10

求める愛、与える恋



『今日のお薬は、とても濁りがある。昨日のは透明だったけど、苦くて辛かった。今日はどんな味がするのかな。これを飲めばお父様もお母様も喜んでくれるから、飲まないなんて言わないよ。それに、飲めば頭を撫でてキスをしてくれるし。でも、私は抱きしめてほしいの。今日、これを飲んだら抱きしめてくれるかな。聞いてみようかな』


 ————————とある少女の日記より抜粋




***




 昨日、イリヤ団長に拉致……おっと、誘われて消えたアレンが、帰ってきてからなぜか上機嫌だ。

 いつもある眉間のシワがなくなり、常に口角が上を向いている。


「……アレン」

「なんだ、ラベル」


 塞ぎ込んでいるよりずっと良いと思うが、今はそれを通り越して少しだけ怖い。もしかして、アレンはシエラが居なくて情緒不安定になったのか? そう思ってしまうほどの変わりようなんだ。書類を捌きながら、鼻歌なんかも聞こえるし。


 オレが話しかけると、いつもより数段高めの声で返事をされた。

 怖い。怖すぎる。イリヤ団長と同じくらい……いや、イリヤ団長の方が怖い。


「……イ、イリヤ団長と何してきたん?」

「仕事だよ、仕事。陛下から頼まれていた、トマ伯爵が見つかってな」

「ああ、クリステル様が探していた医療者か。……って、遊びに行ったんじゃないの?」

「まさか! 仕事さ。無論、このお手紙を届けるのだって仕事だ」

「お手紙?」


 見れば、アレンの手には封筒が1枚握られている。どこから出したんだ? ツッコミが追いつかねえや。

 いつも、アレンと書類仕事をしていたシエラはどうやって会話をしているんだ? アレンの奴は、書類仕事が嫌いすぎて現実逃避しているとしか思えない。演習場で喝を入れている貴方に戻ってください……。なんて祈りも虚しいだけだわな。


 オレは、シエラが死んだとは1mmも思っていない。

 あの、生命力の半端ない奴が死ぬわけないだろう。どうせ、どこかで秘密裏に潜入捜査でもしてるんでしょ。それか、実家に帰っているか。そうに決まっている。


「陛下より、トマ伯爵宛にお手紙を頂戴したんだ。今日、仕事終わりに寄ってくる」

「アレンは休めって。オレ行こうか?」

「イリヤ居るぞ」

「……アレンの方が適正だな」

「だろ」


 っぶねぇ! え、イリヤ団長いるところに行くの? ってことは、フォンテーヌ子爵家ってこと?

 あれ? でも、トマ伯爵居るんだよね。なんで子爵家にいんの? あ、そっか爵位剥奪されたって聞いたな。

 ってのを、1秒くらいで考えて答えを叩き出す。


 オレは、しばらく良いや。

 ベル嬢は美しくて愛らしいけど、その後ろで威嚇してるイリヤ団長に会うのは怖すぎる。ベル嬢の癒しが10とすれば、イリヤ団長の笑顔はマイナス15だ。そのマイナス5の差は大きい。

 もちろん、ベル嬢お1人でオレが護衛に付くのであればいくらでも喜んで請け負う。……まあ、まだジェレミーも捕まってないし、イリヤ団長がベッタリ張り付いているだろうがな。


「ベル嬢によろしく伝えてくださいな」

「は? 何をよろしくするんだ?」

「え? いや、特に。前、聞き取り行った時は怪我が治ってなかったからちょっと心配なだけで」

「それだけか」

「は?」

「それだけかって聞いてるんだ」


 あれ、なんか地雷踏んだ? めっちゃ怖い顔してるんだけど。

 早くいつものアレンに戻ってください。それか、今すぐシエラ帰ってきて……! オレ、普通に城下町の巡回して演習場で後輩育ててた方が良い。今なら、喜んで元老院に頭下げてシエラの席戻すから。


 なんて、オレの祈りはやっぱり虚しい。

 アレンは、ベル嬢が好きなのか? でも、以前シエラが「あいつは昔に想い人を置き去りにしたんだ」って言ってたしな。だから、女性に興味がないって。

 ってことは、オレの気のせいか。


「オレより、ヴィエンの方がベル嬢のこと好きだよ。前、イリヤ団長に言われて彼女の護衛した時の話永遠とされるし。団長が怖かったのと、ベル嬢が……アレン?」


 いや、気のせいじゃないかも。

 ごめん、ヴィエン。お前の人生、売ったかもしれない。


 アレンは「よし、演習場でも覗いてくるか」と言って、席を立ってしまった。……鬼の形相をして。


「……なんだあ?」


 オレは、それを静かに見送ることしかできない。



***



「アリスお嬢様、寒くないですか?」

「ええ、大丈夫。連れてきてくれてありがとう、クリス」


 アリスお嬢様は、生前のように活発になられた。

 やはり、他人の身体だと慣れるまで時間を要するらしい。まるでファンタジーのような話だが、この目で見てしまったものは信用する以外選択肢はない。

 いや、そもそも私は、アリスお嬢様の存在を「嘘」だと言えない。こうやって、またお話できるだけで嬉しいから。


 なお、相変わらずロバン公爵は来ない。

 その代わり、先日お手紙が届いたらしい。「ショックで娘に会いたくない」と書かれていたと、陛下から聞いた。とてもお怒りになっていたわ。自分の子どもなのにって。

 でも、隣国のことだから強くは言えないみたい。ジャックに引き続き診察してもらいながら、定期的にロバン公爵へ報告するという話で今のところは収まっているそうよ。私には、「彼女が寂しくならないよう、定期的に外へ連れ出してくれ」と言ってね。もちろん、喜んで引き受けた。


