アインスの過去
旦那様にお呼び出しを受け書庫に向かうと、そこには奥様も居た。2人とも、いつもはしないような暗いお顔でこちらを見据えている。
机の上には、仕事をしていたのであろう資料が広がっていた。
「アインス、こんなところまですまんな」
「いえ、何用でしょうか?」
「君の身分が、元老院に知られてしまった」
覚悟はしていた。
王宮に出向いた時に、私を見た人でもいたのだろう。名前を変えたところで顔までは変えられないのだから、見られていればすぐにバレてしまう。
私は、旦那様の手に握られている手紙に視線を向けた。そこには、元老院にしか使えないシンボルマークが真っ赤な封蝋として刻まれている。
それを見ただけで、自身に求められていることを理解した。
「……まさか」
「その、まさかだよ。ただ、宮殿じゃない。ミミリップ地方に派遣だ」
「でも、私は追放された身で……」
「それでも、内容的に伝令に近い。君が拒否できるようなものではない。……ないが」
きっと、旦那様が「私の使用人だ」と言えば拒否できるのだろう。
しかし、現状を考えると、お仕事が順調とはいえ爵位剥奪だって考えられる。伝令を拒否するとは、そう言うこと。
私は、旦那様から手紙を受け取り、内容を口にする。
「貴殿、アドリアン・ド・トマは、元侍医の立場にあった身として、ミミリップ地方の領民治療を命ずる。日時は……」
通常であれば、他地方の領民を治療するのは伯爵以上の爵位を持つ医療者のみである。
一度信頼と爵位を失った私に、頭の硬いことで有名な元老院がこのようなものを送ってくるということは、それだけ緊急事態なのだろう。
小さく声を出したにも関わらず、それは書庫全体に大きく響いているような錯覚にさせてくる。本が多いから、それに、私が居る場所が声を反響しやすい場所なのかもしれない。そう思うも、自分の反響する声に吐き気がしそうになるのは事実だ。
しかし、私は以前の私ではない。
落ち着け、落ち着け。
「すまない、アインス。君に辛い思いをさせてしまう」
「アインス。私たちのことは考えなくて良いから、自分の気持ちを優先してね」
「私としては、アインスを冤罪に追い込んでおきながら、こうやって頼ってくるあいつらをのしてやりたいところだ!」
「旦那様。外でそんなこと言ったら、首が飛んでしまわれますよ」
「しかし……」
今の私には、信じてくれる人が居る。
あの時の孤独な私ではない。だから……。
「大丈夫ですよ、旦那様、奥様。私は、いつだって自身の意思で行動しますから」
宮殿に仕えていた侍医のアドリアン・ド・トマは、もう居ない。
フォンテーヌ家の医療者アインスとして、元老院たちに手放したことを後悔させてやろうじゃないか。
***
私が侍医の立場を剥奪されたのは、カイン皇子が13歳の時だった。
『動くな!』
『!?』
回診でエルザ様の部屋を後にし西に向かって歩いているところで、私は騎士団に囲まれてしまった。
あの時は、今のように第一第二に分かれず、一軍二軍となんとなく名前がついていた程度だった。その違いは、戦闘訓練を受けているかどうか。一度でも受けている団員は一軍と名乗ることを許されていたらしい。
そんな曖昧な記憶しか持っていない私は、騎士団が近しい存在ではない。驚きよりも、恐怖が多少前に出てきていたことは仕方ないだろう。
『……な、何か』
『アドリアン・ド・トマ伯爵で間違いないな』
『カバンを置いて、手をあげろ!』
『何ですか、急に』
だから、すぐには動けなかった。
多少、歳のせいだと思うくらいには気持ち的に余裕はあったらしいが。それでも、カバンを置くという動作をするには急な展開すぎたんだ。
私は、すぐ床に伏せられ両手の自由を奪われた。
『確保!』
『!?』
気づいたら目の前では、私の診察用カバンをひっくり返している騎士団のメンバーが。床に、聴診器やカルテ、万年筆、それに、睡眠剤や痛み止めといった薬の瓶までもがぶちまけられた。
個人情報が書かれているため、すぐに抵抗を試みた。そこで声を出せばよかったのだが、カバンの中身をぞんざいに扱われ頭に血が上っていた私に、その選択肢はない。
すぐに頭を押さえつけられ、鼻が折れてしまうほどの痛みを感じつつ、私は耳を疑うような言葉を聞く。
『ありました、違法薬物です!』
『アヘンか?』
『ベラドンナの実かと思われます。4、5、6……10粒あるので致死量を超えています!』
『こちらの瓶には、乾燥したダチュラが』
『馬鹿な! それは、私物ではない!』
『それを決めるのは、こちらだ』
確かに、どちらも猛毒だ。ベラドンナの実など、大人が4〜5個食べれば致死量になるだろう。薬として効果がある容量が難しいため、並大抵の医療者は扱えない。
