良いことも悪いことも、成長だから




 フォンテーヌのお屋敷に戻り一眠りしようとしたところ、サルバトーレ様とクラリス殿の治療でてんやわんやだった。あれだけの血の海を見たら、眠気と戦っていた私も流石に目が覚めたよ。

 結局犯人はわからずじまいだったが……まあ、死人が出なくて良かった。


 不確定だから口にはしないが、刃物傷の付け方がシエラ殿と似ている気がする。

 犯人は、左斜めに切るクセがあるらしい。そんな人、たくさんいるだろうが。でも、気になった。頭の片隅にでも、入れておこう。


「アインス、おかえりなさい」

「ただいま、イリヤ」


 2人の治療を終えた私は、客間で息をついた。部屋に行こうと思ったのだが、患者が急変する可能性もあるからな。

 そこに、イリヤがお茶を持ってやってきたんだ。どうやら、旦那様に「持っていけ」と言われたらしい。旦那様は、こういう気遣いができる。ありがたいよ、本当に。


「宮殿はどうだった?」

「シエラ殿が言った通り、ロベール殿も一緒になって倒れていたよ」

「あはは、やっぱり。……アレンは、強くなりたくて騎士団に入ったんだ。僕が焚きつけてね。だからきっと、今度こそ「アリスお嬢様」を助けようと必死になっているんだろうね」

「まあ、気持ちはわからなくもないが……。でも、ちゃんとサレン様を見ているようだったよ。アリスお嬢様を映してない印象を持った」

「そこが、アレンの紳士的な部分というかなんというか。困っている人を見捨てられないんだよ、あいつは」

「カイン皇子が、不快な思いをされないと良いけど」

「アレンなら大丈夫。王族間で、あいつはアリスお嬢様一筋すぎて怖いって定評もらってるから」

「……それは大丈夫と言い切れるのか?」


 私が座っているところのテーブルにコトンとカップが置かれ、湯気の立つ紅茶が注がれていく。それを見るだけで、心が落ち着くよ。向こうでは、毒が入るかもしれないからゆっくりと水分補給もできなかった。

 でも、久しぶりに陛下とお話ができたのは大きな収穫だった。カイン皇子だけじゃなくてシン第二皇子のお元気そうなお姿も見れたし、まるで同窓会でもしている気分になったよ。


 それはそうと、イリヤはロベール殿の上司だったな。

 目の前で紅茶を注ぎ鼻歌を唄っているが、こう見えても騎士団で恐れられていた鬼団長だ。何人がこの子にトラウマを植え付けられたのか定かではないと聞いているが、まあ嘘ではないだろう。このお屋敷の中でも、緊急時はイリヤの機敏な行動は役に立つ。今回のサルバトーレ様の件だって、例外ではない。


「あはは。まあとにかく、聞く限りサレン様はアレンに好意を抱いているから、利用しよ。もちろん、アレンもね」

「利用って言葉は好かないが……。やっていることは、利用か」

「彼女の身の安全は守るよ。その代わり、情報をもらって敵を追い詰めるってだけ」

「陛下の立場が危ういのであれば、私も手を貸すよ。毒人間を作る奴の顔も拝みたいがな」

「はい、利害一致」


 どうやら、今回はイリヤもやる気らしい。理由は、聞かなくてもなんとなくわかる。


 イリヤは、「僕も座って良い?」と言ってこちらを向いてきた。頷くと、私の目の前に座って「ありがとう」と口にする。その律儀さや立ち振る舞いは、いつになっても使用人のものではなく貴族の「イリヤ」なんだ。他の人より教養がある分、その輝きは隠せるものではない。

 この子は、フォンテーヌ家のような人を尊重するところへ産まれてきたら、化けただろうな。立場は違くとも、アリスお嬢様と同じだ。


「このクッキー、僕がアイシングした」

「なかなか上手にできたじゃないか」

「でしょう? ……なんで食べないのさ」

「患者が控えているからね。自分が患者になってしまったら、誰が見るんだい?」

「ムー……。大丈夫なのに」

「では、サルバトーレ様が目覚めたら食べようか。取っておいてくれるかい?」

「うん! 感想聞かせてね。美味しかったら、お嬢様にも差し上げるんだ」


 そう言って、イリヤは楽しそうな顔してクッキーをひとつまみしている。

 こういう表情が、私に孫がいたらこんな感じなのだろうかと楽しい気持ちにしてくるんだ。いや、孫じゃないな。イリヤは、我が子のように可愛い。仕草ひとつとっても何を考えているのかわかるほど、私はこの子の側で働いてきた。


