第十一話 姉は傲慢に振る舞うものですか?

 ゆみは久しぶりに元町女子学院の制服──ジャケットにスラックス、緑のネクタイを合わせて、母校に登校していた。

 その傍らには、祇園高校の濃紺のジャケットを羽織った、高子と御子の姿もあった。

 長楽寺ゆみは、天神会会長・白島の盃を受けて、小網会舎弟頭から、天神会直系若衆に抜擢される。

 天神会直系若衆。天神会という巨大な組織ともなると、組織の一番末端であったとしても強大な権力を持つ。

 もともとこくどうとは女子学生の仲良しグループに端を発しており、女王バチクイーン・ビーとその取り巻きを想像してもらうとその構造を理解しやすい。

 女王の取り巻きは常に少数だ。少数であるがゆえに、その取り巻きの一人一人にも取り巻きがついてくる。そうして、女王が作った組織は巨大化する──つまりゆみは、取り巻きの取り巻きから、女王の親衛隊になるわけだ。

 よってその権力と共に責任、受ける嫉妬──何もかもが増大する。成功とは重荷であり、負担にもなりうる。


「長楽寺の姉貴。会まではちいと時間があるで」


 高子はポッピンキャンディの封を取りながら言った。


「おう。小網の姉貴に挨拶していくわ。難しいとは思うが、天神会での後ろ盾も必要じゃけえの。お前らもついてこいや」


 小網会は校内において文化部を統括している。元町女子学院は強豪部活動を多数抱えており、天神会所属の部員も多数いる。

 積極的にこくどう活動を行う部員もいるが、天神会としての目的は各部の予算だ。数パーセントを上納金として回収することで、部活動に専念させ、あらゆるトラブルを防ぐ。

 いざというときは、部活動に専念している生徒もこくどうとして動員できるが、それは稀な話だ。準構成員として登録だけされている彼女らを除いても、天神会の構成員は二百人もいる。