もちろん、医療者になって15年以上、侍医になって3年になる私でも難しい植物だ。こんなところに持って行って、万が一別の薬に入ってしまったら一大事になる。自室で調合の練習はするものの、持ち歩くはずがない。しかも、エルザ様の回診時に。
それに、チラッと見た瓶は、私の愛用している小瓶ではなかった。
『私のではない!』
『みんな、隠したいものが見つかったらそう言うんだ! 黙ってろ!』
『やめろ! カルテは個人情報だ!』
『見つかったか』
血の気が引くとは、この感覚を言うのだろう。顔から、身体から、サーッと何かが外に抜けていくのを感じながら、必死になって抵抗を続ける。
この次に、カイン皇子の回診を控えていたため、時間も気にしていたんだ。
そんな時、別方向から声が聞こえてきた。
聞き覚えのあるそれに、私は動きを止める。このお方は、確か……。
『ロバン公爵に敬礼!』
『ああ、良い。逃げられでもしたら、それこそ一大事だ』
『はっ!』
そうだ。
隣国のトリスタン・フォン・ロバン公爵だ。お金に糸目をつけず、市場を荒らしていると言われているお方だ。そして、毒物に明るく、自らの研究施設を持っているとか。
なぜ、そんな隣国の公爵がこんなところにいるのだろうか。それに、なぜ騎士団が彼に従っている?
いつもなら、もっといろんな可能性を考え発言できただろう。
しかし、冷たい大理石の床で身体を冷やしつつある私に冷静さを求める方が癪だ。私は、そのまま思ったことを口にしてしまう。
『これはこれは、ロバン公爵。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません』
『罪人が余裕だな』
『私は何もしていませんので』
『嘘つけ。その証拠に、君のカバンから毒物が出てきたじゃないか』
『指紋の確認を要求します。身に覚えがないので、私の指紋とその瓶についた指紋を照合させてください』
この国では、物的証拠を確実なものにさせるために、指紋照合が合理的になっていた。無論、法的にも認められている。
隣国の彼は、それを知らないかもしれない。だから、カマをかけてみたくなったんだ。
『……そんな技術、あるわけがないだろう』
『ありますとも。法的にも、証拠になると認められています』
『そうなのか』
『はい、事実です』
『……ッチ』
やはり。
床に寝ている私には見えないが、声が揺れたところを見ると知らなかった可能性が高い。それが意味していることは、1つ。
彼が、この茶番を仕組んだ張本人ということ。
よくあることなんだ。
宮殿に仕えていること自体、名誉なことだから。宮殿を引退しても、引く手あまたで一生涯困らないと言われているから。
誰かが失脚すれば、別の誰かが入ってくる。その別の誰かを入れるためだけに、こうやって侍女や執事などが標的にされるらしい。
それはわかっていたが、まさか自身がそうなるとは夢にも思わない。
『今なら、見なかったことにします。騎士団を退けてください』
結論づけた私が威圧をかけると、すぐに笑い声が飛んでくる。
1人ではない。その場に居た全員が、失笑しているのだ。そこで、私は取り押さえている騎士団たちがそもそも隣国の人物ではないかと疑いを持つ。制服はそれだが、100人は居る団員の顔まで正確に覚えているわけじゃない。
『君は、薬と毒の境目を知っている。それだけで、十分怪しい』
『医療者なら……それも宮殿侍医なら、知っていて当たり前です』
『それなら、なぜ毒を持ち歩いている?』
『持ち歩いておりません。それは私のではない。それに……』
それに、あなたはなぜここにいるのでしょうか。陛下の許可は取ったのでしょうか。
そう聞こうと顔を上げた時だった。
『……アドリアン?』
『!? 皇子、お逃げください!』
『アドリアン、どうしたの』
そこに、カイン皇子がやってきた。
取り押さえられている廊下の曲がり角に、皇子がこちらを向いてポツンと立っている。
きっと、私の回診が遅くてエルザ様のお部屋を訪れようとしたのだろう。些細な理由をつけて母親に会いたがる甘えん坊だ。今回も、侍女の静止を振り切ってここまで来たに違いない。
私は、カイン皇子に向かって大声を上げた。
まさか、こんな宮殿の廊下で真昼間から皇子殺害をするような馬鹿ではないだろうが、そこに致死量の毒があるならば近づかせないに越したことはない。
しかし、それも私にとって痛恨のミスだった。
『此奴、皇子を暗殺しようと毒を仕込んでいるぞ!』
『なっ!?』
誰が叫んだのかは、廊下が響きすぎてわからない。しかし、その言葉ははっきりと聞こえた。
