第4話 それぞれの不幸
泣いて、泣いて、ひとしきり泣いた。
涙を流して泣いたのは、本当に久しぶりだった。
少しは気分も落ち着いたものの、今度は腕や顔の痛みの方が主張を始めてくる。
腕なんか、異常なほどに熱を持っている。何も握れないほど力も入らない。
「次にあんな化け物が襲ってきたら、今度こそ終わりだ」
もう一度だけ、自分が初めて殺した生き物に目を向ける。
ただの死体なのに、ここまで迫力を感じてしまうものなのか。
「……ごめんよ」
つい口に出た。何についての謝罪なのか、自分でも分からなかった。
『おめでとう、お前が勝ったのだ』
また、声がした。
ゴブリンと戦う前に聞こえた、あの声だ。
「見ていたのか……」
『あぁ、見ていた。見させてもらった』
男にも女にも聞こえる、中性的な声は答えた。どことなく漂う偉そうな雰囲気が鼻につく。
「君はなんなんだ。ここはどこなんだ。説明は無いのか」
『聞きたいことが多いのは、こちらも同じだ。お前とは、話をしよう』
謎の声がそう言い終えた直後、景色がみるみる黒ずんで、闇に染まっていった。
遠くまで見えていた地平線が近づいていき、視界が消えていく。
まるで、落ちてきた穴の中のようだ。あの時と違うことと言えば、浮遊感がないこと。
僕は間違いなく立っていて、周りだけが真っ黒になっていく。
「なんだこれは!」
声をあげても返事がない。
暗闇は全てを飲み込んだ。
闇には、僕と死体だけが残った。
「よりによって、あれだけは見えるのか……」
ゴブリンの死体は、暗闇の中で唯一しっかりと見えた。
見たくないものは、不思議な引力をもっている。僕は、それから目を離せなかった。
離さなかったからこそ、異変に気付いた。
死体が、沈んでいく。
文字通り、暗闇の中に、ズブズブと。
いきなり底なし沼に落ちたかのように、ゆっくりと。
「ギ…………」
ゴブリンが鳴いた。完全に絶命はしていなかったのか。
うっすらと目を開けたゴブリンは、そのまま闇へ完全に沈んだ。
『これで、準備は終わった』
声がして、再び暗闇から景色が変わっていく。
ぼんやりと色が見えてきた。
そこはもう、永遠に続く芝生ではなかった。
一歩も動いていないはずなのに、僕が立っているのはどこだ。石造の建物の中のようだ。
広い部屋の真ん中に大きな机が1つだけ。その上には、大きめのフラスコが七つ並んでいた。割れているものも複数。
室内は複数の人物がせわしなく動き、フラスコを観察したり資料を作成したりしていた。
みな、研究員のような白衣を着ている。少なくとも、安全な雰囲気はしなかった。
「ここは……」
「やぁ、お前が残った者か」
背後からの声がした。さっきまで聞こえていた声だ。
振り返ってみると、僕と同じくらいの背丈の少年が立っていた。
銀髪の少年は、僕と同じくらいの背丈だろうか。いや、少し僕より低いかもしれない。
どこからどう見ても同年代のような彼だが、その腰には日本刀によく似た剣が装備されていた。
腕や足、腰などにも簡易的な鎧を装備していて、それらは使い古されて煤けていた。凹凸な傷もある。
「なんだ、ここは……」
「話は後だ。先に傷を癒す」
彼は僕の返事も聞かず、僕の胸に一枚の札を張り付けた。
その札は一瞬白く光り、服の上から体に入り込んでいった。
「なんだこれ!」
「慌てなくていい。ただの治癒だ」
彼はさも当然のように言うが、僕には何がなんだか分からない。
急いで服を脱ぎ、体内にまで行きそうな札を剥がそうとする。それでも間に合わず、綺麗さっぱり僕の体の中に入り込んでしまった。
「僕の体に何をしたんだ!」
彼を肩を掴んで揺さぶる。驚きたいのはこっちの方なのに、なぜか彼は目を丸くした。
「君らの世界では、こんな初級の魔法も無いのか。よく生命の維持をし続けられるものだ……」
「魔法……?」
そこまでして、気付いた。
腕があがっていた。
何も掴めないほど疲弊していた握力も戻り、彼の肩を揺らしていたんだ。
「腕が……」
「折れた鼻も治っているぞ」
「折れていたのか……」
「感触はあったろう」
思い出したくも無い感触がフラッシュバックして、鳥肌が立つ。
「ともかく、お前は残った者として話がある。こちらへ来い」
彼は言うが早いか、僕の腕を掴み、他の部屋へ連れていこうとした。
「やめ__」
