第五話 外道をカタにハメるって、どうやるんですか?

「姉さま。……安東先生のとこに行ってきますけえ」


 妹が身体をソファから起こすと、視線を合わせるのが一苦労だ。

 校舎三階、突き当りにある空き教室には、元祇園会の事務所がある。今そこを使っているのは、祇園会の代行をしている、天神会所属の長楽寺姉妹である。


「ほうか。……もう一月経ったんか。まあ、頼むで」


 メガネを押し上げながら、姉は言った。祇園会代行は、いずれ姉のゆみが組を持つための試金石であった。

 祇園会生え抜きのこくどう達は、前会長の安佐が殺られ、跡目候補の日輪が自首したことで、──一部を除いて戦意を喪失した。同時に、跡目が指定されなかったことを理由に祇園会の存続さえも危うくなった。

 そこに目をつけたのが、白島であった。

 こくどうは乙女のための部活動。協会が掲げるお題目──その実、あまりに中身のない建前であったが、白島はそこに目をつけた。乙女のためならば、学生の手に委ねるべし。協会の手──つまりは大人に委ねるのは間違っている。

 つまるところそれは、祇園会のシマを本格的に取り込むようにも見えたが、白島の考えは違った。

 彼女は祇園会をどうしても存続させたかった。そのためには、形だけでも学生が運営に携わる状況を作りたかったのである。

 あてはあった。元祇園会相談役、安東。相談役とは協会との橋渡しとなる役職であり、各校それぞれの会長と五分の盃を交わす特殊な立場だ。彼女なしでは会自体が成り立たぬ。

 しかし安東は曲者だった。教員のくせに重度の女子高生好きだったのだ。二年前、たまたま天神会系列のメイド喫茶で揉めていた──お触り禁止の規則を破ってメイドに度を超えたセクハラをカマしていた──のをカタにハメ、白島の軍門に密かに下らせることで教職の地位を保証していたのだ。

 彼女は、白島の指示の元、教員と相談役の権力を使い、長楽寺姉妹を短期転校生とし、空位になっていた祇園会会長代行に姉のゆみを指名したのである。

 すべては白島の目論見通りに進んだ。たったひとつ、安東の条件を飲んだことを除いては。


「うちはもう終わりよ。古巣を裏切ったんじゃけえ」


「相談役。あんたがビビっとるんは、日輪の返しじゃろうが。この長楽寺ゆみがおる限り、あんなあには手出しさせんわい」


 ゆみ達が転校してきてすぐ──事務所にやってきた安東が開口一番そう言い出すへ、ゆみは不機嫌そうにそう返した。正直、この外道がどうなろうとゆみの知ったことではないが、少なくとも白島会長は彼女に利用価値をまだ見出している。ご機嫌取りは必要だった。


「いいや、うちはもう終わりじゃわ。そう思うたら、人間不思議なもんで──欲が出たんよ」


 欲。こくどうは欲深い。それは、様々な暴力を背景に、動かざるものを動かすことができるからに他ならない。

 安東の場合、その欲は──女子高生、それもこくどうを抱くことに向く。それも、自分より立場の弱いこくどうを食い物にするのが何より好きなのだ。ゆみから言えば、最低のクズであった。


「いうてみんさいや」


「あんたのね……妹の悠ちゃん。何も毎日言うわけじゃのうてねぇ、一月に一回でええんよ。あんたも、白島会長の手前、大事おおごとにはできまあが。うちが『間違えたら』──あんたの短期転校がパァになるかもしれんしねえ。ほしたら、会長代行はまた席が空いてしまうけえ、困るよねえ」


 眼鏡を押し上げながら、安東は妙な猫なで声でそう言った。つまるところ妹を売れというのだ。

 相談役にはこくどう部内の人事を直接動かす力はない。あくまでも、協会へ決まった人事を報告・申請するのが役目だからだ。しかし、教員としての力は別だ。今転校許可が消滅すれば、白島の意向に逆らうことになってしまう。