私が、皇子を毒殺しようとしている、と。
すると、騒ぎを聞きつけた皇子の護衛や侍女が集まってきた。その影に隠れ、私の方から皇子が見えなくなった時、さらに事態をややこしくすることが起きる。
『……おい! 今、お前』
『こいつのカバンの中に、毒がありました! 動かぬ証拠です!』
『此奴は、エルザ様のお部屋から出てきたぞ! 早く、エルザ様の無事をご確認しろ!』
『急げ!』
誰かが、私の手に何かを握らせてきた。
あの毒草の入っていた瓶だと、すぐにわかった。しかし、こうなっては後の祭り。
ここで、その騎士団は偽物だと騒ぐべきか。
しかし、下手に騒いでそれこそ皇子やエルザ様に危害を加えられたら一環のおしまいだ。私は、言い逃れできる言葉を無くし、抵抗することを止める。
『ロバン公爵、よく気づいてくださいました。感謝いたします』
『何、ここを通ったら怪しい動きをしているやつが居てな。偶然だ』
『せっかく観光でお越しいただいたのに、申し訳ございません』
『毒の研究施設を管理する私でなければ気づかなかったであろう。これからも友好でありたい国の皇子を守れたのは、私の中でも誇りだよ』
今、「そいつが仕組んだことだ!」と叫べば誰が振り向いてくれるだろうか。
私の指紋がついた毒草の入った瓶がある中、誰が身の潔白を証明してくれるだろうか。
それを考えることすら放棄した私に、明るい未来などない。
『こいつを連れていけ!』
『毒を仕込んでないか、確認してからにしろよ!』
無理矢理起き上がらされた身体は、冷え切っていて所々が痛んだ。でも、それすらどうでも良いと感じる自分がいる。
それより、皇子は無事だろうか。怖い思いをさせてしまったに違いない。
サリエルはちゃんと、皇子をケアできるのだろうか。ああ、こんなことになるなら、精神を落ち着かせる効果のある香油や飲み物を教えておけば良かった。もう、遅い。
私は「皇子殺害未遂」の汚名をもらい、3年ほどを牢屋の中で過ごすこととなる。
なお、その場にいた騎士団は全員本物だった。しかし、疲労や爵位を継ぐためなどさまざまな理由をつけて全員騎士団を辞めていた。故に、瓶を押し付けられたという証言もあやふやになってしまった。
最後まで戦ったものの、やはり、その場で身の潔白を証明できなかったこと、さらには指紋が決定的証拠となり有罪判決が出てしまったんだ。
それでも、陛下は味方でいてくれ、処刑されるところだった私を爵位剥奪、宮殿追放、さらには多額の罰金を課すことにより逃してくれた。
その後、刑期を終え身ひとつで放り出された私は偶然、怪我をしたベルお嬢様と会い、治療をしたことをきっかけにフォンテーヌ家に引き取られることとなる。
無論、罪人であったことは包み隠さず話し、多少毒に明るいことも伝えた。しかし、フォンテーヌ子爵は「それがなんだ、すごい知識じゃないか」と褒め称え暖かく迎え入れてくれただけ。
ロバン公爵のことも、「ここは、しがない子爵の屋敷。そんな身分の高い人がくるところではないから安心したまえ」と怒りながらも私の味方をしてくれた。
……その場にいて味方してやれなかったことを謝られた時は、よくわからなかったが。「味方がいない中、君はよく頑張った」と言ってくれた彼が、温かい心の持ち主であることは十分伝わった。
そんな彼から新しい名前……アインスを授かった時は、一生このお方に尽くそうと心に強く想いを刻み込んだ。
こうやって、私はフォンテーヌ家の医療者アインスになったのだ。
***
「……え?」
イリヤの口から、「アインスが派遣されることになった」と聞かされた。
ちょうど万年筆にインクを補充するところだった私は、それを聞いてインク入れを倒してしまう。
「わ!? お嬢様、大丈夫ですか」
「え、今、何地方と?」
「ミミリップ地方です。……落ちたインクは擦っちゃダメですよ! トントン叩くと落ちやすいのです」
「そう……」
それは、アリスが住んでいた地方の名前。まさか、うちの地区じゃないわよね。
そこで、医療者が……しかも、爵位を持たない医療者が必要ってことは相当緊急性の高い話だわ。
「何があったの?」
「詳しくはわかりませんが……。お調べいたしますか?」
「お願いしても良いかしら。あの……えっと、パトリシア様がその近くに住んでいらっしゃるでしょう? ちょっと心配で」
「お嬢様は、とてもお優しいお方です。イリヤ、感激」
「……」
私は、インクを丁寧に拭いてくれるイリヤを見ながら、どうしようもない不安に胸が痛むのを感じていることしかできない。
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