第二十九話 こんなの、嘘だって言ってくれないんですか?
安奈の退院を一週間後に控えた日に、その凶報は入ってきてしまった。
太田川御子が死んだ。
話だけならば、与太話だと思い込むこともできたかもしれない。しかし、久々に顔を合わせた高子から神妙な様子でそう告げられれば、もはやどうしようもない。
安奈はまた、家族を、友人を失ったのだ。
「……どうしてこんなことになったんです」
霊安室に、久々に集まった祇園会。ゆりも御子もいない。死に別れ、道を違った家族達。あの日、お好み焼きを食べた姉妹たちは、もういない。
「オフクロ、どうして──」
高子は口を開かない。もうその口にキャンディはない。
「御子はのう……やるべきことをやったんじゃ、安奈。大仕事じゃった。ほいじゃけんど、死ぬまでは思うとらんかった」
肩が震え、声が震え──高子の背中の震えはすぐに止まった。手で御子の頬に触れ、離す。
安奈にはそれが、彼女の未練がちらついているような気がして、切なく感じた。彼女も、家族を失ったことを悼んでいる──そう思いたかった。
「……御子が死ぬ必要は無かった。天神会が混ぜっ返すような真似をしたけえ、こがあなことに」
殺してやる。黒い意志が口に出さずとも漏れ出てしまっていた。おそらく彼女の戦いは、天神会を潰すまでもう終わらないのだ。
だがそれは正しいのか?
安奈にはどこかボタンをかけちがえたような気がしてならない。コンクリ打ちの床から登ってくる冷気が足を侵した結果、他人事のような考えがよぎっていく。
殺せばまた復讐を産む。ゆりが死んだことで道龍会が滅んだように。御子が死んだことで天神会が滅ぶかもしれない。
果たしてそれは、自分が望んだようなものではないのではないか?
それをうまく口に出すことができなくて、安奈はただただ押し黙った。
わたしはなりたいものになれたはずだ。
リノに向かって投げかけた言葉。しかしまた違った形でそれは返ってくる。『こんなもの、望んでいなかった』のではないか?
「安奈。……御子の形見じゃ。あんなあ、勘当されとるけん。親もいらんじゃろ」
高子が手渡してきたのは、血染めの特殊スチール製警棒。そんなものが、彼女の遺したただ一つのものだった。
姉貴がこくどうになれば人生が狂う言うた意味、よう考えてくれんか。お前が目の前で死ぬかもしれん。
あの日、そう言ってこくどうになることの意味を問うた御子の言葉が、また過去へと通り過ぎていく。虚しく──それでいて、身をつまされるように。
間違っている。何かがズレてしまっている。今ここで、そう声を挙げることもできた。だがそれよりも安奈は、また一人大切な家族を失った事実をようやく認識して、そのまま膝から崩れ落ち、警棒を握りしめ、泣いた。底から響くような慟哭であった。
もう二度と、誰とも死に別れたくない──それは叶わなかった。
後日。
天神会本部──元町女子学院生徒会室にて。
「紙屋連合ね……そんなものを結成しました認めてくださいだなんて、随分調子がいい話じゃない?」
不動院をそのまま叩き出す、という選択肢もあるにはあった。しかし、日輪がどのような結論を出したのか直接問うてやるのも一興だと、白島は部屋に招き入れたのだ。
世羅以下、幹部や部下達も外で待機させている。出方を見ないことには、指示も出せないからだ。
「日輪をこれ以上増長させないためです」
「私のためだというのかしら?」
「これでも寺の娘ですのでね。こくどうは家族です。これ以上分裂させることもないと考えています。……それに、旧紙屋会のメンバーは日輪の発言に同調する向きがあります。形だけでもまとめて持ち上げないと、下から崩れてしまいますからね……」
「それこそ、増長させる材料になってしまうというものよ。だいたい、みのりちゃんは日輪のことを嫌っていたじゃないの。それを代表面させるなんて……」
「紙屋会二代目をいっそのこと彼女にする、なんて話も出たくらいです。いいですか、会長。所詮睦連合の会長、お飾りです」
