黒雨が降り注ぐ、午刻の頃に



 曇天の中、演習場には早朝から自主練で集まる団員で溢れかえっていた。無論、俺もその中の1人。

 いつも王宮内での事務仕事になるのだが、気が滅入ってしまったから今日は身体を動かすんだ。シエラも、それに付き合ってついてきてくれている。


 演習場に足を運ぶと、団員たちが一斉にこちらを向いて敬礼してきた。なんだか、驚いた表情の奴らが多いがどうしたんだ?


「セヴラン、脇が甘いぞ!」

「はい!」

「ニコラ、左足が後ろに行き過ぎだ。それでは、踏み込めん! フランシス、リオネル! お遊びでやってるんじゃない。背筋を伸ばせ! 俺が相手する」

「は、はい!」

「お願いします!」


  本来なら、こうやって毎日顔を出して団員たちのコンディションを見たい。なのに、執務の山でそれが叶わないんだ。


 第一団長と第二団長に仕事を代わって欲しいが、情報漏洩の観点からあまりそれは好ましくないらしい。副隊長で第一団長のシエラを引っ張り出す許可をもらうのが精一杯だった。

 だから、こうやって気分転換と称して訪れたり、休日に特訓をするしか身体を動かせない。辛いよ、全く。


「……的確だけど、鬼」

「何がだ?」

「いや、なんでもない……」


 練習用の木刀を片手に演習場を見渡していると、隣に居たシエラが何かをつぶやいてきた。聞こえなかったから、まあ良いか。それより、俺も加わろう。

 実践スペースに入ると、すぐにリオネルが前に立った。それだけで、周囲の人間も一気に緊張感を持った気がする。この背筋が伸びる感じ、書類整理では味わえない。


 見ると、剣筋を見にきたのか団員たちが複数名集まってきていた。


「シエラ、審判をしてくれ」

「はいよー。リオネル、準備は良い?」

「よろしくお願いします!」

「良い返事だ。全力で来い!」

「はい!」

「では、始め!」


 木刀を握りしめ相手を見据えると、すぐにシエラが合図を出してくれた。

 その声に合わせて、リオネルが向かってくる。こうやって、先手必勝で来るやつは大好きだ。相手の出を伺っていては、練習にならんからな。そういうのは、月1開催の実践演習で十分学べる。


「はあ!」

「腰を使え! これだと、薙ぎ払われる!」

「はい!」

「体幹を立てろ。腹に力を入れて!」

「はいっ!」


 リオネルの木刀が縦に振り下ろされるも、圧倒的にスピードとパワーが足りていないのが丸わかりだ。

 木刀を横にし受け止めた俺は、そのままいなすように身体の向きを変え重心を外に持っていった。これで、相手の矛先を変えて、かつ、距離も取れる。


 カンッと乾いた音が、何度も何度も実践スペースに響き渡った。

 相手に立ち回りの練習をさせるためには、こちらが大きく動く必要があるんだ。そのせいもあり、木刀の音だけでなく地面を靴で滑らせる摩擦音や木刀が空気を掻っ切る音も、いつもより大きく聞こえる。


「ここだ!」

「甘い!」

「わあ!?」


 リオネルのやる気は、認めよう。だが、簡単に勝たせてやるつもりはない。


 大きく振りかぶったリオネルに対し、俺は素早く懐に潜り込んだ。そして、木刀を横一文字に素早く動かす。すると、相手の木刀が地面にカランと音を立てて落ちた。


「勝負あり! 勝者、アレン!」

「ありがとうございました!」

「終盤の足の踏み込みは良かった。あとは、突っ込みすぎだから相手の出方を見る練習をしろ。少し後ろに下がって全体像の把握をするんだ。誰でも良いから、ペアでの実践をつめ」

「はい! ありがとうございます」

「隊長、次自分行かせてください」

「いいぞ、ニコラ」

「次、俺行きます!」

「その次は、俺も行く!」

「……だそうだ。シエラ、審判できるか?」

「はいよー」


 木刀を拾ったリオネルが下がると、すぐに次の奴が俺の前に立つ。1人じゃない。少なくとも、2桁はいる。これは、やりがいがあるぞ。


 少し離れた場所に居るシエラは、ニヤッと笑いながら曇天に似合わないカラッとした返事をしてくれた。



***




「ここのコーナーをこうして」

「それであれば、こちらの枠を上に持ってきて……」


 ロイヤル社での打ち合わせは、順調に進んでいた。

 身体を触られることはなかったし、打ち合わせ後にどこかへ誘うような言葉もかけられなかったわ。もちろん、痺れを切らしたイリヤが手を出すこともなく。


 企画室と呼ばれたこの部屋は、書類で溢れかえっている。ちょっと肘を当てるものなら、きっと雪崩れの如く床を真っ白に染め上げたでしょうね。注意していたから、それはなかったけど。


「いやー、ベル嬢は編集の才能がおありですね!」

「買い被りすぎです。シャルル卿がご教示くださる内容が、とても面白くてわかりやすいからですわ」

「謙遜だなあ。その胸みたいにもっと大胆に……すみませんでした」

「……?」


 何を言おうとしたの?

