第八話 外交に定石は無いんですか?

「どうぞ、おかけください」


 生徒会室まで通してくれた会長秘書の物腰は丁寧だった。ここに至るまで目立った妨害も、実害も──悪口暴力に至るまで何も無い。拍子抜けと言えばそれまでだが、ゆみはまだ何かを警戒していた。


「ありがとうございます」


「悪いのう。すまんが茶でも用意してくれや。喉が渇いてからいけんわ」


 秘書は美しいお辞儀を見せて、退室していった。高子と安奈は存外落ち着いた様子だが、ゆみは気が気でない。


「天神会の中で、この部屋をなんちゅうか知っとるか……?」


 ゆみは自分に言い聞かせるように──恐怖を共有化するように、震えながら言った。


「処刑室よ。たいがい、幹部以外の連中が呼ばれる時は──ろくなことにならん。……日輪、上島。ええか。話はワシがする。お前らは何も言うな」


 十分程度の時間が、永遠にも感じられるようになった頃──生徒会長室に入ってくるものがあった。選択制の制服であるブレザータイプのジャケットにパンツスタイル。白いドレスシャツには清潔感があり、しっかりと細いグリーンのネクタイを結んでいる。背が高く、茶色のミディアムヘアをふわり流してまとめ、どことなく中性的な風貌。


「やあ、待たせたね。何もお構いもせずに申し訳ない」


若頭カシラ? 会長は……?」


「まあまあ。それより──彼女が、祇園会の」


 爽やかな笑顔のまま、女は応接ソファに腰掛けた。かっこいい人だ、と安奈は好意的な印象を抱いたが、高子は違うようだった。わずかに眉根が寄って、不快感を示していた。


「誰じゃ、あんたは」


「やあ、ご挨拶だなあ。とはいえ、初対面だし失礼だったね」


 女は少しだけ前髪を持ち上げてサラリと流し──なんだったら目も流しながら軽くウインクしてみせた。


「元町天神会若頭、直系せらふじ会会長、世羅伊織せらいおりだ。元町女子学院の生徒会長も兼任している。よろしく、日輪高子クン」


「名乗った覚えはなあで」


「若頭というのは、情報の精査が仕事でね」


 乗りだそうとした高子の肩をぐいと戻したのは、ゆみだった。彼女のせいでただでさえゆみは肩身が狭い。ここでまた諍いでも起こされた日には、いよいよ立場がなくなってしまう。


「カシラ。ほしたら、祇園会のことは……」


「うん。大体のことは把握しているよ。安東相談役のことは残念だったね」


 ゾッとした。

 ゆみは、若頭の世羅と積極的に関わったことはない。彼女が生徒会長として人気を博し、白島をよく補佐している優秀な人材だというくらいは耳にしている。

 しかしその評判の中身までは知らなかった。知らせないようにしていたのだろうということは、容易に想像できた。


「しかし、筋はこっちにあるとはいえ──協会おやはともかく、天神会に断りを入れなかったのはうまくないね、長楽寺くん」


「面目次第もないですわ」


「ただ、早めに始末をつけたのは良いことだ。会長も、気が長いほうではないからね」


 昨日の今日で、もうそんなことまで知っている。安東や悠のことは、天神会の誰にも話していないのに。


「世羅のカシラ。……新参者が混ぜっ返すようじゃがの。あんた、よおけモノを知っとるが、犯人の始末やらなんやらまで、なんでそがあに詳しいんじゃ?」


 思わずゆみは発言者──高子を見た。無知は罪だが、武器にはなり得る。知らなければ世羅の恐ろしさを感じることはないのに!


「さっきも言ったとおり、それがボクの仕事だからさ、日輪くん」


 爽やかな笑顔でそう言うと、ゆみに向き直って一転、痛ましい表情で彼女の手を握ると、目をまっすぐ見据えて言った。


「……長楽寺くん。『妹さんのことは残念だったね』。でも、できる限りのことはする。ボクらは同じ代紋の下の姉妹だからね」


「妹は──悠は……」


 ゆみは左手でスカートのポケットを探り、白い高級なハンカチで包まれた妹の形見──即ち爪をテーブルに広げた。


「ケジメをつけて、自首を──」


「自首? おいおい長楽寺くん。天神会のこくどうがそんなことするわけ無いだろ」


 世羅は爽やかに笑うと、悠の爪をどかした。


「え? そがあなことは……」


「ケジメにも色々付け方があるだろ? 君の妹さんも、そうしたんじゃないのかな。天神会の会員が『自首』したなんて報告は受けてないし──これからも受けないだろうからね」