「すごいわ。迫力が違う」

「時間を見つけては、こうやって騎士団のみなさんは訓練をするのですよ」


 今日は、騎士団の演習場へと足を運んでいた。

 晴れていて風が気持ち良い反面、少し肌寒さを感じるの。きっと、高台で見晴らしが良いからね。


 アリスお嬢様は、初めて来たとおっしゃった。でも、ここまでの道のりをサクサク進んで行かれたのよね。結構入り組んでいるのに、私の隣にピッタリ張り付いて全く遅れを取らずについてきたの。まるで、この道を知っているように感じたわ。……まあ、気のせいでしょうけど。


「アレンもここに居るの?」

「たまに来られますよ」

「そうなのね。今はいらっしゃるかしら?」

「居ないと思います。居たら、もっと団員たちに緊張感が走りますから。鬼教官って裏では呼ばれているようですよ」

「ふふ。アレンって、自分にも他人にも厳しいお方よね。私、そういうところが……」


 アリスお嬢様が話している最中、演習場全体に緊張感が走った。

 そうそう、こんな感じ。背筋が伸びて、ピリピリとした何かが肌に……って、ロベール卿居るじゃないの。今入って来られたのね。


 アリスお嬢様も、それに気づいたみたい。パーッと明るい表情になられたわ。

 最近ロベール卿が忙しくて、会いに来てないらしいの。シエラ卿とトマ卿の件で色々動かしちゃったから、仕方ないけどね。それに、今は明日締め切りの書類に追われているはずなのだけど……。どうして、演習場にいるのかしら? なんだか、ものすごい気迫を感じるわ。


「お声をかけなくてよろしいのですか?」

「ええ。今、声をかけたら邪魔しちゃうでしょう? それよりも、アレンの剣捌きを見たいわ」

「ここに居れば、見れますよ」


 本当は、声をかけたい癖に。

 こういう我慢をするところも、アリスお嬢様って感じがする。普通のご令嬢なら、相手のことを考えずに突進して行くもの。

 

 私は、隣でグッと堪えているような表情のアリスお嬢様を見ながら笑うしかない。


「ここで見ていても、邪魔にならない?」

「はい、大丈夫ですよ」

「良かった。じゃあ、少しだけ」

「お座りになりたいのでしたら、あちらにベンチがありますが」

「良いわ。あっちだと気づかれそう」


 アリスお嬢様は、私と会話をしながらも既に視線はロベール卿へと向いている。その視線には、私から見てもわかるほど「恋」が詰まっていた。

 応援したいけど……彼女は、隣国の公爵令嬢。ロベール卿と一緒になれる道はない。


 それに、元老院側の人間にバレでもすれば、最悪婚約破棄、強制送還に慰謝料請求なんかもやりかねない。元老院にはなんの迷惑もかけていないのに、法律を盾にとってね。

 幸い、今のところは、サレン様がアリスお嬢様になった件を知っているのは宮殿で生活をする王家と、そこで働いている使用人、アレンにシエラ……ああ、そうそう。トマ卿にも言ったみたい。でも、その人たちだけ。

 みんな口が硬いから、今のところは元老院にバレていないけどまあ、時間の問題でしょうね。


 でも、まだもう少しだけアリスお嬢様を自由に行動させてあげたい。

 できればそうね。ロベール卿に、その想いを伝えられるまでは。


「では、こちらに。もっとよく見えて、相手には気づかれない場所があるんです」

「本当? じゃあ、案内お願いしようかしら」

「はい、こちらです」


 元老院の中でも、ルフェーブル卿は勘が良い。

 きっともう、薄々何かに気づいていることでしょう。あのお方は中立派だから、よほどのことがない限り口を開かないとは思うけど。イリヤの時みたいに、いつ手のひら返しされるかわかったもんじゃない。


 私は、嬉しそうなアリスお嬢様の手を引いて、演習場がよく見える位置へと移動をした。



***



 開け放たれた窓から吹く風が、とても心地よい。

 耳を澄ますと聞こえるのは、鳥の囀り、木々のざわめき、そして、いつも通りお父様の「6桁の計算だけは勘弁してくれ、指が足りん」の声。今日も平和だわ。


 でも、待ってね。

 ちょっとだけ待って欲しいの。


「……イリヤ」

「はい、お嬢様」

「…………イリヤ」

「はい、お嬢様。イリヤです」

「これは……何?」


 ロイヤル社での打ち合わせを明日に控えた私は、お部屋で作物カレンダーと土壌ごとに最適な肥料、さらに、生ゴミを使った肥料の作り方を紙にまとめていた。

 午前中はフォンテーヌ家のお仕事、香料の企画書3本目をしてね。今日も、たくさん頭を働かせて気持ち良いわ。


 そんな中、イリヤが台車を押して部屋に入ってきたの。

 その台車の上には、紅茶を淹れるセットとお茶菓子、一輪挿しに収まった真っ赤なバラ、それに、なぜかお肉の燻製が乗っている。いつもは、紅茶だけなのに。

 聞けば、「食べ物です。あ、バラは食べちゃダメですよぅ」とのこと。わかってるわよ! 貴女の行動が唐突すぎて、驚いていただけなの!


