9月9日
日曜日。曇り。重陽の節句。
五年……いや、六年前だったか、9月9日の晩に、おばあちゃまの家に集まって宴を催したことがあった。元の仕事を投げ出して映画ファンドがどうとか言い始めたパパも当時はまだちゃんとしていて不興を買っていなかった。今一つ居心地悪そうに、始終ポリポリ指で耳の後ろを掻いていたけれど。ママもずっと上機嫌で、本当に和やかで楽しかった。
日曜だから、かなりの人数が許可証をもらって街へ下りていった。あたしだって息抜きはしたい。でも、防犯上の観点から原則として独り歩きは禁止されているし、じゃあ、同級生やルームメイトと連れ立って……となると、ちょっと気が重い(代表者には非常事態に備えて緊急通報と学校の事務室にだけ繋がる設定の携帯端末が貸与される)。そうすると昨日と同じように、外で鬱憤を晴らそうとする面々とは別の、自由学習好きのグループとご一緒するパターンが多くなりがちだ。一人で静かに過ごしたい気持ち半分、時間を持て余すダルさ半分、次のサツキさんへの手紙に綴る話のタネに……という欲も手伝って、同室の愛宕さんに誘われるまま木立ちを臨むホワイエへ向かった。休日につき、校舎への立ち入りも私服でOK。
床几台に緋毛氈。お点前ではなく、ふるまわれたのは中国茶。イベントの主催者である先生の説明を聞いて器を受け取った。工芸茶といって、お茶の葉をボール状に加工して茶碗に入れ、お湯を注ぐとその小さな手鞠のようなかたまりが開いて、内側に仕込まれた花が顔を出す仕掛け。今日はその中身が菊なのだった。参加者は湯気を浴びながら小さな嘆声を漏らした。
「菊酒で祝いたいところですが、みなさんは未成年ですし」
微かに笑いがこぼれる中、膝の上に懐紙を敷いて、順に回ってくる盆からお菓子をいただいた。紅白の菊をかたどった干錦玉。近くの席から小さく、
「どうして菊なの?」
「今日は菊の節句でしょ、恥ずかしい」
双子の一年生だ。
「旧暦では菊が咲く時季だからですよ」
と、先生。またも一同の微苦笑。彼女らの横に座った子も、うっすら笑っている――が、それは周囲に調子を合わせているだけで心ここにあらずといった眼差しのみどりだった。
お開きになったので片づけ。寡黙な女性事務員さんも手を貸してくれたが、いつもどおり仕事に不満があるのに辞められなくて鬱憤が溜まっているといった風情。アップスタイルのたわみを上下させ、バタフライ型の眼鏡フレーム越しにあたしたちを睥睨していた。
用が済むと、みどりは双子たちと別行動。きっと図書館へ行くのだろう。あたしはほどほどの距離を空けて後に従った。みどりはキビキビして歩くのが速かった。
日曜の図書館には司書も係の生徒もいない。よって、返却・貸出不可。館内での閲覧のみ可。日本の古典コーナーへ行って上田秋成の『雨月物語』を探した。現代語訳の本を既に誰かがピックアップしていた。あたしも一冊、手に取ってキャレルデスクへ向かった。
みどりの背中を発見。なんてきれいな襟足。吸血鬼じゃなくても唇をすり寄せて甘噛みしたくなるに違いない。突如湧き起こった妖しい衝動をグッと抑えて、間を一つ空けた席に着いた。
取り急ぎ、うろ覚えだった「菊花の
いかにも天然っぽい双子の片割れが、ここは女子校なのに、なぜ衆道の物語を連想させる集いが催されるのかという意味で「菊なの?」と訊いたのだとしたら、はなはだ鋭いツッコミだったと言えそうだが、まさか、ね。
フッと小さく噴いたら、みどりが気づいたらしい。軽く身を乗り出して、こちらを窺う素振り。あたしは文庫本を掲げて挨拶のポーズを取った。同じアクションで応えてくれるのを期待したが、そううまくはいかなかった。彼女は邪魔が入って気が乗らなくなったとでも言いたげな、ややふくれた顔で立ち上がり、本を書棚に戻して出ていった。冷たい。
【メモ】
①干錦玉(ほしきんぎょく):ザラメを加えて煮詰めた寒天を固めて切り、乾燥させた菓子。
②睥睨(へいげい):流し目でじろりと見ること。転じて、威圧するように周囲をにらみまわすこと。
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