「世羅のカシラ。そらどがあな意味じゃ? ワシゃ頭よおないけえ、わからんわ」


 高子の挑発にも似た発言にも、世羅は笑顔を崩さなかった。彼女はひとつため息をつくと、扉の側に立っていた会長秘書の生徒を招き寄せ、何やら耳打ちした。


「日輪くん。上島くん。良ければカフェテラスに案内するよ。話はあとから長楽寺くんから聞いてくれ」


「カシラ。あんまりワシを怒らせんなや」


 高子は冗談めかして言った。安奈でさえも、空気が一瞬で変わったのが分かった。びりびりとした重圧が、吹き付けられるように襲ってくるのが感じ取れる。


「……じゃあ、上島くんだけでもどうだい? 君は確か東京から転校して来たんだろう?」


 いきなり名指しで、しかも転校してきたことまで指摘されて、安奈は面食らった。


「えっ? あっ、はい……」


「東京のカフェと比べても遜色ないメニューだよ。瀬戸内レモンを使ったチーズケーキは特に絶品でね」


 隣を見ると、高子は頷き、従うよう顎をしゃくった。ここにいなくていい。安奈にとってそれは受け入れがたいものだったが、この空気感に耐えきれる自信はなかった。


「あの、世羅さん。ありがとうございます……」


「礼はぜひ食べてからにしてくれたまえ。ではまたどこかで」


 世羅は笑顔のまま安奈を見送った。扉が閉じた瞬間、彼女はソファに深く腰掛けると、長い足を組み直した。


「……長楽寺くん。上島くんを退出させた意味は分かるね。僕はゲソつけたばかりの素人の前で大きな声を出すのは好きじゃないんだ」


「ほうかい。ほいじゃ、悠の姉貴についてマトモな説明をしてもらえるんじゃろうの」


 高子はまたもへらへら茶化しながら言った。切っていたスイッチを入れるのに、世羅はもう躊躇しなかった。


「ペラペラ喋るな、チンピラ。滑稽だぞ」


 笑顔だけは維持していたが、世羅の瞳の奥はもう笑っていなかった。こくどう特有の暴力的な──炎が渦巻くような殺意と暴力衝動が、黒くうねっているのが見えた。


「……日輪、控えんかい」


「控ええ言うて、ばからしゅうてじっとしとれんわい。悠の姉貴が自首しとらん。始末はつけた。どがあな意味じゃい。爪まで出しても足りんかったけ、殺した言うんかい」


「喋るなと言ったろ、どチンピラ!」


 世羅が机を蹴り飛ばす!