抵抗をしようと力を入れるが、まったく振り払えない。筋肉質とはお世辞にも言えない見た目の彼に、なぜここまでの力があるのだろう。
まるで、ゆっくりと車に引っ張られていくような、抗えない力がそこにあった。
「大人しくしろ。我々は敵ではない。むしろ味方だ」
口ではそういうが、扱いが捕虜そのものである。
部屋を出ると、殺風景な石造りの廊下に出た。幾つも部屋があり、そのどれもが締まっている。
廊下の明かりは、いくつか置いてある蝋燭の火のみ。薄暗くて仕方ない。
「どこへ連れていくんだ」
「使ってない部屋だ」
「何のために」
「あそこじゃ邪魔になるからだ」
確かに、多くの白衣の人がせわしなく動いていた。
十部屋ほど素通りして、彼はドアを開けた。
2人が向かい合わせて座るのがやっとな、とても狭い部屋だ。真ん中に小さな木のテーブルがあり、向かい合う形で椅子が並んでいる。
まるで取調室そのものだ。
「ここにするか」
やっと僕の腕を離してくれた。掴まれていた腕に、少し跡がついた。
「まぁ座れ。のんびりしている暇はそんなに無いからな」
どこから用意したのか、マッチで蝋燭に火を点け、部屋の壁に下げた。
ほんのりと明るくなり、彼の表情が分かるようになった。
彼はどことなく緊張しているようだった。
僕が座る前に椅子に座り、僕にも座るように目で指示する。
渋々座る僕に、彼はゆっくりと頭を下げた。
「まず、よく残ってくれた。そして、ありがとう」
いきなりそう言われても、何がなんだか分からない。
「そういうのは良いから、説明をしてくれ。ここはどこなんだ。あの化け物は何なんだ。何があって僕はここにいるんだ!」
「落ち着け。全て説明する」
「さっきは答える必要ないとか言ってたくせに」
「さっきはまだ試作中だったからな。必要ない者に説明しても無駄だろう」
悪びれも無く、そう言い放った。
「試作ってなんだよ……こっちはいきなり誰もいない、何もない草原に放り出されて。見たこと無い化け物にも殺されかけるし……」
「それが試作なんだ。仕方ないだろ」
彼の態度に苛立ちを覚えてくる。しかし、こういうタイプの人間は沢山見てきた。
きっと、彼は僕を怒らせようとしているのではない。純粋に態度が悪いだけの人間なんだ。
自分の行動に悪意が無いからこそ、反発されたら被害者意識の方が勝って、いかにも正当であるかのような怒りを振りかざす。
こんな訳の分からない世界にも、こんな人間はいるんだな。
一度深呼吸をして、もう一度問う。
「その試作とは何なのか、教えてくれないか?」
「あぁ、最初からそのつもりだ」
彼は特に拒否する素振りもなく、普通に答えた。やはり悪意はないらしい。
「試作の話の前に、まずお前がここにいる理由と、ここが何なのかを説明しよう」
「よろしく頼む」
「うむ。まず、ここはグラン・パイオレットと呼ばれる国だ。国と言っても、少し大きな村くらいの認識で十分だがな」
「聞いたことないぞ、そんな国」
「当然だ。お前らの世界とこの世界は、違うものなのだから」
世界が違う、という言葉が理解できず、返事が出来なかった。
「まぁ、そういう反応になるだろうな。我々も、ここと違う世界があると分かった時はそんな反応をした」
彼は笑って見せた。
「だが、こればかりは受け入れてくれ。もっと詳しく説明できる奴がいるんだが、今は体調不良で気を失っているんだ。そいつにまた詳しく話をさせるから、先を話してもいいか?」
表情からして、嘘は言っていないのだろう。本当に困ったような表情だ。
「わかった。僕は君を信じるよ」
「話が早くて助かる」
再び微笑んだ彼は、話を続けてくれた。
「この世界は、今までずっと平和だった。多少の争いはあれど、お互い言葉の通じる人間同士、最後は話し合って調和を取るような、本当に平和な世界だったんだ」
「素晴らしいじゃないか」
同じ言葉を話せても、話し合いが出来ない人もいるのに。
ふと現実世界を思い出してしまった。
「だが、十年前から変わったんだ」
「戦争でも起きたのか?」
「違う。我々は、同じ種族同士で殺し合うようなことは、そもそもしない。そんな生産性の無いことをするわけないだろ」
「そうだな、確かに生産性は無いな」
そんな生産性の無いことを、僕らの世界では未だにしている。
「この世界を変えたのは、生態系だ」