 だからこそ、ここではっきりとさせておきたいことがある。


「……イリヤ」

「なあに、アインス」

「君は、アリスお嬢様をどうしたい?」

「……」


 紅茶の入ったカップを持ちそう聞くと、最後の一口を手に持ったまま目の前で固まってしまった。その視線は、クッキーのお皿が乗っているテーブルに向けられている。


 少し、意地悪な質問だっただろうか。

 私だって答えの出ていない質問なんだから。


 でも、なんだか様子がおかしい。

 イリヤは、そのまま顔を赤くしてなんとも言えない表情になってしまった。


「どうした?」

「あ、いえ……。先ほど、お嬢様が救命のためお洋服を脱いだ話を聞いたよね」

「旦那様に聞いたよ。過去のお嬢様では、考えられない行動だと思った」

「だね。なのに、僕は自分の身体が見たくなくて、わかってたのにわざと脱がなかった。先にお嬢様に脱がれた時は、やっぱりなって気持ちと、罪悪感がすごかったよ」

「で、イリヤも脱いだと」

「うん。お嬢様のくださった服で布は足りてたんだけど。ここで脱がなきゃ、お嬢様のメイド失格だと思って。でも……」


 イリヤが薄着で人前に出ている行為は、この子にとっては全裸で外を歩くのとなんら変わりがない。

 自分が男性であることに嫌悪する子だ。きっと、女性の身体ではないことに心を痛めたはずだ。なのに、そんな行動に出た。

 アリスお嬢様と居れば、イリヤも自分の身体が好きになるかもしれないな。それが、良いか悪いかはさておき。


 だが、その話はどうやらおまけのようだ。

 急に言葉を濁らせたかと思えば、さらに顔を赤くしている。

 それだけじゃない。手に持っていたクッキーを握力で無意識に握りつぶしているじゃないか。あーあ、もったいない……食える代物かは別にして。


「お嬢様がかがんだ時、その……シュミーズの奥の肌を見てしまって」

「おや、それは。ちゃんと謝罪したのかい?」

「した、と思います……。頭が真っ白になってしまって、とにかくクラリスさんの血だけは止めなきゃって気持ちに集中して。ちゃんと謝れたのかわからないけど、今更その話を持ち出して謝るのもなんか違う気がして」

「イリヤも、男だったって話で良いかな」

「っ! ……初めてそんな感情になったので、よくわかってない。それに、僕は……」


 イリヤの告白した言葉は、私にとって衝撃的だった。

 あのイリヤが、……可愛いものを見て癒しを求めているだけのイリヤが、そんな感情になるなんて。悪いことではないと思うが、相手が悪かった。


 私は、何も言わずに紅茶を口に含む。

 次の言葉は、わかっているつもりだ。そう、僕は……。


「僕は、使用人だから。お嬢様とは、一線を保たないといけない。たとえ、毎朝この腕で抱きしめていても、心は遠くに持っていかないと」

「なんだ、そんなことしてるのか。それは、やめたほうが」

「でも、お嬢様が昔の夢を見て泣くの。自分が悪かった、と。夢の内容を聞く限り、アレンから聞いたような内容で。だから、きっと過去を見てるんだと思うけど、それなのにお嬢様は一切相手の非を見ない。本当に、自分だけが悪くて周りを不快にさせていると思い込んでる」

「……だからこそ、イリヤやロベール殿、それに私だって気にかけてしまうんでしょうな」

「アインスも?」


 想像していた通りの話だった。

 でも、私はそれを否定も肯定もできない。なぜなら、私も何度かお嬢様を腕の中で抱いているから。

 私はもう男がどうとかいう年齢ではないし、純粋に孫を愛でているようなそんな感情にしかならないが、それでも使用人がやることではないとわかっている。が、本気で反省しているお嬢様を見ていると、手を差し伸べたくなるんだ。

 わかるよ、その気持ち。言わないけど。

 

 私は、イリヤの複雑そうな、でもやめたくないという思いを受け取りつつも、どう返事をしたら良いのかわからなかった。

 ここで「使用人だからこれ以上やめなさい」と言ったところで、この子は聡いからわかっている。だから、時間が経過するのを待つしかない。


「私は、ベルお嬢様もアリスお嬢様も同様に抱きしめるよ。旦那様の子だから、ではなく、お二人とも懸命に生きていらっしゃるから」

「……うん、わかってる。だから、僕はベルお嬢様が戻ってくるまでアリスお嬢様を守る。誰にも手出しさせない。もちろん、僕にも。でも、アリスお嬢様には愛情を注ぎたいんだ。過去の話を聞いて、その分も今幸せを感じて欲しい」

「それは、義務かな」

「違う。違うよ、アインス」

「なら良い。使用人の立場を忘れないように」

「はい。でも、これは僕の問題だから、今まで通りお嬢様には接するからね」

「それで良いよ。私は、お嬢様もイリヤもどちらも、苦しむ顔なんて見たくないからね」

「……ありがと」


 イリヤは、可愛い。自分が思っているよりもずっとずっと可愛くて、それでいて鋭いほど先端の尖った芯がある。

 騎士団現役時代、その研ぎ澄まされた矛先は周囲の人間を魅了し従わせた。そんな矛先が今、グロスターに向いている気がする。気のせいじゃない。この子が、夜寝る間を惜しんであの地方の周辺の地理を頭に入れていることはわかっているから。勝手ながら、私はそれも応援したい。……恋に発展する手前までなら。


 私は、少しだけ温くなった最後の一口を飲み干すと、


「じゃあ、この話は終わり。次は、毒人間の話をしよう。色々わかったことがある」


 と、話を切り替えた。


 ロベール殿に「ベルお嬢様は実は……」の話をしても良いか聞けなかったな。

 次の機会にでもしようか。



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