 それが、妹のせいとなれば──どのような目にあわされるか。白島はこくどうの中のこくどうだ。事情など考慮せず、己のメンツが立つかどうか、利益を損なったかそうでないかでのみ判断を行う。

 失敗をした部下など、歯牙にもかけぬだろう。自分どころか、悠まで──。


「わしに妹を売れぇ言うんか? 頭おかしいんかワレ」


 虚勢を張るのは慣れていたが、動揺が隠せていたかどうかは自信が無かった。

 安東は歯を見せて笑った。そう言われるのを待っていた、とでも言うように。


「ほうよ。ほうなんよ。うちはねえ、おかしいんよ。誰でもええんよ。うちのせいで女の子の人生が狂うのが、楽しゅうて仕方ないんよ。祇園会の子たちも、うちが人事申請をミスした言うたら、あんたみたいな顔をしてね──」


「黙らんかい」


「黙らんよ。……ねえ、長楽寺さん。あんたもこくどうもんじゃろ? 先輩からええこと教えちゃるわ。こくどうはね、自分の利益が第一よ。血が繋がっとろうが繋がっとらんが関係無いんよ。上に行こう思うんなら、何でもやらんとねえ」


 どの口が。自分を正当化してのたまっているだけだ。

 しかし──しかしだ。

 安東が去り、一人になってから、長楽寺は己に問う。こくどうに逆転ホームランがあるとすれば、それは下剋上しかない。今の天神会は上が詰まっている。順当に行けば天神会三次団体の長にはなれるかもしれない。だがそれまでだ。得られるものは少ない。祇園会のシマを取り込めれば、違う。

 今は小網の舎弟でも、白島直系に盃を直してもらえるかもしれぬ。手段は不細工でも、結果がでれば会長は文句を言わない。

 そうなれば、一気に直系長楽寺組として、同級生をごぼう抜きできる。


「……姉さま、何を悩んどりますの」


 いつの間にか戻ってきていた悠が、訝しげにこちらを見た。考えが考えだけに気まずかった。

 しかし、姉妹として──本当に血の繋がった妹に、隠すようなことではないと彼女は思った。


「相談役がの、わや言いよる」


「女ですの?」


 安東の話は、悠も承知していた。


「ほうよ。誰かあてがえ、言いよるんじゃ。バカタレが。色狂いじゃ、あんなあは」


 悠はしばらく押し黙っていたが、やがて口を開いた。


「誰をやりますの」

 そこに動揺の色は見えなかった。当然のことを当然に言った──自然な返事だった。


「……悠、お前──」


 言えば、戻れない気がした。こくどうにも外道か否かの線引きはある。


「姉様、まさか祇園高校の連中を引っ張るわけにもいかんでしょう。あの相談役はこくどうに悪さするんがええんですから」


「お前がやらないかん理由はないんで」


 悠はすでに覚悟をしていた。不本意な覚悟であったことだろう。こくどうは乙女の部活動。女の体をむやみに差し出すのは美しくない。

 しかしそれを命じるのが、渡世の親や姉貴分であれば別だ。目上の者が黒いものを白だといえば、そうだと声を上げる。それがこくどうの世界である。実の姉妹だろうと、渡世の上では悠は妹分──つまり格下だ。悠は姉の捨て石になることを望んでいた。尤もゆみは違ったが──。


「うちに、悠を売れえ言うんか」


「うちらはこくどうですけえ」


 テーブルを挟んだ先で笑う彼女を見て、ゆみは悠の手に──妹の体温を感じようとした。しかしそれはこくどうの行いではなかった。彼女は笑った。舎弟に理不尽を課さずして何がこくどうか。それをもってのし上がることこそが、こくどうの本分ではなかったか。