「動物が人を襲うようになったのか?」
「襲うなんて話じゃない。あれはもう、進化とでも言うのか」
鎧の傷を撫で、表情が曇る。その鎧の傷は、その時のだろう。
「ある日、突然だった。ペットが変形し、人を襲うというニュースが流れた。最初は犬だったはずだ。小型犬。それが人よりも大きな姿になり、容易く飼い主を食い殺したんだ」
彼の話は、あからさまに突拍子もない話だった。本来なら、まったく信じられない。
だからこそ、そんなことが本当に起きた世界がどれほど混乱するか、想像に難しくない。
「そこからはパニックだ。至る所で同じような事件が発生し、一週間もしないうちに幾つかの国が壊滅した。一か月して、残った国は七つ。完全にシャットダウンして、被害を起こさないようにしている。半ば強引な対応もあり、賛否両論ではあったが、それがなければ人間なんて数年前に死滅していたさ」
「疑うわけではないが、信じられない話だな」
「俺だって信じられないし、信じたくない。だが、現実なんだから仕方ないだろ」
頷くしかなかった。
「残った国はそれぞれ、武力に優れた国、知性に優れた国など、群を抜く素質をもった国だった。そして、小さいながらも我々の国も、素質があったおかげで今がある」
「その素質って?」
「さっきも見せたろう。魔法だよ」
先ほど見せられた、怪我を治す魔法のことか。
「魔法自体は普通に誰でもある程度は使える。さっきの治癒魔法レベルなら、どこの病院でも行える処置だ」
「僕らの世界では、魔法なんて存在しない」
「不便な世界だな、可哀想に」
「そうでもないさ」
もし魔法があっても、僕は才能が無くて怒られるのが目に見えている。
無駄に怒られる回数が減っていたのだと思えば、悪くない。
「我々が使う魔法は、レベルが違う。様々な属性があり、生活に役立ててきたものだ」
よほど自慢なのだろう。嬉しそうに話してくれる。
「我々の魔法は、本当に多くの人を助けた。自国も他国も分け隔てなく、な…………だが、この事件で、世間の目が変わった」
先ほどまで明るかった声が、一気に重く冷たいものになった。
「この動物が狂暴化している原因が、この国にあるという噂が出たのだ」
正直、誰もが思いつく結論だろう。
魔法は科学と違って、説明がつかない。人智を超えた力があるからこそ、未曽有の災害の原因にすらなりうる魔法が矢面に立たされるのは、日を見るより明らかだ。
「そうなるだろうね」
「我々は、何よりも悔しかった……大切な魔法を、悪に使ったと思われたことが」
人一倍プライドが高そうな彼には、相当感じるものがあったのだろう。
「可哀想だったね」
プライドなんて、持っているだけ邪魔なのに。
「だからこそ、我々の力でこの地獄の原因を見つけ出し、解決する必要があるのだ」
高ぶる感情のまま、テーブルを叩く。狭い部屋に音が響いた。
「そう考え、我々はあるプロジェクトを開始した。それが、お前がここにいる理由だ」
「あるプロジェクト……?」
「魔法で、他の世界から助っ人を呼ぶことにしたんだ」
「随分突飛な発想に至ったな」
「それには同感だ。だが、天才の発想を理解しようとしても無駄だから、俺は途中で諦めたさ」
ということは、最初に言っていた、自分より詳しく説明できる奴、というのが僕をこの世界に連れてきた張本人というわけか。
「その天才さんは、どこにいるんだ?」
「違う部屋で休んでいる。力を使いすぎて失神していたよ」
「どうしてそんなコスパの悪いことを……」
「単純な話さ。犠牲を生みたくないんだ、我々は」
「……」
「同じ世界の人を危険に晒したくない。だから、やむを得ずさ」
彼のいう事は、とても素敵なことなのだと思う。むしろ褒められるべきなのかもしれない。素で世界平和を望む人間など、中々いないものだ。
その点で、彼はとても優しい人間なのかもしれない。
だが、話がおかしい。
「天才と呼ばれる人間が、自分が失神するほどの力を使ってまで呼び出したのが、ただの人間っておかしくないか? 戦力も大してない、普通の人間だぞ。それに、僕がここに来た時、不思議な穴に落ちてきた。その穴は、僕の世界のあちこちに空いていたんだ。だったら、僕以外にも、僕の世界の人が来ているはずだぞ」
「いや、お前が1人だ。まだ集めているが、今のところはな」
