余計な説得?



「……」


 先ほどの匂いを嗅ぎたくてアインスの部屋へ行ったのに、ドアに鍵がかかっていて入れなかったわ。

 まあ、当たり前か。かなり少量とは言っていたけど、毒が部屋の中にあるのだから。……というか、どうして私はここに来たのかしら。毒の香りを嗅ぎたいだなんて、死にたいの?


「お嬢様、どうされたのですか。アインスのお部屋に忘れ物でも?」

「あ、いえ。ごめんなさい。お仕事に戻るわ」

「……?」


 私は、黙ってついてきてくれたイリヤに謝罪を述べ、そのまま元来た道を戻る。今の感情を説明するには、言葉が見つからない。


 それだけじゃないわ。

 その時初めて、私はグロスターのお屋敷に行ってみたいと思った。なぜかよくわからないけど、あのお屋敷が呼んでいる気がするの。胸騒ぎがする。なのに、それを表現できない。

 だから私は無言で、お仕事をしに部屋へ戻る。


 指先の血豆は、塊りつつあった。




***



「……えっと、アレン。どうしたの?」


 アインスからもらったダンベルで筋トレをしていると、アレンが無言で入ってきた。その表情は、なぜか暗い。


 さっき、イリヤが「エルザが来てる」って言ってたから、てっきり接待でもしてるのかと思ったんだけど……。それとも、もう帰ったの? お忍びだって言ってたし、長居はできないだろうけど。……いや、それにしても、早すぎる。


「……アレン?」


 僕は、ダンベルを置き身体を少しだけアレンの方へと向ける。

 これでも結構動けるようにはなったんだけど……。今は、ここまでが限界かな。あまり無理すると、想定外の後遺症が残るんだって。医療者の言うことは聞いた方が良いよね。


「あれ、シエラ? なんでここに居るんだ?」

「いやいや、こっちのセリフだよ。ここがどこだと思ってんのさ」

「……すまん」


 どうやら、アレンは無意識のうちにここへ来たらしい。


 僕が指摘すると、周囲を見渡しながら顔を真っ赤にしている。

 何かあったんだろうな。わかりやすい。でもまあ、無意識に僕のところに来るってことは、頼られてんのかな。それは、素直に喜んでおこう。


「エルザ様が来てるって聞いたんだけど……」

「ああ、来てる」

「フォンテーヌ子爵は知ってるの?」

「知らないらしい」

「えー……。良いの? 使用人が知ってるのに、なんか罪悪感」

「なんかよくわからんが、イリヤが「芸術が汚れるから言わなくて良い」って」

「何それ?」


 そういえば、クリステル様がいらっしゃった時もベルお嬢様が「常識が汚れる」って言ってたな。この家は、誰かが来るたびに何かが汚れるようにできているのかな? いや、そんなわけ。


 きっと、フォンテーヌ子爵のことだから、溜まっているお仕事をそっちのけで、歓迎してしまうのを危惧されているのだろう。あのお方は、人当たりは良いが仕事はからきしだから。