不動院が笑顔を交えながら説明したのは、それらしい理屈だった。睦連合の会長としてお飾りの立ち位置を作り、不動院を通してそれをコントロールする。そうすれば、わざわざ盃を下ろさずとも日輪を抑えられるし──何よりも紙屋会の連中を抑えるのにも有用だと言うのだ。
「紙屋会の子達が、日輪にそんなに入れ込んでるとはね……」
紙屋会の主権を奪おうとしたのは、たしかに早計だったかもしれない。しかしここまで気持ちが離れるとは思わなかった。紙屋はとても、乾分(作者注・組織の長に連なる姉妹分や子分を指す)に慕われるような人間には見えなかった。
白島は忘れていた。
不動院のいうとおり、こくどうは家族──どんなに仲が悪かろうが、親のことを悪く言われれば、程度はどうあれ反発するものだ。
「たしかに、こくどうが親に逆らうことがあっていいはずがありません。しかし、この私が爪を落としてつけた
その話がどこまで本当かなど、白島には信用するすべはないし、そのつもりもない。
重要なのは、日輪が予想だにしない方法で力をつけてしまったということだ。当然、こんな中で彼女の暗殺をすれば、不動院のいうとおり紙屋連合が天神会そのものを割りかねない。少なくともその大義名分が渡ってしまう。
「分かったわ。紙屋連合の結成を認める」
結局白島は、紙屋連合のことを承認することにした。所詮は口約束だ。認めてやれば良い。何か証文が残るわけでもないし、所詮は寄り合い所帯だ。
それに、日輪の子分である太田川によって、舎弟頭代行の立町は死んだ。破門された人間の行為とはいえ、とうてい看過できない裏切りだ。白島には元より、日輪への暗殺命令を取り下げる気などない。仮に暗殺が遂行されれば、ここで彼女らを認めてやることが生きてくる。
つまり、白島がそれを指図したという理屈は立たなくなる。
「旧紙屋会が落ち着くまで、手出し無用に願います。これは天神会のためですよ、会長」
「そうでないと、天神会を割るとでも言うつもり?」
「会長。それはこの不動院が防いでみせます。天神会は私らにとっても居場所には違いありません。盃を貰ったわたしが、親たるあなたの顔を潰すような真似を許すわけなあじゃないですか」
不動院の言葉に嘘はないだろう。彼女はそういう人間だろう。だが恐らく日輪は違う。
「太田川御子は天神会の舎弟頭補佐を殺したのよ。その親である日輪高子のことを全面的に信用はできないわ」
「それは破門された人間のやったことでしょう。それにお言葉を返すようですが、紙屋の姉妹が命を落としたこと、会長にも責任があるはずですよ」
「……さっきから静かに聞いとりゃ棘が多いんじゃなあか、不動院よ。おう、寝言は寝て言わんかい」
渡世の掛け合いになる以上、好き放題に言わせてはこくどうとしてのメンツに関わる。それに、不動院はれっきとした子分なのだ。親として舐められるいわれはない。
「ワシにはのう。日輪を生かす『理由』がないし必要もないんじゃ。それを言うにことかいて責任? ワレなにを勘違いしよるんじゃコラ」
「会長。ほしたら、この私が受けた指示はなんだったんです?」
「指示?」
「道龍会との抗争の折に内々に受けた話です。紙屋会で十分なところ、日輪さん達を入れろと仰った。確かに日輪さんは活躍されました。金本を殺ったのは彼女ですしね。……ほいでも、紙屋の姉妹は死んだ。どうしてです? あの日、祇園会をわざわざ介入させた意味は、一体何だったんですか?」
「ワレ。何が言いたいんじゃコラ。ほしたら何か? 紙屋が死んだんはワシに責任があるっちゅうことか? ワレ! 不動院コラ。親のワシにヤマ返そうっちゅんかい!」
「責任をあなたに押し付ける気はありません。……ですが私もこくどうだ。元の親の紙屋が殺されたのなら、その理由を糺す必要がある」
「同じことじゃろうが。寝言もそこまでハッキリ言えたら大したもんじゃ。ワレ眠たいんなら面洗って出直してこんかいや」
不動院はふう、と一息をついた。伝えるべきことを伝える。こくどうとしてこれほど難しいこともない。
「会長。お話いただけませんか。私は単に事実が知りたいだけです」
「くどいど、不動院! ええか、よう聞いとれや。そがあに紙屋会を日輪に渡したい言うならのう、ワレも含めて全員絶縁じゃ!
