19 さあ、どっちでしょうか?


 抱えていた問題もクリアされ、もうこの場所で悩む必要も無くなった。


「ふぅ……なんだか喉が渇いてしまいました」

「お、俺も……」


 あんな笑顔を向けられてしまっては緊張で喉が渇いてしまった。平常心を取り戻す為に、一刻も早く喉を潤したい。


「では、一緒に飲み物を取りに行きましょう」

「そうだな」


 ウッドデッキから室内に戻り、その足でドリンクコーナーに向かう。


「あら、ぶどうジュースなんてあったのね」


 ドリンクコーナーが近付くと、ふと椿がそう言って小走りでそれの場所に向かう。


「これにしようっと」

「あ、椿お嬢様……! それは――」


 椿がぶどうジュースらしき飲み物が注がれたグラスを手に取ると、ドリンクを用意している使用人の女性が慌てたように椿に声を掛けた。


「ぶふぇえええっ……! な、何よこれ……?!」


 が、その声掛けも間に合わず、既に椿はその飲み物を飲んでいた。

 椿は目に涙を浮かべて、手に持つグラスを睨む。


「ま、まさか……」


 お酒なのではないか? というか、見た目的に多分ワインだ。うちで母さんが偶に飲んでるワインと同じ色をしてるし。


 よく見れば、ぶどうジュースと思われたその飲み物は、普通の飲み物とお酒の区切りの丁度真ん中ら辺に用意されている。いや、気持ち少しお酒側寄りだ。


 とりあえず椿からそのグラスを受け取り、中身の匂いを嗅ぐ。


「うん、これは絶対酒だ。ワインですよね?」


 その中身から漂うアルコールの匂いに、そう確信した俺は使用人の女性に確認する。


「はい……あの、椿お嬢様……体調にお変わりありませんか?」

「別に何も」

「ホッ……よかった」


 やはりワインだったようで、使用人の女性が椿の体調を気に掛ける。

 でも、とりあえず椿の体調に問題は無さそうで、使用人の女性は安堵の表情を浮かべる。


「これ、どうしますか? まだ中身入ってますけど」

「――そこのキミ、それならこの僕に任せてくれ」

「はい?」


 使用人の女性に飲み掛けのグラスを渡そうとしたその時、招待客の富豪の男の一人が話しかけてきた。


「そのワインの処理に困っているのだろう? だったら、残りは僕が飲むよ」


 何言ってんだこいつ……意味わかんねえし。任せるわけねえだろ、バカか?


 と、富豪男を無視して使用人の女性にグラスを渡そうとすると、背後にいた何者かにそれを奪われてしまった。

 焦って後ろを振り向くと、その犯人は南条椿。


「ぷはぁーっ! ぜぇ……はぁ……おえっ……」


 椿は飲み掛けのワインを口に含んで喉を鳴らし、苦い顔を浮かべる。


「な、何やってんの……?」


 その様子に、流石に戸惑いを隠せない。


「全てはパーフェクトガードの為……大丈夫です、残りあと少しですから……!」

「そうじゃないだろ……お前、まだ未成年。つまり飲んじゃ駄目。わかってんのか?!」


 残りを飲み切ろうとする椿のグラスを持つ手を掴んで止める。


「中身捨ててグラス洗えばいいだけだろうが」

「………………あ、確かに」


 間の抜けた声を漏らした椿の顔が、急激に青ざめていく。


「もっと早くその手を教えなさいよ……結構飲んじゃったじゃない……!」


 えぇ……何故か怒られた……俺、使用人の方に渡そうとしてたよね?

 そもそも普通に考えてわかることだろ。そのくらい自分で気づいてくれ。流石、バカは伊達じゃねえな。


「椿お嬢様、あまり無理はなさらずに。その残りは僕が――」

「これ、中身捨てて洗っておいて」

「承知致しました」


 富豪の男が声を掛けるが、椿はそれを無視して使用人の女性にグラスを渡して指示を出す。


 それを見て、富豪の男は気持ち肩を落としながらこの場を離れてくれた。


「どうしよう……椿、いけないことしちゃいました……」

「事故みたいなもんだし問題ないっしょ」

「事故と言えば、今日隼人くんの手が椿の胸に当たりましたよね」

「やっぱ怒ってるんじゃん……! ごめんなさいごめんなさい……本当にごめんなさい!」


 何でいきなりその話が出てくるのか。それはやはり気にしているからに他ならない。


「だから怒ってませんって」


 そう言って椿は微笑すると、口元を耳に近付けてきて――、


「事故ならパンツ見てもいいって言ったでしょ? それと同じよ」

「――っ?!」

 

