第15話 ご褒美が欲しくて
足元まで映す、美容室の大きな鏡の中にいる自分は、頭だけが未完成で妖怪のようだった。
瀬奈はドロドロとした白っぽい染め粉を髪に塗し、サランラップを巻かれていた。
一体どんな顔をして、それを見つめればいいのか分からない。
地毛のまま、しばらく伸ばし続けていたので、美容院に行くのは何年かぶりだった。
隣の椅子では、同じ年頃の女性客が、自分の小さな変身に喜んでいる。
そんな彼女を眺める美容師も同じように微笑んでいた。
瀬奈の担当の美容師は、ひっきりなしに話しかけてきた。
瀬奈は透明の壁を作るようにリアクションをとるのを辞めた。
少々うるさいとは思っていたが彼が原因ではなかった。
いくらこの髪が綺麗になったとしても、その下に君臨する下膨れの顔だけは変わらない。
腐った土台に花を生けているような、虚しい努力に思えてきて、どうしても不機嫌になってしまうのだ。
瀬奈は胸の下まで伸びた黒い髪を、バッサリと切った。
髪色も明るくした。
学生だった頃の写真を見つけ、少しでも近づこうとしたのだ。
チョコレート色のボブヘア。
当時は眉毛の上に軽い前髪もあった。
鏡の中の自分と、地獄のにらめっこを耐え抜いた。
今そこに映っている自分は、想像以上だった。
髪型でこんなに印象が変わるのか。
瀬奈は若返った自分に驚いた。
昔と違うのは、前髪を重たく、まつげのギリギリ上まで垂らし、耳の前には頬を隠すように触角を作ったところだ。
美容師は、もっと大人らしい雰囲気にしたそうだったが、瀬奈はなるべく顔の面積を少なくしたかった。
耳まで赤くなるほど恥ずかしかったが、ツイッターで見つけた十代のアイドルの画像を見せて頼んだ。
「こんな風にしてください」
「…は、はい」
美容師の、噴き出すのを堪えたような一瞬の間は、瀬奈を惨めな気持ちにさせたが、結果は満足だった。
最大限に自分の顔を隠してみると、瀬奈は気が楽になれた。
この大きな変化に、亮太はどんな反応を示してくれるだろう。
わくわくした。
亮太は終電で帰ってきた。
玄関のドアが開く音がすると、瀬奈は走って迎えにいった。
しかし疲れた顔の亮太は、瀬奈には目もくれずに、肩にかけたギターケースを下ろした。
「ねえ、変かな」
待っているのが息苦しくなり、瀬奈は自ら聞いた。
「あ、変わったね」
亮太は、それが良いのか悪いのか判別出来ないくらい、何事もない顔をした。
「そう。嫌じゃないこれ?」
「うん」
「職場の若い子に勧められてさ、思い切ってやってみたんだけど……てゆーか、りょうちゃん的には黒髪ロングとボブ、どっちが好き?」
「うーん。どっちでもいいかな」
瀬奈にとって、一番つまらない言葉だった。
頑張った自分を褒めて欲しかった。
ただ一言「可愛い」と、亮太に言ってもらえたら、何よりも嬉しいのに。
期待した自分が急にばかばかしく思えてきて、わざと音を立ててソファーに座った。
「どんな髪型したって、瀬奈は瀬奈でしょ?」
亮太は冷蔵庫から缶チューハイを取り出すと、ゴクゴクと音を立てながら胃に流し込んだ。
白い首の真ん中で上下に動く喉仏を、瀬奈はものたりない気持ちで見つめた。
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