 ──結局、好きにしろ、とは言った覚えがある。

 今となっては、悠がその時どんな顔をしていたのか、もう思い出せない。それを自分がどう考えているのか、後悔しているのか──うまく言語化できずにいる。


「おう、部室に来るのも久々じゃのう」


 悠は既に去っていた。目の前からも、記憶からも。新たに飛び込んできたのは、いつもつっかかってくる太田川とその舎弟の沼田、そして──。


「ほお〜……見た顔じゃのう。有名人じゃ。知っとるで? のお、日輪よ」


 高子はロリポップキャンディの包みをとって、くわえた。


「長々留守番を任せて悪かったのう。あんたの姉貴にゃよおけ礼を言うとくけえ、たちまち事務所から出てくれんかのう」


 高子は笑いながらそう切り出した。宣戦布告ととられても文句は言えぬ暴言である。


「日輪よ、勘違いしとりゃせんか? ここは祇園会の事務所で、わしは会長代行よ。お前は何じゃ」


「会長。ほお。年少行っとるうちにいつの間にわしゃあこがなちんちくりんの盃もろうたんかの。わしが盃もろうたんは、安佐めるじゃ。祇園会会長じゃ。わしがアホになっとらんなら、天神会のバカタレから盃はよお貰わんで」


 ゆみは机を叩きながら立ち上がった。


「調子よおペラペラ喋んなサンピン!」


「暴力はよおないで、会長さん。ま、ちいと耳を貸してくんない。年少帰りのたわごとじゃ思うてよ」


 高子はどっか、と事務所のソファに腰掛けると、扉の外にいた少女に声をかけた。


「安奈の姉ちゃん、こっちに座りんさいや」


 おずおずとこちらに顔を出した少女に、高子は手で招き入れた。高子の隣に座った少女をにらみつけるように、ゆみは正面にある一人がけのソファに座った。


「わりゃ、何をしにきたんじゃ」


「この安奈の姉ちゃんはのう、三日前に転校してきたばっかりじゃ。右も左もよお知らん。それがのう、ひどい目に合わされたんじゃ。それも、祇園会の幹部にじゃ」


 幹部?

 ゆみは思わず漏れそうになった心の声を押しとどめた。祇園会はあくまで仮の状態で動いており、所属するのは長楽寺姉妹の他いない。太田川や沼田は、はぐれものであり、扱いとしては現行の祇園会から破門された存在だ。幹部などではない。

 しかし、例外はいる。

 相談役の安東である。


「……何が言いたいんじゃ」


「おいしっかりしてくれや、会長さん。いわにゃ分からんか? 相談役の安東が、よりにもよってカタギの転校生に手ェ出したんじゃ。それなりのケジメつけてもらわんと格好がつかんじゃない。ワシもここにおる太田川も沼田も、祇園会じゃ。同じ会からそがあな外道が出てくるんは許せんのよ」


 ゆみは、ここに来てようやく日輪の目的を察した。

 こいつらはハメる気だ。

 こくどうはメンツの世界だ。仮にも祇園会会長代行としてこの場にいる長楽寺が、幹部である安東の不行き届きを指摘されれば、無視などできぬ。

 ましてそれを指摘するのが、『祇園会所属のまま』年少行きになった日輪なら。


「日輪の。そがあに言われても、ワシは」


「安奈の姉ちゃん、もうちいと待っとってくれよ。ワシらがついとるけん。『会長が首を縦に振らんでも』、ワシがあんなあをカタにはめちゃるけえ。身内の恥は会長の恥になるんじゃけえ、の?」


 高子の鋭い視線が、こちらを射抜いたようだった。真偽はともかく、そんなことを吹聴されれば、当然ゆみの責任になるだろうことは想像に固くない。


「お、おい待てや日輪の。たちまち落ち着かんかいや。ワシもそがあなこと言われても、すぐにはいそうですか、言うて首ふれるかい。だいたい、相談役は言うたら会長の姉妹じゃろが。それを簡単に殺る殺らん言うて──」


「……ほしたら何かい会長。実の姉妹は生贄にしてもどうでもええいうんかいや」


 あの相談役が、ああいう問題を何度も起こしているのは承知の上だ。天神会の連中もそうだろう。しかし、それを悠に結び付けられると、一気にゆみは追い込まれる。何せ、白島に許可を取らずにやっていることだ。