 そんなことをささやいてきた。これには思わずドキッとしてしまう。


 確かにそんなことを言われた記憶もあるが、それと今回の件がどう関係しているのだろうか。


「急に何言ってんの……?」

「だからぁ、友達っていうだけでは故意に胸を触ってくるのは流石にダメだけど、事故ならいいよっ?」

「――っ?!」


 それも事故ならいいのかい……! ……って、そんなわけないだろうが……見るのと触れるのではレベルが違う……はず……。


 どうしてこうもいきなりそっち系の発言をしてくるのか……事故でパンツ見ちゃった事件と結びつけるには難しい気もする。


 というか、もしや……、

 

「……まさか酔っ払ってる?」


 これ以外に無くないか?

 椿の口からこのような発言が出るのは明らかに変だ。

 パーフェクトガードとやらを身に纏うのだから、想い人以外の男にこんな発言するわけがない。だが現実には発言している。

 今さっき飲んだワインで酔いが回ってる以外に考えられない。


「んふっ。さあ、どっちでしょうか?」

「――んなっ?!」


 顔がほんのりと赤くなった椿が腕に抱きついてきた。

 その上、少し潤んだ蒼い瞳が俺を見つめてくる。


 まるで時が止まったかのように、俺はその瞳に吸い込まれるが如く魅入り、でも心臓の鼓動は高鳴り続け――、


「あらあら椿、人目も気にせず殿方の腕に抱きつくなんてラブラブじゃない。もしかして、楓が言ってたように本当にその方と?」


 こうして誰かに無理やり時を動かしてもらう以外には、この蒼い瞳から目を逸らせなかった。


 声のした方に目を向けると、そこにいたのは艶やかな黒髪をした女性。どことなく椿に似た雰囲気だ。


「ま、まさかこのお方は……」

「お母様です」

「やはりか……!」


 一番上の姉という線も考えられたが、それにしては若過ぎるということもなく、だが歳がいっているような外見でもない。


南条華なんじょう はなと申します。いつも椿をありがとうございますね、風見隼人さん」

「い、いえ……! こ、こちらこそ娘さんには常日頃から大変よくしていただいてまして……!」


 好きな子の母親を前にすると、先ほどの父親の時と同じようにやはり緊張してしまう。

 変な奴だとおもわれないように、最低限の礼儀だけは意識しなくては……!


「ちょっと隼人くん……どうしてドキドキしてるのよ……」

「はあ?! って、いつの間に……?!」


 椿は腕に抱きつくどころか、俺そのものに抱きつきながら左胸辺りに耳を押し当てている。

 好きな子にこんなことをされてしまったら、更にドキドキしてしまうのが自然の摂理。


 というかこれ、気付かれてしまうのではないか……?!


「あらあら、椿ったら大胆ねぇ」

「彼女は間違ってワインを飲んでしまって酔っ払ってるだけでして……!」

「また速くなった……なんでお母様に……」

「違う……これは完全に不可抗力……!」


 好意を悟られるのではないかと思っていたがどうやら違ってたようで、むしろ変な誤解をされている。

 それを否定した上で、少しだけ攻めてみたのだが、効果は果たして――。


「そんなにお母様が魅力的?! もう今年で五十歳になるおばさんよ?!」

「なぬ?! この美貌でまだその歳だと?!」


 効果は無かったようで、未だ誤解されたまま。


 それはさておき……椿談では、兄弟で一番歳上の桜お姉様は三十路近いと言っていたから、お母様は五十過ぎだと予想していた。その予想は外れていて、まだギリギリ四十代のようだが、結局美魔女だ。