 シャルル卿は、途中でお顔を真っ青にして黙ってしまわれた。ここ、空気薄いし長時間で内容詰め込んだから、ご体調がすぐれないとか? 私も、ちょっとだけ息苦しいなって思っていたのよ。

 それに彼、とても目がグルグルと泳いでいるし。


 イリヤに助けを求めようと後ろを振り向くと、いつもの笑顔で笑いかけてくれた。それだけで、息苦しさがなくなる気がする。

 後ろに手を組んでまっすぐ立っているなんて、まるで騎士のようね。たまに、彼女は凛々しい表情になる。頼もしいわ。


「シャルル卿、ご体調大丈夫ですか?」

「あ、は、はいっ! 元気ですよ!」

「そうですか、良かったです。ところで、次号に載せる植物なのですが……」


 ずっとイリヤを立たせているのは申し訳ないから、無駄な話はしないで進めましょう。

 終わったら、王宮に出向いて報告書だけでも提出しないと。ガロン侯爵は居ないだろうけど、帰ってきたら渡してもらうよう外部対応窓口に依頼しましょ。後回しにすると、忘れちゃいそうだから。


 お昼に王宮着くくらいのスケジュールで行けたら良いな。曇ってきたから、雨が降る前に終わらせよう。




***

 


「ここにいる全員、素振り500! 終わったやつから、外周3行け」

「ヒッ!?」

「え!?」

「終わるまで昼飯なしだ。俺も加わる」

「……やっぱり、鬼」


 あれから3時間、みっちり実践と筋トレを重ねたがまだ体力が余っていた。ポケットに入れていた懐中時計を見ると、もうすぐ昼だ。呼び出しが来ないということは、もう少し演習場にいて良いということだよな?


 そう思った俺は、周囲の団員に声をかける。

 地面に伏せて、何をしているのやら。寝ている暇があれば、身体を動かせば良いものの。

 息も上がっているから、肺活量を鍛えるよう長距離走を取り入れねば。


「シエラはどうする?」

「……お付き合い、します」

「なんだ、お前も息が上がってるぞ」

「いや、……これだけ、やれば……誰だって……」

「鍛錬が足りない証拠だ」

「……鬼隊長の、名前まで……継がなくて……良い、んだぞ」

「イリヤの方が鬼だっただろう。こんなの軽い」

「……どっちも、変わらん」


 軽くストレッチし身体を伸ばしながら、シエラに話しかける。こいつもみんなと同様、険しい表情で肩を上下しているじゃないか。なんだ、執務ばかりで身体が鈍っていたのか? 

 とりあえず、今日のランチはいつもより多めに食わせよう。水分も補給させてやらないと、身体がバテてしまうし午後からの執務に影響が出そうだ。


 そんなことを考えている時だった。


「ロベール隊長!」

「どうした、ラベル」


 演習場の入り口から、第二団長のラベルが慌てた様子で駆けてきた。


 グロスター家の惨劇を見ても唯一動じなかったこいつが、血相を変えてこちらに向かってくる。

 ラベルが慌てるのを最後に見たのは、イリヤに睨まれた時くらいか。とりあえず、ここ数年は見ていない。

 そんなやつが慌てる光景は、演習場にいる団員全員を立ち止まらせるだけの威力があった。


「王宮内で、人が消えました。至急、応援をお願いいたします!」

「王宮内で!? 誰だ、消えた奴は」


 この慌てよう、まさかジョセフが消えたか?

 先日、クリステル様からの薬物検査結果を聞いて警戒はしていたのだが。やはり、俺が牢屋前を警備していれば良かった。……いや、今それを言っても仕方がない。


 ざわめきが聞こえる中、俺は急いでラベルの方へと向かう。

 しかし、その足取りは次の言葉で完全に止まる。


「……フォンテーヌ子爵令嬢、ベル・フォンテーヌ嬢が姿を消しました」


 一瞬にして、頭の中が真っ白になった。

 降り出した雨すら、気にならないほどに。


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