 そんなことが原因で日輪によって相談役が殺されるようなことがあったら、祇園会代行など終わりだ。それはゆみ達長楽寺姉妹の終わりでもある。

 止めなければ。


「日輪よ。まあまずは落ち着かんかいや。年少明けてすぐでイキがるのもええが、まずはやることがあるじゃろ?」


「やることっちゅんはなんかいや」


「盃を直しちゃらンといけんじゃろ。白島会長からよおけ言われとんよこっちは。日輪が出てきたら、今の祇園会に盃を直して仕切り直しちゃれ、言うてのう」


 日輪にとっては、妙な話だろう。だが、ゆみの代行としての任務の肝はここだ。日輪高子を祇園会のこくどうに戻す。そして、白島の持つ圧倒的な力をもってすり潰す。

 白島はあの日、目を奪われたことを忘れていない。あの痛みを、屈辱を忘れていない。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの白島が残している、最後の宿題だ。


「姉貴。……盃直すなんぞ、ワシらには一個も言わんかったんで。なんぞウラが──」


 御子の耳打ちに高子は頷き、ずいと体をゆみに向けて乗り出した。


「代行、ほしたら何かい。ワシに祇園会の盃くれる、ここにおる連中にもそうしてくれる言うんかい」


「そう言うとるじゃろ」


「落としたリップは塗れんで」


 高子の力強い瞳が──その奥で揺れているものは、なんだったか──ゆみを射抜いた。

 だがそれがなんだというのだ。この盃は毒の盃だ。飲み干せば終わり、死亡確定だ──。


「ほうか。いやあ、代行。あんたは話が良うわかる。白島会長もじゃ」


「日輪の。ほしたら」


「おう。わしゃ、もらえるもんは病気と借金以外はもらうけえ。あんたの盃でも祇園会のなら貰うわい」


 バカが。ほくそ笑んだ口元を直すように、ゆみは唇を撫でた。


「ほうじゃろ? なら、白島会長も一安心じゃ。わしも肩の荷が降りるで」


 御子やゆりはまだ渋い顔のままだ。


「ほいじゃ、遠慮のう──ほい」


 高子は素早くスマホを取り出すと、ゆみの隣に移動し、顔を近づけ──カメラのシャッターを切った。

 アプリを起動させ、こくどう専用SNS「サンメン」に投稿──すかさず反応が返ってくる。

 これぞ現代こくどうの盃事の一つ、『姉妹撮り』である。


「長楽寺の姉貴──と呼ばしてもらいますで。……これでわしは姉貴の妹分じゃ。間違いないよの?」


 ゆみはゆっくりと頷いた。悠のことは棚上げだが、まずは白島の方針に従うことが最優先だった。


「まあ、お前にとっちゃ納得いかんスタートじゃろうが、我慢してくれや」


 高子は先程までの態度が嘘のように、首を振って笑った。


「跡目の盃と違って、姉妹子分の盃は本人同士と誰ぞ立会人の承認がありゃ認められる。姉貴も知っとるでしょう」


「知っとるけえ盃をやったんじゃないの」


「みんな、そうよの? 姉貴はワシに『盃をくれた』」


 御子も、ゆりも安奈も頷いた。


「ほしたら、姉貴。わしゃやることがありますけえ。今日のところはこれで失礼させてもらいますわ」


 そう言い残すと、高子は他の三人を連れて、風のように去っていった。

 ゆみは胸をなでおろした。まだ指先がびりびりとしびれているような気がした。危なかった。器量はともかく、あの勢いの良さは危険だ。

 どんなちっぽけなギョクでも、ハジキを通せば人を殺せるのだ。日輪高子はまさに、銃に込められた弾丸のような女だと言えるだろう。それは、頭で考える前に行動するこくどうそのものの姿だと言えた。


「まあええわ。どがあにあがこうが、白島会長に潰されるのがオチやで」


 ゆみの手はスマホに伸びていた。先程の姉妹撮りをSNSで確認しようとしたのだ。

 うまく操作ができなかった。自分の手から力が抜けていたのを感じたのはその時だったが──ゆみがカタにハメられたのに気づいたのは、もう少しあとだった。


続く

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