 こうして高子が元町女子学院に来るのは二度目だったが、そのあまりの戦力差に焦りを覚えている。

 時間がない。


「日輪。……頼むけえ小網の姉貴に生意気たれんでくれや。お前は外様のこくどうじゃけんの。敵を作って得することなんぞ、なんもありゃせんで」


 ゆみの苦言が、高子を現実に引き戻した。彼女はいつものように不敵に笑った。


「敵を作る? わしゃ、筋目だけハッキリさせたいだけですで」


 高子はそれだけ言って、くわえたポッピンキャンディのスティックを上下させた。


「あね……いや、オフクロ。長楽寺会長の仰るとおりですよ。わしらも天神会の末席ですけん、波風立てるんは……」


 御子が耳打ちしてきたのに頷く。確かに時間はないが、順番を間違えれば自滅するだけだ。

 ゆみを神輿に担いで上を目指す。白島の喉元に刃を押し当てるには、それしかないのだ。

 たどり着いたのは、校舎の三階隅に、そっけなく『和室』と書かれた特別教室だった。他と同じシンプルな引き戸をくぐると、障子戸が現れ──ゆみはそこに声をかけた。


「長楽寺です」


「おう。入りや」


 音を立てぬようにせねばならなかった。中で何をしていようが、失礼と断じらればマイナスだ。

 腰まで届く長い髪をまとめ、すらりと背中を伸ばした正座のまま、小網は剣山に紅白の百合を刺していた。


「小網の姉貴。お久しぶりです」


 天神会直系小網会会長・小網さんごはこちらを見ることもせず、背中越しに言った。


「おう、ゆみ。ま、座ったらんかい。……後ろにおるんは──」


「日輪高子です。こっちにおるんは、ワシの子分の太田川っちゅうもんですわ。伯母貴、よろしく頼みます」


 高子は素直に、太田川と共に頭を下げた。


「会長をハジいたと聞いとる。カシラにも口ごたえをしたらしいのう」


「こくどうですけん、筋目の話をしただけですわ」


 高子が素直だったのは、最初の一言だけだった。わずかに御子が眉をひそめたが、もう遅かった。さく、と百合の茎が潰れ、花弁が俯いた。


「ワレ、筋目が天下御免で通る思うなや。ワレを生かしとんはの、長楽寺の顔を立てとるけえで」


 喧嘩を売られたことが分からぬほど、高子は耄碌していなかった。

 だがゆみが言うように、敵をいたずらに広げるのは、得策でないこともある。そんなことは百も承知だ。隣の御子も、伺うようにこちらを見ている。対応は間違えられない。

 それでも、高子はこくどうだった。


「伯母貴。長楽寺の姉貴の顔を立てる、言うんなら──三下にぴいぴい言うんは、あんたの格が落ちるいうもんじゃありませんかいのう」


 小網は正座から立膝になって、こちらを仰ぎ見た。静かな怒りが、その目に宿っていた。


「ワシにも噛み付くんか、犬っころがよ」


「生憎噛み付くことしか知らんですけえ」


 御子は二人の間で火花が散ったのを見た。すわ、抗争か──彼女は思わずスカートの裾を握り込んだ──が、小網がふっと笑みを見せた。


「ま、せいぜい気張りんさいや。──ゆみ、いっとくがのう。こがあな犬ッコロは飼いならせんで。手ェ噛まれんようにしいや」


 小網はそう述べると、再び背を向けた。これ以上敵意を向けられていたら、御子は飛びかかるしかなかっただろう。


「伯母貴が話のわかる方で良かったですわ」


 高子はそう言うと、御子を目で制した。子分といえど元は姉妹盃を交わした仲である。何でキレるかくらいは分かっていた。


「この調子ですけん。躾はしとりますが、口が悪いんは勘弁してくださいや」


「ワシは構わんが、紙屋の姉妹はそうはいかんで」


 長楽寺組は紙屋会の『お手洗い』を新しいシノギとして一店舗譲り受けている。

 紙屋の反発を招いた──ありえそうな話だ。


「しかし、若頭からのお話でしたけん、ワシャナシがついとるもんじゃとばかり」


若頭カシラはあがあな性格じゃけん、姉妹ェが納得しよらんのよ」


 小網はため息交じりにそう述べると、ゆみに向けて言った。


「撮影会の前でドタバタしよるが、今からでもええけえ紙屋の姉妹のとこに挨拶にいけや。あんなあは相当頭に来とるけえの」


 納得はできなかった──が、こくどうである以上仕方のないことだった。上の言うことは絶対だ。


「ほしたら姉貴、面倒をかけますが──」


 ゆみはそれ以上の駆け引きを避けて立ち上がった。ただでさえ高子達祇園会という爆弾を抱えている立場だ。アドバイスを素直に聞いてもバチは当たるまい。


「面倒? ゆみ、妹分が出世したんじゃ。面倒もなにもないわい。……悠の分まで活躍したらんかい」


 悠はどう思うだろう。

 ゆみはそう考えずにいられない。かつて彼女がそう願ったように、妹を踏み台にして出世していく自分の様は──複雑だった。


「ありがとうございます、姉貴」


「ええけえ、はよ行き。紙屋の姉妹が待っとる。紙屋会の事務所は分かっとろうが?」


 小網はこちらをふりむくことなく、新たに差した百合の葉を、剪定バサミで切り落とした。

 ドアの閉まる音が、はらりと落ちた葉の音を掻き消した。



「ほしたら、紙屋の姉貴んとこも行くか」


 ゆみは早速切り出したが、その表情は暗かった。細かい事情は聞いていないが、御子には分かっている。紙屋は天神会のなかでも武闘派の実力者だ。自分の姉貴分の五分の姉妹分だが、先程のようにはいかないだろう。


「会長。日輪の姉貴はどうされますの?」


 御子に言われなくても、ゆみは高子を待機させるつもりだった。紙屋は白島のシンパだ。彼女の左目を奪った人間に、容赦などしない。わざわざ寝た子を起こす必要はないだろう。


