18 オールクリア
直面している問題について色々と考えたい。
けれども、楓先輩の誕生日パーティーを楽しんでおられる方々がいる場所では、どうしてもそれは難しい。
だから俺はウッドデッキに出て、一人になれる時間を作った。
室内は少し騒がしいくらいなのに、外に出ると夜の静けさが感じられ、心が落ち着いてくる。
「星が綺麗だな――」
「本当に。あ、あれは夏の大三角形ですね! 琴座のベガに、鷲座のアルタイル、それから白鳥座のデネブ。みんな綺麗な光です」
「へえ、詳しいんだな」
「はい、よく一人で部屋から星を眺めてるので。あ、ベガとアルタイルと言えば――今年の七夕、織姫と彦星はちゃんと逢えましたかね?」
「さあ? ま、快晴だったし多分逢えただろ――って、ん……?」
俺は今、誰と会話をしている? そんなの、声からして誰なのかは明らかだが……それを確かめるように真横に目を向けると、
「――つ、椿……?!」
俺が恋焦がれる女の子がそこにいた。
「どうしました? ちょっと顔が赤いですよ。間違えてお酒でも飲んじゃいました?」
「え、ちがっ……飲んでないよ?! だからその……さっきは色々とごめん」
「ん? 何か謝られるようなことされましたっけ?」
椿は先の件の時に下を向いていた。あれはほぼ間違いなく怒っていた。普段だったらその場でブチギレるが、今日は人目もあるからそういうわけにはいかずに耐えていたのだろう。
そう思っていたのだが、それは違うのか、椿はきょとんとした顔で首を傾げた。
「えっと……楓先輩が言ってた既成事実どうこうのくだりで迷惑を掛けたんじゃないかと思って……」
「それは、楓お姉様の発言でしょう? 隼人くんは何も言ってなかったではありませんか。だから、椿は何も怒ってませんよ」
「そ、そっか……」
どうやら本当に椿は怒っていないらしい。
ひとまずそれには安堵し、これで問題も一つクリアだ。
「ちなみに楓お姉様にも怒ってませーん!」
「珍しいな」
「あ、やっぱちょっとだけ怒ってるかも」
「どっちだよ?!」
「よく考えたら、楓お姉様の発言は隼人くんを困らせるものだったのではないかと思いまして」
「マジ焦ったわ……絶対椿のお父さんから悪い意味でマークされたし……」
これが最大の問題である。
いくら椿が怒ってなかったとはいえ、その父親の逆鱗に触れてしまっているのだから、状況は普通に最悪である。
今後椿とお付き合いできたとしても、この問題をクリアできなければその先には至れない。
だって、今のままでは、娘さんを僕にください! なんて言っても、NGを突きつけられるに決まってるし。
「いえ、それは無いと思いますが……お母様曰く、お父様は椿や楓お姉様がそういった経験をしていてもおかしくない年頃だと気付いてしまってショックを受けてしまったようです」
「なるほど、確かに父親ってそこら辺の心境複雑そうだわ……」
だからこそ、俺への怒りも尋常ではないはずだ。
いや、実際にはそのような行為はしていないんだけどね……。
だから、それを理解していただく必要があるのだが、その説明をしに行くのが怖い。
そんな話切り出すって……しかも好きな子の父親にって、ハードル高過ぎるわ。
それ以前に、椿の父親という社会的地位が桁外れに高いお方に、俺のような一般庶民が話しかけていいのかすらわからない。
「そのくせお見合い話を持ってくるんですから、お父様が考えてることは意味がわかりませんよ。矛盾してます」
「お、お見合い……」
初知りの事実だが、名家のご令嬢ならそういったこともあるかもと思える。
そしてお見合いの場を用意しているのはやはり父親。自分の手で判断したまともな男を娘とくっ付けたいのだろう。
仮に今抱えている問題を解決したとしても、どの道椿の父親の攻略難易度は非常に高そうだ。
「――っ?! い、言っておきますが、そういった話は全てお断りしてますので、椿は実際にお見合いをしたことはありませんからね……?!」
「へ、へぇ……そうなんだ……!」
何を焦ったのか、椿が顔を真っ赤にして必死な様子でお見合い経験の有無を伝えてくる。
それを聞いた俺は、正直凄くほっとした。
だって、好きな子がお見合いしてるとか、やっぱ気持ち嫌だし。
「むふふっ、なんかちょっと安心してません?」
「――え?!」
どうしてバレたんだと、俺の胸がドクンッと鳴った。
ポーカーフェイス失敗してた……?
「ねえねえ、どうなのどうなの?!」
答えを迫ってくる椿を見ていると、次第に心臓の鼓動が加速していく。
さあ、どうする……誤魔化すか、それとも少し攻めてみるか。
この恋は絶対に失敗は許されない。振られれば終わりで、三度目は無い。
だから日頃から慎重になり、好意を悟られないように振る舞ってきた。
いつまでそうやって過ごせばいいのか。
これまで積み上げてきた関係が崩れるのが怖い。それが一番の懸念点で、振られても崩れずに三度目のチャンスがもらえるのなら今すぐにでも伝えたいこの気持ち。
が、三度目なんかあるわけがなく、気まずくなって疎遠になるのは考えずともわかる。
だったらどうすればいい……椿には想い人がいる中で、俺という存在を少しでも意識してもらう為に――ここは、攻めてみるしかない!