絶縁。それはこくどうにとって尤も辛い刑罰だ。一時的なものであることも多い破門とは違い、復帰や他の縁組も許されない。
つまり、組織に所属していることがアイデンティティであるこくどうにとって、こくどう組織が構成する世界から弾き出されることは、死に等しいのだ。
「会長、私は事実を知りたかっただけです。真実を話せとは言っとりません。──なんなら、それらしい理由を立てて納得させてもらえればそれで良かった」
「何が言いたいんじゃ」
「そういうそれらしい事実でさえ、言えないのでしょう。言えないだけの理由──考えうるのは……紙屋の姉妹はあなたの差し金で死んだと言うことではないんですか? この際絶縁なら都合がいい。今日この時を持って、紙屋連合は一本でいかせてもらいます!」
あまりの大声だったためか、外で待機していた世羅やその若衆が数名飛び込んできた。信じられない、という困惑の面持ちで、世羅は言葉を押し出す前にひとつ息をついてから、ようやく口を開いた。
「……不動院クン。大声を出すのは良くないな」
「若頭。お世話になりました。もう帰るところです」
「ボクが会長に弓引いたバカをそのまま返すと思うのかい」
世羅は笑っていない。その言葉に嘘はなかった。ここから五体満足で出さないつもりだった。白島のメンツに関わることだからだ。
しかしそれを止めたのは、誰あろう腰を上げて二人の間に立った白島であった。
「やめなさい。伊織ちゃん、彼女への攻撃は許さないわ。今日のところはきちんと帰しなさい」
「しかし」
「この私と戦争をやろうと言うのよ。……こんなところで闇討ちのように始末するのは、仁義に反するわ」
しかしこれ以降の紙屋連合との戦争の大義名分は立った。あとはきちんと戦争に持ち込むだけだ。
「それでは、白島『さん』。失礼しますわ」
「おつかれさまでした」
形だけのねぎらいの言葉。かりそめの絆は途絶え、新たな戦争が始まる。かつての姉妹達の間を縫って、不動院は背中を見せて去っていく。
白島は子分たちの困惑の視線の中、椅子に腰を下ろす。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。ほんの少しの逡巡。
いや──らしくない考えに頭を振る。こくどうは考えない。『なってしまったからには仕方ない』。それに、たかが睦連合の会長だ。盃を交わすわけではない。あくまでも仲良し団体の代表だ。末端まで忠義心などありはしないしだろうし、所詮は砂上の楼閣だ。
日輪高子さえ死ねば、それで終わりだ。
理屈はそうだった。
しかし感情は違う。
白島は思わず、お気に入りの茶碗を掴んで、床に叩きつけていた。儚く陶器が砕けて散る。つかの間の平穏が霧散した、今のヒロシマのように。
「会長──」
「世羅。殺れ。あんなあらみんなぶち回したれや! 紙屋連合は反目に回った。戦争じゃ! 手打ちなんぞかったるいことは言わん! 看板賭けて潰れるまでやれや!」
言葉を吐くたびに、白島の中から自分が剥がれ落ちていくような気がしていた。こくどうとしては正しい。このうえなく正しい判断だ。
だが、白島莉乃という人間から見れば──正しいと言えるのだろうか?
家族を切り捨てるのに、どんな正義があるというのだろう?
だが白島はこくどうだ。
侮られた以上、敵を殲滅する以外に、正しさを証明することはできない。その正しさの証明のために、彼女は数限りない命を奪い、血の轍を作ってきたのだ。今更何を躊躇うと言うのだ。
ふと、安奈の悲しそうな顔が浮かぶ。こくどうとしてもう『戻れなくなってしまった』彼女の、後悔の交じる顔が。
世羅たちが戦争の準備のために部屋を出ていき、白島は一人になる。腰が椅子に根を張ったように、彼女は動けなくなった。
虚しい。
ヒロシマの
ならば、このループはいつまで続く。決まっている。命を落とすまでだ。
こくどうとしていつか燃え尽きるまで、白島はこの戦いを続けていかねばならない。卒業を拒否し、長期政権を目論んだ以上『やっぱりやめます』と降りることなどできない。
落としたリップは塗れないのだ。
勝ち続ける──どんなことをしようとも、どんな犠牲を払っても──後悔など許されない。
これまでの自分の行いが、間違いだと思ったことはない。だからこそ、そうだと後を押してくれる誰かの存在に、彼女は飢えていた。
恐怖による服従でなく、純粋な共感が欲しかった。しかし恐怖で押さえつけてきた周りに、共感をするものなどもはや一人も残っていなかった。
白島は、孤独だった。
続く
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