「他の人はどこにいった……」
「フラスコの中だ」
「フラスコ……?」
少し考えてから、思い出した。
僕がこの部屋に出てきた時、テーブルに幾つかフラスコが並んでいた。
「あの中に? 冗談だろ」
「冗談なものか。空間を扱う魔法を使う者が指揮を執り、集めた人間をそこに入れて観察しているのだ」
「なんだよ、それ……」
想像上の力の汎用性に、思考が追い付かない。おかしな話にしか聞こえないが、さっきの治癒の魔法からして魔法は本当に存在する。ならば、そうやって大きさや質量などを自在にする魔法もあるのかもしれない。ここは受け入れて話をしていくしかないのか。
「そもそも、人手が欲しいならすぐにでも人数を揃えればいいだろう。わざわざ観察する必要も無い。言語が通じるわけなんだし、それこそ話で協力を促せばいい」
「それは出来ない。危険すぎるからな」
危険、という言葉が、妙に気になった。
「危険って、どういうことだ?」
「そもそも、お前は少し勘違いをしている」
「何をだ」
「我々が欲しいのは、強い仲間だ。普通の人間なんかじゃなく、戦闘力を兼ね備えた、な」
「力が強い人間を集めたかったってことか? まぁ、そんな化け物と戦うんだから、そうなんだろうけど」
「強い仲間を集めるために最も効率の良い方法が何か、分かるか?」
「初めから強い人を集める、かな」
「違う」
彼は、首を横に振った。
「何でも良いから、強く改造するんだよ」
「…………は?」
改造、と言ったか?
「改造って……人間をか?」
「そうだ。そもそも強い個体なんて、中々見つからないし稀少だ。天然ものを探すなんて効率が悪すぎる」
「じゃあ、俺も改造するつもりかよ!」
「いいや、もう終わってるはずだ」
終わってるはず。そう言った。
俺は…………何をされた?
「顔を青ざめているところ悪いが、お前の観察結果は失敗だった。大して変化は無い。まぁ、変化がない事自体が相当レアケースだから、本当に運が良いよな。我々からすれば失敗なことに変わらないが」
「ま、待てよ。いつ僕が改造されたって言うんだ……何もされてないのに!」
「ここに来るまでに、穴を通ったと言ったじゃないか」
面倒そうな顔で、彼は言った。
「そこを通ってる間に、身体を組織レベルで強化し、再構築している。より強い個体として作り変えるためにな」
「そんな……僕の体に変化なんてなかったぞ!」
「結果としては無いみたいだが、お前も一度体が溶けて液状化し、再びその体を構築していた。観察担当からの報告書にそう書いてあった」
「バカな……僕はそんなこと起きてない!」
「上も下も分からない暗闇で、痛みもなく体が変化すれば、そりゃ気付かないだろうな」
信じられるはずがない。現に僕の体は何も変わらずにあって、特別強くなったわけでも何でもない。
「他の人はどうなってるんだ。穴に落ちた人たちは!」
「全員、同じように肉体を液状化して強化した」
「ならどこかにいるだろう!」
「いない」
「どうして!」
「液状化の後、再構築がされなかったからだ。まだ再構築された検体は、お前を含め数体しかいない」
再構築されなかったということは、液状に溶けて、そのまま戻る事がなかったってこと……。
「死んだのか」
「元々リスクは大きかった。だから、他の世界の人間で試してるんだ」
そういう彼は、やはり自分の行動に悪意など無かった。
「どうかしてるよ、君たち……」
「我々も自覚はしている」
「……そういえば、僕以外にも数人は再構築されてるんだよね……? その人たちは?」
「検体たちは、複数体で一つのフラスコに入れられ、戦ってもらう。残った者を、こうして仲間にしていく予定だ」
「え……それって…………」
彼の言葉で、身の毛がよだった。
「僕が殺したゴブリンって……」
「お前の世界の人間だ。再構築は、必ずしも人間の姿とは限らないからな。言ったろ? お前はレアケースだって」
今になって、またゴブリンを殺した感触が湧き上がってきた。手の感触はおろか、血の臭いまで。
「お前は、殺して残ったんだ。だから、ここにいる」
彼が友好的に微笑み、手を差し伸べてくる。
「一先ず、ようこそ。我々の世界へ」
握手なんて、するわけないだろ。
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