくどうは目と鼻の位置に立っていて──その視線の結びで激しい火花が散っていた。

 殺しの意思を持ってメンチを切りあった以上、次にやるのは一つしかない──命を賭けた本気の殺り合いだ。

 お互いの視線がぶつかり、鼻の先がぶつかり、額がぶつかる。二人のこくどうはお互いの得物を握りしめ、いわば儀式の始まりを告げる祝詞を寿ぐように、それを同時に言い放った。


「「ワレ、表出んかいや、コラ!!」」


続く

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