「わたし、フリルくんが、好き」

 雨の季節になった。

 その日はずっと朝から雨が降り続いていた。

 もう少し経てば、期末試験が始まってしまう。試験が終われば、夏休み。

 連絡先を知らないフリルとは、ずっと会えなくなる。

 フリルの教室まで出向く勇気は出なかった。彼女と一緒にいるところを目撃してしまうかもしれないから。それでも、彼の影を探して、図書室にやってきた。

紋子が教室以外で、もっとも多く過ごす場所だ。陽の当たらない、角の閲覧机。ここに来ればフリルと会えるかもしれない。

予想は当たった。フリルはひとりで席に着き、古い皮の本のページを開いていた。

読書の邪魔をしないよう、紋子は離れた書架のそばで足を止めた。が、フリルが顔を上げてこちらを見た。

「あきこ。久しぶり」

 うん、と、紋子はうわずった声を上げる。

「あ、あのさ、今日、よかったら一緒に帰ろうよ」

「うーん。無理かな。これから彼氏と帰るから」

 フリルは読みかけの本を閉じた。

 栞代わりに、薄紫色の上品な封筒がはさまっている。彼氏からのラブレターらしい。

本と通学鞄を手に持つと、フリルは椅子を立った。紋子より頭半分ほど低いフリルの身長。そのメレンゲみたいにもろい身体を抱き寄せれば、紋子のあごがフリルの脳天にぎゅっと収まりそうだ。

「……彼女はどうしたの?」

「? それって、いつの彼女のこと? まあいいけど。別れたよ」

 あれから紋子は人伝いに、日頃のフリルのことを知った。フリルは美しく優しいので、たいそうモテた。「フリル様」なんて呼ばれているのだ。

 毎日のように、誰かに『交際』を申し込まれた。相手は女の子が多かったけれど、男の子もいた。

 純粋な好意を向けられて、フリルは真摯に対応した。決まった相手がいなければ告白は絶対に断らないらしい。フリルはなぜか、誰とも三日以上は続かないため、別れたタイミングをねらって、次の子がアタックする。そのようにして、入学以来フリルの恋人が途切れることはなかった。

「フリルくん、わたしのはなしも聞いてよっ!」

 紋子は周りに対抗心を燃やして、独自に『フリルくん』と呼ぶことにした。

「なに」

「わたしとつきあって」

「あきこ」

 フリルの唇が語尾の「こ」で立ち止まる。そのままぽうっとして小さな薄い唇を開き続ける。花びらが舞っていたらもぐりこみそう。花びらになってもぐりこみたい。

「ねえ、誰彼かまわずに、付き合うのはやめて。わたしと付き合った方が、ぜったいぜったいたのしいよ。そう、もう、ぜったいだよ。一緒にミニシアターで映画みて、美術館行って、コンサートホールいって、古書店めぐりして、演劇も見て、何時間でも語り合いたいの」

 あき……、と再びフリルが喋ろうとするのを遮って、紋子は大声を張った。

「わたし、フリルくんが、好き」

 かたり、と椅子の鳴る音がする。

 ここから書架を四列分ほど隔ててカウンターにすわって仕事をしている、司書の先生が動いた音だ。

 急に意気がしぼんで、紋子は下を向く。

「……ごめん、外で話そう」

 それから、黙ってふたりで図書室を出た。


 昇降口でいったん別れて(学年が違うので離れている)、再び、校舎を出たところで、ふたりは顔を合わせた。

「あ、あの、さ、手紙の人はいいの?」

「え? ああ……」

 フリルは図書室からかり出している本を持ち直して、中のラブレターを指で摘まんだ。

「うん。もうつきあってる人、いるから」

「えっ」

 それってどう控えめに受けとめても、わたし、明石紋子のことですか? そうですよね!

ここに階段があれば、いますぐ転がり落ちたい気分だった。階段がなくて本当に良かった。

「さっきね、わたしに、とってもすてきな告白してくれた人がいた。わたしの大好きな図書室で。映画の中の、カトリーヌ・ドヌーブになった気分だったの。雨が降っていたら、もっと良かったけど」

 思わずまぶたの裏が熱くなる。

 今までぼくと言っていた、フリルが、初めて、わたしと言った。……わたし?

 それに気づいて照れたのか、彼は、ごまかすようにまばたきを多くした。

 彼……?

 フリルは続けた。

「あきこ。わたしは女だけど、それでもよければ、つきあって」

「……はっ…」

 息が出来ない!

 フリルがかっこよすぎて、後ろ向きに倒れて気絶しそうだった。

 普通なら物語はここで終わる。

 意中の相手が男ではなく同性だった。

 これからはお友達で……となる。なんとなく、そうなる。

「フリルくん、いや、フリル、ちゃん? あ、あの、あの」

「どこか寄り道して帰ろうよ、あきこ。駅の向こうの喫茶店にしない? 紅茶がおいしいんだって」

 フリルはにこにこしている。しかも放課後デートなんぞに誘ってくる。夢か? 夢でも見てる?

でもちょっとまって。この学校では、呪いのように三日以内で恋人たちが別れている――じゃあわたしたちも?

 不安を断ち切るように紋子は叫ぶ。

「だいじょうぶ! ふたりとも女だし!」

「なにが?」

 こうして、勢い余って愛を告白した紋子と、告白されたフリルは、勢いにのって付き合うことになった。

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