第5話 何も出来ないくせに

僕は、自分の掌を見つめた。


この手で殺したゴブリンは、元々人間だった。

初めに僕に何かを話しかけていた。もしかしたら、意思疎通しようという思考はあったのかもしれない。助けを求めていたのかもしれない。

いや、それは無い。だって、僕を先に襲ってきたのはあっちじゃないか。僕がしたのは正当防衛なんだ。


「どうした。急に手を見て。傷は残ってないだろ」

彼は相変わらず粗暴な口調で言ってくる。その腰にある日本刀を模した刀は、飾りではないのだろう。

だから、僕が考えていることが分からないんだ。


「僕は人を殺したんだぞ……」

「奴はもう人ではなかった。化け物だった」

「それでも人間だったんだろ」

「だがすでに人間では無くなっていた。殺していなければ、お前はあのまま殴殺されていたぞ」

「その方が良かったんだ!」

テーブルを叩く。彼は眉1つ動かさなかった。


「可哀想なことをした……」

「お前はそういう玉の人間では無いだろ」

そう言われて息が詰まった。

「お前、今何を感じている?」

「当然……罪悪感だ……」

「嘘をつくな」

彼は嘲笑して椅子に座りなおした。鎧が金属音を響かせる。


「お前、今笑ってるぞ」

「何を言っているんだ……君は……?」


恐る恐る自分の顔に手を近づけ……触れなかった。

もし、本当に笑っているなら、どうすれば良いか分からない。

この部屋には鏡も無い。触らなければ確かめられない。

なのに、確認するのが怖かった。


「お前、自分の世界では何をしていた? 何を考えていた?」

「…………」

「我々の世界も、中々の壊れ具合だ。だが、お前の世界も平和では無かったみたいだな」


一緒にするな、僕は正常な人間だ。


「何を思って笑っている」

「笑っていない」

「顔は笑っている」

「笑っていない」

「お、やっと真顔に戻った」


彼はつまらなそうに溜息をつく。

「肉体の再構築も成功し、フラスコからも生き残った検体なのに。蓋を開けてみればこんな変人か」

そのまま、彼は言った。


「出来損ないか」


言葉が冷たい刃になり、僕の喉を撫でた。

たった一言が脳内で反響して、いつまでも騒がしく僕をがなり立てる。


「ここでも、僕は出来損ないなのか……?」

「あ? じゃあ何が出来るんだ」

「勉強なら、人並みに……」

「魔法も使えないくせに、何が出来るんだ」


吐き捨てる彼が、僕には徐々に異形のものに見えてきた。

この感覚は知っているんだ。


僕をイジメていたクラスメイトも、父さんも母さんも、そう見え始めていた。

輪郭が分からなくなっていく。色相が狂って見える。声が重々しく聞こえる。


「じゃあ……なんで僕をこんな世界に連れてきたんだよ……」

「我々も、お前のような者を望んでいたわけではない」

悪びれる様子もなく、彼はそのまま席を立った。

「どうにか帰れるようにしてやる。すぐには出来んがな。こちらも忙しいんだ」

そして、そのまま部屋の扉に手をかけた。


「悪かったな」


最後の一言で、僕の中の何かが溢れた。

自分でも、笑っているのが分かった。


「待てよ……」

僕も席を立ち、彼に歩み寄る。

「勝手に連れてきておいて、そんな扱いは無いだろう……ましてや、君まで僕のことを出来損ない扱いか」

「使えない者の評価なんて、どこでもそんなもんだ」

僕を軽く突き飛ばし、距離を取った。


「お前、どこに行ってもそんな扱いなのか。可哀想にな」


僕が拳を振り上げるのと、彼が刀を抜くのは、全く同時だった。

本物の切っ先が僕の鼻を突いた。ゴブリンに棍棒を向けられた時とはまた違う恐怖がまつわり付く。

「出来損ないに時間を使うほど暇じゃない。大人しくこの部屋で蹲ってろ」

刀身が蝋燭の火で赤く光った。

「痛い思いはしたくないだろ?」


その威圧的な態度に、僕はもう我慢できずに噴き出してしまった。


どこに行っても同じなのは、お前らだ。

群れて行動し、数の強さを個の強さと勘違いした奴ら。

評価と羨望を鎧だと思い込む馬鹿な奴ら。

不平等な立ち位置で悦に浸る奴ら。


「君……名前は何て言うんだい?」

「何を偉そうに」


「言えよ」


そう呟いただけなのに、彼は少しだけ瞳孔が開いた。

「……グランだ。グラン・トラニル」

「グラン、僕は出来損ないって言うんだね?」

もう一度聞いた。返事は無かった。


「じゃあ、僕がグランより強ければ、君の方が出来損ない、だよね?」


刀をすり抜け、グランの顔を掴みかかった。

不意を突かれてふらつくグランの頭をそのまま扉に叩きつける。元々脆かったのか、簡単に扉は壊れた。

「貴様ぁ!」

ふらつきながら横薙ぎに払われたグランの腕が、僕の頬を直撃する。鎧に守られた一撃が、脳みそにまで届いた。

でも、その程度では止まらない。

「ゴブリンより痛くないじゃん」

お返しに殴り返す。鼻を殴るつもりだったが、首だけで躱されてしまった。

「お前はそこでジッとしてろ!!」

刀が僕の腕を切り裂いた。焼けるような痛みが肘から手首まで走り抜ける。まるで糸が切れたように、手首から先が脱力して動かない。


仕方がないので、遠心力を使って斬られた方の腕を振り回す。

鞭のようにしなった腕がグランの顔の前を通過した。飛び散った血が廊下にまき散らされる。

「ぐ……目に……!」

血が顔に当たった。いや、当てた。そりゃ目に入るさ。


斬られていない手でグランの首を締めあげ、そのまま壁に押さえつけた。

「お前……本気で殺す気か……!」