「日輪。お前、太田川と一緒に外で待っとれや」


 ゆみは窓から体育館そば、クラブハウスを指差しながら言った。


「紙屋の姉貴はとにかく血の気が多いけん、やれんで。事務所にゃワシ一人で行くわ」


「姉貴は一人で大丈夫ですのん? わしゃ心配ですわ」


 高子は少し茶化して言った。思わずゆみも笑みを浮かべてしまう。不遜な女だが、それが時たま心強い。


「バカたれ。面倒なだけじゃ。喧嘩っ早い人じゃけえのう」


「ほしたら、日輪の姉貴とクラブハウスの外で待っとりますけん」


 人工芝がきれいに植えられたグラウンドの側に、運動部の部室を兼ねた二階建てのクラブハウスが存在する。紙屋会の事務所へ入っていったゆみを見送った後も、建物の中から視線が突き刺さるような感覚が高子と御子を襲った。


「姉貴。ジロジロ見られとりますのう」


「女は見られてキレイになるもんよ」


 高子はあっさりそう言い放ったが、口に咥えたキャンディをがりがり音を立てながら噛み砕いていた。

 落ち着かないのだろう、と御子は感じた。敵地なのだから当たり前だが──それでも高子が動揺することもあるのか、とも思った。ただでさえ、そうした機微を笑ってごまかしてしまう人なのだ。

 そして、それ以上に一人で『敵地』に入り込んでいったゆみもまた心配だった。彼女は紛れもなく天神会に対する安全弁だ。タガがゆるめば祇園会はにべもなく踏み潰される。

 そしてこの瞬間も、紙屋会のごろつきにちょっかいを出されれば──だれにも助けを乞うことはできないのだ。



「ほたら何かい、ゆみよう。若頭がお受けせえ言うたけえ店はやる、言うんかい」


 紙屋の不機嫌は極まっていた。若頭の世羅への不満が、そのままゆみへの不満にすり替わっていた。責任転嫁がうまいこくどうは出世する。紙屋はまさに、その典型的なタイプだった。


「若頭が死ねェ言うたら死ぬんかい」


「伯母貴。ワシは天神会の下っ端ですけん。若頭がやれェ言うたら断れんのですわ。ほいじゃけんど、仁義切らんと伯母貴にも失礼ですけん、寄せてもろうたんですわ」


「失礼? バカタレが。そがあに思うとんなら、ちっとは頭働かせんかいや。のう?」


 苛ついていた筈の紙屋が急に笑みを浮かべた。彼女が笑うとき──それは良くない予兆だ。紙屋みのりは他人の血であればいくらでも流すし、流させる女であるからだ。


「ワシの店だったんじゃけえ、ワシにもちいたあオイシイ思いでもさせんといかんじゃろ。あ?」


「伯母貴。ワシャ未熟もんですけえ、パキッと言ってもらわんとわかりませんで」


「ほたらハッキリ言うたるわ。祇園会のカス共を切る時、ワシに手柄を譲らんかいや。どうせアイツらは会長に弓引いたアホ共じゃけえ、またヤマ返すに決まっとるわ」


「……会長に弓引いたアホがおったら、差し出せ言うんですね」


 内心、ゆみはほっとしていた。いずれにしろ未来の話だ。しかし、口に出したからは落としたリップは塗れない。彼女にできることは一つ。祇園会をコントロールして、紙屋に隙を見せないことだ。

 手勢のいないゆみにとっては、外様の祇園会でも貴重な戦力だ。かんたんに切れる間柄ではなくなっていた。


「ほうよ。よう分かっとるじゃない」


「……伯母貴。わしゃ、今日天神会の盃もらいます」


「おう。めでたいもんよの。祝儀でも欲しいんかいや」


 紙屋は足を組み直して言った。


「いえ……。同じ姉妹分──とまではいいませんわ。所詮、ワシャ末席のペーペーですけん。ほいじゃが、伯母貴。ワシャ舎弟の前なら、ええ格好せんといけんのですわ。ご期待に添えられるかどうかは、約束できませんで」