 高子はまだ何か言いたそうだったが、それを遮るものがあった。ゆみが彼女の胸ぐらを掴み、眼鏡の奥──鋭い視線を刺すように向けて、小さく言った。


「控えぇ、言うたんが聞こえんかったんか」


 高子は押し黙ると、そのままソファに腰掛けた。ゆみもそれにならったが、今度は視線を世羅に向ける。


「妹分の無礼はワビ入れますわ、カシラ。で、悠は会に迷惑かけんように身柄ガラを躱した。そういうことですのう?」


「ああ。さすがは小網くんの舎弟だね。わきまえてる」


「褒められるようなことはしとりませんわ。……じゃがカシラ。悠はワシの妹ですけえ、筋目だけはハッキリさせときます」


 ゆみは少しだけ間を置いた。妹は死んだ。天神会が誰かの死を仄めかすのは、事実を示唆する以外にない。

 妹を死に追いやられたこくどうは、どのように立ち振る舞うべきだろう。

 ゆみの判断は早かった。例え上の人間でも、言わねばならぬことは避けてはならない。


「上のモンでも、例えカシラだろうと──妹を殺られりゃ、ワシャ行く道行かにゃいかん、と思うとります。そういう覚悟はあります」


 世羅はソファに持たれかかりながら、唇を手でなぞるように覆った。その目はこくどうらしい暴力的な光に満ちていた。


「筋目の話をしているんだね、長楽寺くん?」


「身柄躱しただけなら、いらん話ですわ」


 おそらくは人気ある生徒会長としての爽やかな笑みが、世羅の目からギラついた光を消した。


「長楽寺くん、流石だね。……上の人間にも筋目だけはきっちり通すわけだ」


「こくどうがそのあたり適当にしとったらいけんですけえ」


「よくわかった。会長にはそのあたりも含めとくよ。日輪くんも、見習いたまえ」


 高子は何も言わなかった。『おおむね計画どおりだからだ』。

 ゆみは必要な時に必要な判断ができる。彼女はこれまでそうした判断を下す機会すら与えられていなかった。天神会の人材の層の厚さ故と言えるだろう。

 言うべきときにいうべきことを言う。こくどうとして、これほど難しいこともない。



 昨日──妹を年少送りにする他なかったゆみと二人きりになった高子は、告げるべきことを告げた。己の目的のために。


「姉貴。あんたは結構頭が回るじゃろ。……わしがこがあな回りくどい真似した意味が分かっとるんじゃないんか?」


「……それを言うたら、ワシャただのマヌケで。お前の企みを見抜けんままじゃったけえのう」


「姉貴。渡世の妹分として、本音を言わしてもらうで。……あんた、わしと合力して天神会を獲る気はないか」


 天神会を獲る。ヒロシマのこくどうとして生きるものなら、それは天にツバ吐くような大言壮語であり──見果てぬ夢そのものであった。


「お前、アホか? なんでワシが白島会長の跡目を……」


「知っとるかもしれんが、ワシは白島を弾いたがしくじった。祇園会はそれでケチがついてこのザマよ。安佐める会長の仇はとれず仕舞い。……こくどうもんとしちゃ、落ち目も落ち目じゃ。じゃが、姉貴になってくれたあんたが天神会の跡目になりゃ、ケリがつくんじゃ」


 ゆみは大きなため息をついた。気でも違っていなければそんな発想は出てこない。大体、たった今悠を身代わりに立てたのはこの女なのだ。

 しかし、だ。


「確かに、悠を……あがあな役目から解放してくれたんは、礼を言う。じゃが、それと跡目をとるとらんは別じゃろ」


「姉貴。古巣の事を悪うに言うが、あんた祇園会の頭で満足か?」


 心臓が大きく脈打った気がした。天神会の跡目。祇園会の代行。自分の組。悠の今後──。

 様々な感情がないまぜになりながら、ゆみはそれらを振り解くように立ち上がった。天神会に生きる者にとって、飛ぶ鳥を落とす白島会長に逆らうのは愚かに過ぎる。


「バカタレが。何度も言わすな。どうでもええんじゃ、そがあなことは。ワレをぶち殺さんだけでもありがたく思わんかい」


「姉貴」


「やめんかい。お前に姉貴姉貴言われたら反吐が出るわい。明日、とにかく報告じゃ。会長に何言われるかわからんで。覚悟しとけや」


 覚悟。自分で吐いた言葉を反芻するように、口の中でまた呟く。

 白島会長の前で、不手際を謝罪する。当然のことだ。それでいいのか?

 生徒会室に来たばかりのゆみの体は震えていたが、それはもう止まっていた。悠が死んだのならば、ゆみは姉として、こくどうとして──覚悟を決めなければならなかった。

 彼女の背中に、高子はこくどうなりの気高さを見た。かつての安佐会長のように──彼女の見立ては正しかったのだ。


「さてと……長楽寺くんの報告を受けたところで、内示と言うやつを出しておこうかな」


「内示……ですか」


「うん。白島会長は嘘をつかない。君を小網くんの舎弟から盃直して、組を持たせると言った以上、そうするだろう。ただ、君には明確なシノギがなかったろ?」


 シノギ。こくどう部という部活動において、部員たるこくどう達が支払うべき上納金アガリ──それを確保する方法のことを指す。


「祇園会の面々も確かそうだね、日輪クン? 君は年少から出たばかりだし、他の面々も。教科書の仕入れは本家で預かってるし、細々としたシノギじゃ組はやっていけない。……これは何もイヤミで言ってるんじゃ無いんだよ?」


 高子は少々気分を害したようで、足を組み直しながら言った。


「要点はなんですの?」


「つまり、それなりのシノギがないと厳しいだろってことさ」


「そう言われると、ワシもなんとも……小網の姉貴んとこでは、ゲーセンの仕切りをやらせてもらいよりましたけど、アレも祇園会の件をやらせてもらうっちゅうんで他のモンに任せましたけん」