見えない状態で適当に振られる刀が、僕の体を薄く切り裂いていく。

自分から流れる血が、足元をびちょびちょにしていった。


しばらくして、グランの口元から、泡が出てきた。白い泡に僕の血が混ざって真っ赤に染まった。

突然、グランが目を開いた。強引に開いたため、真っ赤に血濡れていて、まるで化け物みたいだ。

焦点が少しブレているようにも見える。

念のため、頸動脈を更に締め上げる。


「大丈夫かい、グラン。負けそうじゃないか」

話しかけても、何も返してこない。泡の量が増えていくだけだ。

「さっきまであんなにお喋りだったのに、残念だな」

締める力を更に込める。

可哀想に、今にも白目を剥きそうだ。


最後の力だろうか、刀を振り上げ、僕の首に突き立てた。

切っ先が少し刺さり、そこから血が流れた。


何も話せないグランは、途絶えかけた意識を全て眼に込め、僕を睨んでくる。

殺すぞ、そう言いたいのだろう。

「やってみなよ」

更に締めた。ギシギシと、首が嫌な音を上げ始めた。

「殺さないと、負けちゃうね」

刀を握る手が血管を浮き上げた。異常な力が込められている。

それでも、刀は動かない。


そうだよね、君は僕を殺せないよね。

知ってるんだ、君のような人を。


君みたいな人は、僕の学校に沢山いた。

横暴な態度をとるし、人の心を考えない発言で罵倒する。人のことを勝手にランク付けして、下位の者のことなんて考えない。

逆らえば暴力、それでも反抗するなら、道具を用意する。

僕が知っている奴は、カッターをいつも僕に向けてきた。

逆らえば切ると。

僕は逆らわなかった。でも、逆らっていたらどうなっていただろう。


僕は切られた? いいや、切られないんだ。

だって、こういう人は、本当に悪い人間なのではないから。

ただ、態度が悪いだけで悪意は無いのだから。


「だから、君は僕を殺せないんだよ」

首を絞めたまま、何度も壁に叩きつける。何度も、何度も。

「グラン、君は良い人だ。その刀も、敵である化け物しか斬ったことが無かったんだろう? 僕に向ける予定何て最初から無かったんだろう? だから、刀を振り回せない狭い部屋を選んでしまった。斬りつけるチャンスがあったのに、首ではなく腕を浅めに切った」

もう一度、強めに壁に叩きつける。壁に小さなヒビが入った。


「だから、ここまでされても君は僕の首を斬らないんだ」


刀が僕の首から離れた。そのまま重力のままに、グランの手から離れ、僕の血だまりに落ちた。

「僕の勝ちだ」

僕も手を離してあげた。

すぐにむせ返るほど咳込んだグランは、僕の血だまりの上で倒れこみ、小さく痙攣していた。

「グラン、僕は君と違って、悪い人間みたいだ」

僕の血だまりで溺れているようなグランを見下ろし、僕は言った。

「今までずっと我慢していたんだけどね。なんだろう、我慢せずに暴れることがこんなにスッキリするなんて知らなかったよ。僕は、みんなが思っているより出来損ないではないみたいだ」

「き……さま……」

意識がぼやけたままのグランが顔をあげ、睨みつけた。

「だけど、聞いてくれよ。グラン」

僕も血だまりに座り込み、グランに目線を合わせた。正直、僕だって立っているのもキツイ。


「僕は、本当はこんな人間じゃなかったんだ」

「…………」


斬られた腕よりも、締め上げた手の方が痛い。グランの表情が、怒りより苦痛に見える。


「君が言った通り、ゴブリンを倒した時、実は罪悪感はそれほど無かったんだ」

血に塗れたグランの顔が、まっすぐ僕を見ていた。

何も言い返さず、聞いてくれた。

「罪悪感もなく、あんなことをした。罪悪感を感じようとした。でも、思えなかった」

そんな自分が恐ろしかった。ホラー映画の殺人鬼の視点を強引に見せられているような感覚だった。

今だってそうだ。ゴブリンではなく、どうみても人間であるグランを殺しかけ、そこに罪悪感なんて微塵も感じない。


「……なら、なぜお前は笑わない」

「え?」

息も絶え絶えに、グランは告げた。


「お前は今、泣いている……」

「そっか……そっか……」

血に塗れすぎて、涙なのか血なのか分からない。確かめようにも、両手がもう動かない。

「僕は泣いているか……」


その一言が、どうしようもなく僕の心を掻きむしった。

そのまま肉を裂き、血が溢れて、骨が浮き出るほどに。


「僕はどうなっちゃったんだよ……こんな事をする人間じゃなかったのに……僕は、まだ僕なの……?」

「知るか、そんなもの……」


グランの体がぼんやりと白く光り出した。僕にしてくれた治癒魔法の光に似ていた。

「先に傷を治す。そのあとで、検査してやる……」

少しずつ、グランの血色が良くなっていく。やはり治癒の魔法なのだろう。

「俺が治ってからお前も治す。それまで痛みを味わってろ」

「僕は治さない方がいいんじゃない? また暴れるよ、きっと」

「その時はその時だ。次は容赦なく殺す」

それに、とグランは続けた。


「お前も俺を殺さなかった。お前の自論が正しいのなら、お前だって悪い奴ではないのだろう。ムカつく奴ではあるがな」


光が消え、グランが立ち上がる。もう疲労も傷も残っていない。

そのまま僕に手をかざすと、今度は僕の体が白く光り始めた。さっきのグランよりも強い光だ。


「……悪かったな」


その言葉に、僕は何も言い返さなかった。

斬られた腕が動くようになって、二人で別の部屋へ向かった。

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