好きだと言葉で伝えずとも、もしかしたらこの男は自分に好意を抱いているかも、と思ってもらうのは効果的なはず。
そうなれば、もしかしたら頭の片隅くらいには俺という存在を置いてもらえるのではないか。
そして、いつの日か俺がその想い人よりも大きな存在になれれば――。
椿は日頃から近くにいる瀬波の好意に気付かない鈍感女だ。もしかしたら気付いているのかもだが、その様子は見て取れない。
だから、ここで攻めても鈍感な椿には伝わらないかもしれない。それでも――、
「……し、したけど」
「――っ!! ちゃんと大きい声で言って! どうしたの?! ねえねえ!」
「だ、だから……お見合いしたことないみたいで安心したよ!」
攻めるのを覚えなければ、俺は一生椿の想い人には勝てない。
どうだ……少しくらいは伝わったか……?
「うひっ、うひひひっ! くうううぅ!」
攻めてみた結果、椿はキモい笑い方をしながら左足をドタドタし始めた。
な、なんだこいつ……全然伝わってないってのはとりあえずわかったけど、いくらなんでもこの反応は予想外だ。
だがしかし、これで俺は攻めるという技を習得した。
押してダメなら引いてみろ、ならぬ、引いてダメなら押してみろ、だ。
いや、実際にはこれまでも引いてたわけではないが……とにかく、これからはバランスを意識してアピールしていけそうだな。
「何をしている椿、客人の前ではしたない。礼儀作法をわきまえなさい」
背後から男性の声が聞こえた。振り返ってみると、そこにいたのは椿の父親だった。
いきなり目の前に現れたクリアしなければならない問題に、今度は別の意味で緊張が走る。
「……お父様……何の用ですか?」
「その前に、わかったのか?」
「何がです?」
「客人に対する礼儀作法をわきまえろと言っているのだ」
椿とその父親、二人の鋭い視線が交錯する。
今にも親子喧嘩が始まりそうな雰囲気だ。
「あの、俺は特に気にしてませんので……!」
とりあえずそうなるのは防いだほうがいいと判断し、俺は無理やり笑みを作りながら椿の父親にそう言った。
が、椿の父親は一瞬俺に目を向けただけですぐに視線を椿に向けてしまう。
やっぱさっきの件でめっちゃ怒ってる……。
「隼人くんもこう言ってくれてますし、だから彼の前では素の私でいいんです。ご理解いただけましたか?」
「はぁ……」
椿の言葉に、椿の父親は額を押さえてため息を吐く。
「大体、楓お姉様は年がら年中はしたないではありませんか。なのに楓お姉様には何も言わずに、椿にだけうるさく言ってくる意味がわかりませんね」
そして追撃の如く、椿は自身に対する父親の行動に不満をぶつけた。
「いや、楓にもうるさく言ってきたのだが……とうとう椿にも来たか、反抗期が。嬉しいような悲しいような……」
ですよね。楓先輩にだけ何も言ってこなかったわけがないですよね。さっきだってちゃんと説教してましたもんね。
でも、効果無しなんですよね?
つまり、楓先輩は現在反抗期で、そこに椿も加わると。
親って大変だなぁ……父さん母さん、中学の頃散々反抗してごめんね。
「聞くが椿、隣の彼とはどういう関係だ?」
「………………椿の友人ですが?」
父親からの問いに、椿がそう答える。
喜ばしい答えだが、同時に少し寂しくもある。
「そうか! 友人か、それはよかった。風見隼人くん、今後とも椿を宜しくお願いしてもいいかな?」
「はい、もちろんです!」
よくわからないが、急に椿の父親が上機嫌になった。
加えて、俺への警戒も無くなったのか、嬉しいお言葉もいただけた。当然、俺はそれに良い返事を返す。
とりあえずこれでさっきの一件は水に流してもらえたと思っていいだろうか。
「いやぁ、本当によかった! もし二人が恋仲なら、ひとまずは椿にお見合い話を持ってくるのは中断しようと思ってたのだが、そうじゃないなら今後も大丈夫そうだな」
いや、ちょっと待て……嬉しいお言葉だったのに、それが無に返りそうなんだが……。
「あの、お父様……? それならもう一生持ってきてくれなくて結構――」
「実は今日は椿に紹介したい人がいてな。その人とお見合いしてみないか?」
と、椿の父親は一度振り返り、窓の方に向かって合図する。
そうしてウッドデッキに出てくる一人の青年。
まさか、この展開は……。
「え、何この初パターンは……マジあり得ないんだけど……」
椿が明らかに不愉快そうな表情を浮かべ、ボソッと呟く。
やがて青年は椿の父親の横に立ち、椿に対して爽やかな笑みを浮かべる。
「紹介しよう。彼は――」
「ごめんなさい……お断りします……!」
話をとんとん拍子に進められるのを恐れたのか、その前に椿が口を挟む。というか、拒否だ。
椿にその気がなくて俺としては一安心だが、果たしてそう上手くことが運んでくれるだろうか。