「だろ? そこでだ。君、『お手洗い』やってみる気はないか」


 お手洗い。ヒロシマでは歓楽街である流川などをシマに含む天神会のみがやっている、風営法ギリギリの店である。

 プロのAV女優から、金がなく上納金が払えないこくどう達、小遣い稼ぎの女子高生や女子大生、会社員まで、様々な人達が働いている。

 天神会のシノギの中でも、ドル箱の一つだと言ってもいい。


「あっ! 勘違いしないでくれよ。君らをキャストとしてそこに突っ込むって意味じゃない。君らがオーナーになるんだ。シノギもない状態で組でござい、なんてカッコつかないからね」


「ワシがその店をやらせてもらえるんですか」


「ただし、利益の五十パーセントはアガリとして納めてもらうけどね」


 今までの不遇ぶりから言えば、破格の条件と言っても良かった。ゼロから始めなくていいだけでも、ありがたすぎる。

 ゆみは素直にそう考えていたが、高子は世羅の笑みを見ながら、その裏にある何かを感じ取っていた。話が美味すぎる。


「カシラ。その店はもうやっとる店なんか?」


「ああ。紙屋クンとこの系列店でね。スタッフが足りないから、売上が落ちててね。そこで、君らの祝儀も兼ねて店を任せるというわけさ。リスクヘッジもあるけどね」


「リスクヘッジですか」


「あの手の店は、警察やら他の組がちょっかいをかけてきやすいから。枝葉を広げておけば、対処がしやすいのさ。もっとも、天神会相手にそんな悪さする連中がいるとは思えないがね」


 断るような話ではなかった。高子さえもそう思う。それでも、何かこびりつくような疑念や不信が、その話のウラが何であるかを覗こうとする。

 信用できない──が、断る権利もない。天神会の中で、ゆみを出世させる。そのためには、ある程度の危険も許容しなくてはならぬ。


「内示は以上だ。正式なのは、盃を交わしてからということで。ボクからの話は以上だよ」


「カシラ。たいぎい話を持ち込んでしもうて、申し訳なかったです」


 ゆみがそう頭を下げたをみて、高子もそれに続いた。白島が出てくる気配はなかった。出てこなかったのは、運が良かったかもしれない。


「ま、若頭の仕事なんてそんなものだからね。上島くんは五階のカフェにいる。君たちも一服していったらいいさ」


「甘えさしてもらいますわ。ほいじゃ、またいつでもよんでつかあさいや」


 ゆみと高子の後ろ姿を見送った後、世羅はソファに身体を沈め、天井を見上げた。彼女の仕事は終わっていない。


「さて……ボクはともかくとして。会長はどう思うかな?」


 白島莉乃は、天神会の絶対者である。彼女が白だといえば、黒いものでも白くなる。

 今回、長楽寺を祇園高校に派遣したのは他ならぬ白島だ。しかし、日輪が勝手に走って安東を始末しにかかるのは想定していない。

 ましてや、あの日輪がおとなしく長楽寺に従っているのは完全に想定外だろう。盃云々の段階で揉めた日輪を始末するのが、白島から聞いている本来のシナリオだった。

 よって、白島が長楽寺に盃をやるか否かは、確定していない。内示云々は世羅の判断によるものだ。


「また、勝手な事をしたと思われるかな」


 世羅の頭から足先へ、ゾクゾクとしたしびれが降りてくる。ああ、また怒られてしまう。

 世羅はまごうことなき白島の懐刀だが、困った性分を抱えていた。生徒会長。天神会の若頭。学院の王子様──完璧なステータスを持つが故に持っている肩書の多さの反動で、常に彼女は誰かに服従したがっている。

 その対象は、白島だ。完璧な世羅がするはずのないミスをわざとすることで、白島から激しい叱責を受ける──そのことに言いようの無い多幸感を覚える。自分は大きな力にねじ伏せられるちっぽけな存在だと思い知る。ヒロシマこくどう界でも頂点に近いが故に、そうした力を白島に求めたのも無理のない話であった。

 足音が廊下の先から近づいてくる。上履きが床を叩く音が──白島会長が近づいてくるのがわかる。

 そのたびに、世羅はぞくぞくと背中を震わせた。彼女はなんと言うだろう?

 案外あっさり盃をやれ、と言っておしまいになるかもしれないが──どちらに転ぼうが白島はやるべきことをやるだろう。絶対なる強者。

 ヒロシマこくどうの頂点たる白島に対して、自分ごときが何をしようが失敗しようが、些末なことだ。

 世羅は笑みを湛えながら、自らの拠り所であり、支配者の到着を刻々と待ち続けていた。


続く

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