 でも、それで良い。人には向き不向きがある。それを補うのが、使用人って奴だろう? 僕もその一員になると思うと、嬉しくて仕方がないよ。


 ああ、でも今はアレンだ。

 目の前で、何やら難しい顔をしている彼の話を聞かないと。


「で、何があったの。僕に言いにくいこと? でも、それならここに来ないよね」

「……お前は、毎回俺の一歩前を歩いているよな」

「まさか。もっと先を歩いているつもりだよ」

「はは、そうだな。……止まっているのは、俺だけだ」

「……君がそう言う顔をするときは、アリスお嬢様のことを考えている時だよねえ」


 アレンの精神は、ある一定のものに脆い。アリスお嬢様を中心に、それに付随するであろうグロスター家やそこに住む人々……とにかく、過去に弱い。

 それは、彼が弱いからではない。話でしか聞いていないけど、あんな経験をすれば誰だって精神は壊れる。……———好意を抱いていた女性を、目の前で殺されれば誰だって。


 最初は「領民を虐げるような一族は全員処刑しろ。伯爵の代わりなど、いくらでも居る」と言って任務に出かけたのに。それが、1ヶ月後に帰省したら「アリスお嬢様がな」だ。

 女にうつつを抜かしたことのないアレンが女性の名前を口にした時は、持っていたティーカップが傾いているのに気づかずに、膝に熱い液体を注いでしまったよ。

 そのくらい入れ込んでいる人が目の前で殺されたのだから、僕だったらもっと……いや、僕は他の女性を愛するだけの器用さを持っているからまだ救いはある。


「……シエラは、バラの花に何を添えたいと思う?」

「何それ、新しい占いか何か?」

「良いから、答えろ」

「えー……。んー、じゃあ、美しい女性を添える。……いや待てよ。バラには、情熱的な女性の方が良いかなあ」

「……チャラすぎ」

「なんだよ、聞いておきながら。一般的な答えが知りたいなら、それは「何も添えない」だろう? それを聞きたかったのかい?」


 ああ、話しにくいなあ。いまだに顔の包帯も取れないから、口元に包帯の端がちくちく当たるんだ。

 でも、今の僕にはそれも嬉しい。死ぬだけだと思ってた僕を生かしてくれたベルお嬢様には、感謝しても仕切れない。それを思い出させてくれるから、嬉しい。


 僕は、アレンの軽蔑するような顔をみながら苦笑する。これだって、まだ肋が痛む。けど、やっぱり嬉しいんだ。

 アレンはそのまま、アインスが診察する時に使う丸椅子に腰掛けてきた。


「……ベル嬢は、かすみ草を添えるそうだ」

「え……? かすみ草って」

「そうだ。……アリスお嬢様は、バラを植える時に一緒にかすみ草も育てておられたんだ。エルザ様にも何度か届けている。偶然だと思わないか?」


 そう言いながら、アレンは興奮した声を抑えるよう発言してくる。それはまるで、ベルお嬢様のことをアリスお嬢様と混合しているような印象を僕に与えるんだ。

 まさか、アレンはサレン様がアリスお嬢様ではないと確定したから、他の人をアリスお嬢様にしようとしてる? ありえないわけではない。


 でもね、アレン。

 その君の考えは、浅はか過ぎる。そんな些細なことでアリスお嬢様になったら、そこらじゅうの貴族令嬢がアリスお嬢様になる。


 だって、かすみ草は感謝を伝える時に使う植物。花言葉が流行っている貴族社会は、そう言う「遊び」が好まれるだろう? 感謝、謝罪、好意、全てを花で伝える文化のようなものがあるんだから、かすみ草と答えたイコールアリスお嬢様ではないんだよ。

 僕は、それをアレンに教えなきゃいけない。客観的な意見として、ね。


「アレン。君は、サレン様がアリスお嬢様だと騒がれた時とても冷静だった。みんなが喜ぶ中、陛下と君だけは冷静だったよ。ベルお嬢様にも、同じことが言えると思うけど」

「……でも」

「もう、アリスお嬢様をゆっくり寝かせてあげようよ。あのお方は、ずっとお仕事をなさっていたのでしょう? だったら、休息が必要だよ」

「そうか……。確かに、ベル嬢は仕事をよくしているからアリスお嬢様と重ねてしまったのかもしれないな」

「そうだよ、アレン。5年間捧げてきた祈りを無駄にしてどうする?」


 確かに、アレンの話してくれたアリスお嬢様は、ベルお嬢様に似るところが多い気がする。

 常に学ぶ姿勢を崩さないところ、頑固で、それでいて抜けているところ、お仕事をこなすところ。それに、人に嫌われるのを極端に嫌うところ。ああ、あと、突然男気を出すところも。 

 でも、似た人なんてたくさん居る。それは、アレンもわかっているはずだ。


 僕がゆっくりとした口調で話すと、


「……悪かった、シエラ。やっぱり、お前に話してよかった」


 と、安堵の表情になった。「ベル嬢にその場で聞かなくて良かった」、とも。

 アレンは、こうやって自分と闘っている最中なんだ。早く抜け出させてやりたいが、その役目は僕じゃない。


「忘れろ、とは言わないからさ。前見てよ」

「……ああ。俺には、引っ張って行かなきゃならん騎士団が居る」

「そうそう、ベル嬢だっているでしょう」

「なっ!? そ、それは関係ない」

「あはは、アレンの顔真っ赤」


 うん、さっきよりずっと良い顔してる。


 僕は、アレンの落ち着いた顔を見てホッとした。

 病んでる君は、もう見たくないんだ。勝手な親友でごめんよ。


「それよりも、そのダンベルはなんだ?」

「アインスからもらったの。腕から動かして、徐々に全身を動けるようにするんだって」

「へえ。じゃあ、順調に回復してるんだな」

「うん。記憶はそうもいかないけど」

「焦るな、ゆっくりで良い。まずは、身体を治せ」

「治ったらベルお嬢様の付き人になるけど、良いの?」

「……よし、肋を折ろうか」

「ちょ!?」


 今のは、ちょっと本気だったよね!?


 僕らは、医療室で笑い声を響かせる。

 きっと、アインスが居たら「お静かに」と言って怒られるんだろうな。僕はきっと、一生アインスに頭が上がらない。

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