「いえ、まだ今年で四十八歳ですが」

「それでも凄い!」

「むぅ……隼人くんのバカァ!」

「へ……?」


 椿は俺に抱きつくのをやめ、頬を膨らませて睨んでくる。どうやら気を悪くさせてしまったようだ。何とかせねば……。


「いや、だから違うから……椿のお母さんを前にして緊張してるだけで……」

「なんで緊張するのよぉ……やっぱお母様に見惚れてドキドキしてるんじゃんかぁ……」

「んなわけ……」


 流石の俺も、自分より三十歳も離れた女性にときめいたりしない。しかも人妻だし、それは駄目だ。そんなの高校生の俺でも理解している。


 というか、椿が好きなのに他の女性にときめくはずもなく。どう伝えれば理解してもらえるのだろうか……。


「あらあら椿、母親に嫉妬してるのかしら?」

「ふんっ」


 椿は母親に敵意剥き出しで顔を背けた。

 え、マジで嫉妬なの……? いや、そうとも限らないが、あくまでその可能性もあると踏まえて期待しておこう。


「……でぇ、結局なんでドキドキしてたのよぉ……?」


 先程よりも顔の赤みが増した椿が、潤んだ瞳を向けてくる。


「そんなの、椿に抱きつかれたからに決まってますよね? 風見隼人さん」

「――え?! いや、それはその……」


 もうこうなったら正直に言うのが誤解を解消するには早い。しかしそれでは少し攻め過ぎな気もする。

 本音では、上手い具合に察してほしいのだが……。


「そうなのぉ?!」

「だから、それは……そうだよ……! つーか、それ以外あり得ないっしょ……!」


 察する気配のない椿には、もはやこうするしか手はない。

 友達だろうが、めちゃくちゃ可愛い椿が相手だと抱きつかれたらどんな男でもドキドキしちゃうって気付いてくれ……! 


「んふっ、じゃあもっと抱きついちゃおーっとぉ!」

「――は?! 何故そうなる……?!」


 人目もあり、しかも椿の母親の目の前という手前これ以上は駄目だと、飛びついてくる椿を躱す。


「あぁ……ごめんねぇ……過激なスキンシップはしない約束だったのにぃ……。何かぁ、今日は制御が効かなくてぇ!」

「あ、うん、酔っ払ってるってわかってるから」

「そんな感覚は無いけどぉ!」


 先程よりも顔の赤みが増しており、なんか喋り方もいつもよりだらしないし、完全に酔いが回ってるように見えるのだが、本人曰く違うらしい。


 俺は飲酒したこととか当然無いから、真相は本人にしかわからず。でも絶対酔っ払ってると思うのだが……。


「あ、そういえば隼人くん言ってましたよねぇ。椿に過激なスキンシップをされると息子が反応するってぇ!」

「――はい?!」


 いや、確かに言ってしまったけど、だからどうして今その話題が出てくるんだ……!

 その理由は簡単で、椿が酔っ払っているからだとしか考えられない。


「息子さん、成長しましたぁ?!」

「――はあっ?!」

「だからぁ、楓お姉様に聞いたから知ってるんですよぉ?! もっとはっきりと聞いちゃうとぉ――」


 椿が耳元でささやく、とんでも発言。まさか、南条椿の口からそのような言葉を聞くことになろうとは思いもよらなかった、下ネタ。


「……あのさ、今の椿……発言がまるで楓先輩なんだけど」

「バ楓みたいでしたぁ?」

「おう、マジ卑猥だったわ……」

「もぉ、そこは卑猥じゃなくてぇ、変態って言ってくださいよぉ」

「……やっぱ酔っ払ってるじゃねえか」

「えへへぇ!」


 だらしない表情で笑う椿。しかも、ちょっと酒臭いし……。

 アルコールは強力だ。耐性がないとその効果は絶大。それを思い知らされたこの光景。


 この女には、例え成人しても酒はあんまり飲ませない方がいいのかもしれないな。


「ほら、椿。桜達も来たから、そろそろ時間よ」

「あぁ! はーい!」

「それでは風見隼人さん、またゆっくりお話をしましょうね」

「はい……!」


 俺の返事を聞くと、南条華さんは椿を連れてステージの方へ。


 どうやら写真撮影らしく、南条家の人達が楓先輩を中心にして位置を取る。


 俺は海櫻のテーブルに戻ってその様子を眺めていたが、中心の楓先輩が椿に抱きつかれて、最初こそ喜んでいたが段々と苦笑いに変わっていたのには変な笑いが溢れてしまった。

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