 それは遠回しな宣戦布告だった。ゆみは敵対するつもりは毛ほどもなかった。その一方で、仮にも舎弟にした日輪達祇園会を見捨てるつもりもなければ、生贄に差し出すことはないと断言してみせたのだ。

 紙屋のこめかみに血管が浮くくらいは、想定内だった。


「ワリャあ、ワシをおちょくっとんかい。言うたらお前、序列でいやあワシはお前より上で? それを断り入れるんかい」


「こくどうじゃったら、断りいれんにゃならんとき、適当な事は言わんでしょうが」


 紙屋は椅子に座り直すと、握りこぶしをそのまま机に叩きつけた。


「ボケ! おうコラ長楽寺よう、ワリャあこのワシにヤマァ返す気かい! 上等じゃ! いつでもやったるけえ、覚悟せえや!」


 長楽寺はソファの上から動かず、姉貴分になる女をまっすぐに見据えていた。言うべきことは言った。こくどうの世界は理屈の押し付け合いである。言い換えれば、火のついたダイナマイトを口八丁で渡し合うようなものだ。爆発したら、持っていた人間に罪がなすりつけられる。

 爆弾は今こちらにある。


「……伯母貴。腹を割りましょうや。ワシャ、反目しとった祇園会を抱えて、若頭からはお手洗いをやれえ言われて──はっきり言うて、手に余っとるんですわ。当然、お手洗いなんぞワシャやったことありませんし、経営もよおわからんのです」


 紙屋は眉を持ち上げ、声を荒げるのをやめた。


「ほいで、なんじゃい」


「反目の跳ねっ返りでもワシには姉妹分じゃし、カシラの厚意を下っ端のワシが無下にすることもできませんわ。誰か詳しい方がおったら、教えてほしいくらいです」


 二人の目線が合った。紙屋は、察しの悪いこくどうではなかったし──ゆみが何を切り出すのか、読めた。


「紙屋の伯母貴がやっとった店ですけん、ワシャあ伯母貴に経営顧問になってもらえりゃあ、心強いと思うとります」


 実益を多少切り捨ててでも、紙屋と敵対するのは避けたい。ゆみは決断した。小網と紙屋は五分の姉妹分。そのさらに妹分であるゆみを積極的に攻撃しようという気がないのは読めていた。

 しかしその一方で、彼女は自分の利益が損なわれることに敏感だ。難癖をつけてでも、なにかをねじ込んでくる。

 ならば、はじめからある程度手放してしまえば良い。長楽寺組は、元から何もない組なのだから。


「経営顧問のう。ほしたらなにかい。ワシにカネ払って手打ちにする、言うんかい」


「こくどうの先輩のやり方を教わりたいとも思うとります」


「バカタレが。こくどうが習ってできるかいや。──ほたら言うたるわ。わしゃあのう、日輪高子も、ヤツに鈴つけたっちゅうお前も気に食わんのよ」


 自分がこぶしを握りしめているのに気づいたのは、その直後だった。こくどうにはこくどうの常識がある。そして、それに裏打ちされた打算──そのために表出される怒りがある。

 気に食わない──しばしば持論を通すための手段として扱われるその言葉は、曖昧なのに何よりも強い言葉なのだ。


「帰りや。わしゃあこれでも若頭補佐じゃけえ、体面っちゅうもんがあるけ。今日は素直におめでとうを言うちゃるわ。……ま、外におるガキ共がどう思うか知らんがのう」


 紙屋は不気味にそう笑みを浮かべると、人差し指をくるりと回して外を指した。

 怒声が部屋まで届いてきたのは、その直後だった。


「おう、やっとるわ。長楽寺の、知っとるじゃろうが──ワシの組は、ハネっ返りが多くてのう。いうことなんざ聞きゃあせんのよ。もし祇園会のクソ共が外をうろついとったらァ〜」


 紙屋はソファの上であぐらをかくと、余裕の表情でツインテールの毛先をくるりといじった。


「殺してしまうかものォ?」


続く

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