「いつもは話を持ってくるだけで対面なんてしたことなかったのに……これでは断りにくいではありませんか……! それともそれが狙いですか……?!」
「どうしてそうも毎度頑なに拒む? 一度でいいから彼と――」
「椿には心に決めた想い人がいるんです……!」
「――んなっ?!」
やはり父親というものは娘の口からそのような言葉が出ると思うところがあるのだろうか。それとも、娘には想い人がいるのに他の男とのお見合いの場を用意しようとしている自分の行動の無意味さを悟ったのか。
理由は定かではないが、椿の父親が驚いている。
「一度だけだからいいとかあり得ません。一度だろうがそんなのは想い人に対する裏切りです。だから、椿は浮気なんて絶対しません」
「つ、椿……お前、恋人がいるのか?!」
「いませんけど」
「なら問題ないではないか」
との父親の発言を聞き、椿の表情が切り替わった。
そう、あれである……これまで椿が父親に対してもそういった態度を取ってきたのかは不明だが、でもこうしてブチギレモードに入ったであろう表情をしているからには、もう誰にも止められない。
「ちっ……しつけえな、クソ親父が……」
「……なんだと?」
椿の発言を聞き、今度は椿の父親の表情が一変。目を疑うような表情で椿を見ている。
「お見合いはしないっつってんだろうが……!」
「……楓にだけでなく、とうとう私にも……わかっているのか、今は人前だぞ?」
「あ? わかってるに決まってんだろ」
「わかってないから、彼らの前でそのような口の使い方をしてるのだろう?」
「はあ? その方はともかく、隼人くんは知ってるし。言っとくけど……隼人くんは短気で怒ると怖い女の子が大好きなんだからな……!」
「えぇ?! いや、確かにそう答えてしまった覚えもあるけど……」
なんだか巻き添え事故をくらった気分だ。これではまるで、俺が椿に、人前でブチ切れても問題ないよ、とでも教え込んだみたいに思われてしまうかもしれないではないか……。
「椿、まさかお前――」
「あ? まだ何かごちゃごちゃ言ってくるんだったら、こっちも手段選ばねえからな? クソ親父が浮気を勧めてくるってお母様に相談してやる」
「それだけはやめてくれ……! 要らぬ誤解を招くかもしれぬだろう?! わかった……わかったから……!」
確かに、母親にそんな相談をされたら椿の父親としては色々と修羅場になるかもしれない。それを避ける為にか、椿の父親は必死な様子だ。
「……すまないキミ、お見合いの話は無かったことにしてくれ」
「あははっ……了解いたしました……」
結局、これがこの場における最善なのだ。それを理解したのか、椿の父親は連れてきたお見合い候補者にそう告げて下がらせる。
「これでいいのだろう?」
「あ? まだ足りねえよ。金輪際、お見合い話を持ってくるんじゃねえぞ」
「はぁ……まったく……昔の自分を見ているようだ」
椿の父親はため息を吐き、どこか懐かしむような表情で夜空を見つめた。
椿の父親ということは、南条グループの総帥であるあの爺さんの息子なはず。恐らく、自身も過去にお見合いの場を用意されたりして、それに反抗していたのだろう。
「……わかった、もう椿には二度とお見合い話は持ってこない」
「わかってくれたならそれでいいのです。あ、それからまだ先の話になりますが、椿の結婚相手にも口を出さないでくださいね」
「いや、それは出す。ちゃんとしたまともな男が相手でなければ嫁には出さん」
椿の父親はそう答えると、俺に目を向けてくる。
「わかったかな?」
じっと見つめられ、胸の内に緊張が走る中、椿の父親にそう問い掛けられる。その問いに、更に緊張が加速し、様々な思いが体内を駆け巡る。
そうして出た結論。
「はいっ、心得ました!」
俺が椿にふさわしい良い男になりさえすれば、椿を嫁に出してやると、きっと椿の父親はそう言ってくれているのだ。
だから俺は、約束しますとの意味を込めて全力でお辞儀をし、次の言葉を待つ。
「ならばいいのだ。それでは引き続き、楓の誕生日パーティーを楽しんでくれたまえ、風見隼人くん――」
そうして返ってきた反応――それは柔らかく優しい声音。
直面していた問題が、目の前から消えていく。
オールクリア。
あとは、椿に振り向いてもらうだけだ――。
「ねえねえ隼人くん、何を心得たのですか?」
「――え?! ま、まだ内緒だけど……?!」
椿の想い人が俺ではない今、それを言えるわけがない。
慎重に、でも積極的に、関係を進展させる方法を考えなくては。
「ふふっ、ではその時を今から楽しみにお待ちしておりますねっ」
そう言って、椿が優しく微笑む。
やはりこの子といると、ドキドキさせられっぱなしだ。
好きだ――いつの日かそう伝えられるように、俺がキミの中のオンリーワンになってみせる。
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