「気分転換にいかがでしょうか? カモミールティにオレンジピールのチョコがけ、それに鴨肉の燻製も持って参りました。甘いものと塩っけのあるものがあれば飽きずにお茶ができます!」

「鴨肉?」

「お嬢様がお好きと聞いたので」

「……好きだけど、贅沢すぎるわ」


 鴨肉ってこの辺じゃ獲れないから、食卓に並ばないのよね。もしかしたら、ベルになって初めて食べるかも。

 でも、どうして私の好きなものばかり持ってきたのかしら? 嬉しいけど。食べたいけど。


 そんな気持ちが、行動に現れていたみたいでね。ペンを置いた私は、いつの間にか車椅子を操ってティーテーブルの方へと行っていたの。

 気づけば、目の前でイリヤが紅茶を淹れてくれていたわ。本当、いつの間に?


「小腹も空いたでしょう。お仕事の進捗はいかがですか?」

「明日の分は、あと30分もすれば終わるわ。だから、お父様たちの分を手伝えると思う」

「ダメです。終わったら、少し休みましょう」

「でも、さっきからお父様たちの声が……」


 私の言葉を無視したイリヤが、ポットに熱湯を注ぎながらお仕事の様子を聞いてくる。

 今日は、お父様たちのお仕事を手伝う時間も作ってあるのよ。だって、あの調子だと仕事を終える前にガロン侯爵がミミリップから帰ってきそうなんだもの。

 毎回思うのだけど、あれでよく今までお屋敷での生活を保てたわよね。ある意味、尊敬するわ。


 ボーッとしながらそんなことを考えていると、すぐに薬草のような独特の香りが鼻をくすぐってきた。

 カモミールのこの匂いが、好きな人とそうでない人をはっきりと分ける。私は大好きなの。肩の力がガクッと抜けて、ホワーンッてなるし。


「あれはいつもですから、大丈夫です。人間の指は全部で20本ありますから、どうにかできますよ」

「でも……」

「それに、無理をしたらアインスの雷が落ちます。イリヤは、助けられません。横でスケッチブック片手に癒しの時間を過ごすしか、手段がなくなります。描き描き」

「それは嫌だわ」

「そうそう。またアインスにおでこの消毒をしてもらう時は、イリヤを呼んでくださいね。地球の裏側に居ても、超特急で戻ってきます」

「……それも嫌」


 イリヤなら、やりかねないから怖いわ。


 だって、昨夜の包帯替えの時の話なんだけどね。おでこの傷から出た膿のせいでガーゼと皮膚がくっついちゃって、それを剥がすのに大変だったの。イリヤったら、隣でそれを見て「ああ、お嬢様可愛い。癒し」って言いながら満面の笑みを浮かべていたのよ! こっちは半泣きしてるのに!

 しかも、ザンギフもフォーリーも見に来るし、みんな同じ表情してるしでとても恥ずかしかった。最後は、みんなして私の頭を撫で撫でして帰っていったわ。何がしたかったのか、いまだにわからない……。


 とにかく、私はもう包帯いらないって言ったんだけど、アインスが「湿潤療法と言って、こっちの方が痛みが少なく傷跡が残りにくいのです」って言って譲らないの。

 でも、確かに今の状態で包帯をとったら、傷口に前髪がチクチク当たって……考えただけで、鳥肌が立つ。


「もう少し蒸らすので、先にオレンジピールをお召し上がりください。大丈夫です、作ったのはザンギフですから」

「そうなのね。材料とか、高かったでしょう」

「いつもお嬢様が頑張ってくださるので、高くないですよ。そういうのを気にせず、今はゆっくりしてくださいな」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えていただくわ」


 私がぎゅーして欲しいとお願いした日から、イリヤは優しくなった。前も優しかったけど、なんていうのかしら。視線がとても温かいの。それを見ているだけで、心が落ち着くほどにね。

 起きた時と寝る時に、ギューッと抱きしめてくれるし頭を撫でてくれる頻度も上がった気がする。「無理にしなくて良いわよ」って言ったら「じゃあ、ずっとギューします」って返ってきたけど……どういう意味か、よくわからなかった。けど、無理はしてないってことはわかったわ。


 イリヤに感謝した私は、オレンジピールを片手に取り、コーティングされたチョコレートを舌で堪能しつつ歯で噛む。……うん、美味しい。次は、鴨肉を……。


 にしても、どうしてイリヤは鴨肉を好きだって知っていたのかしら?

 うーん。きっと、私がどこかで言ったのね。

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