義理チョコとディープキス

くれは

一樹:義理チョコ

 毎朝、親にバス停まで車で送ってもらっている。そこからバスで一時間弱。帰りのバスが早いので、部活動だってロクにできない。そのバスは、高校がある街の大型スーパーが出資することでかろうじて走っているバスで、病院に行くお年寄りばかりが乗っている。

 家に帰っても、周囲には山しかない。山の中には、打ち捨てられた田んぼの名残しかない。

 こんな田舎なので、人はどんどんいなくなる。隣の、新幹線が通っている市にみんな行ってしまった。

 うちの親はなんで、こんな田舎に住んでいるのかと思ったりもするし、いつか出て行ってやるとは思っているけど、今はまだどうにもならない。


 金曜日、帰りのバスの時間ぎりぎりに、由花子が乗り込んできた。そして俺の姿を見付けると、近寄ってくる。

 由花子は、幼馴染だ。同級生の。隣の、隣の家の。俺の家は山の急勾配の坂を登ったところにあって、隣の家まで歩いて五分かかる。由花子の家まではさらに五分。

 それでもご近所ではある。徒歩圏内に同い年の子がいたから、小さい頃からよく遊んでいたのは確かで、流石に今はもう小学生の頃みたいにころころとは遊んでないけれど、それでも毎日、同じバスで雑談をしたりちょっとした秘密を共有する程度には仲が良い。仲が良いと、俺は思っている。


「良かった、間に合った」


 由花子が手にしている買い物袋をちらっと見て、俺はああ、と今日の日付を思い出す。

 二月十二日、金曜日。今年はバレンタインデーが日曜日だから、クラスの女子は今日、友チョコというものを配り合っていた。


「チョコレート、今日もう配り終えたのかと思ってた」

「学校の友達はね。今日買ったのは、家族の分と、あ、一樹かずきの分も買ったよ」


 マスクでくぐもった声に俺の名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。けれど、それを表情に出したくなくて、興味なさそうにふうんと返事をする。


「毎年毎年、義理チョコをありがとう」

「まあ、家族だからね、一樹は」


 由花子は屈託なく笑って、俺はマスクの下で唇を噛む。こういう時は、マスクが当たり前の世の中になって良かった、なんて思う。

 そのすぐ後に、病院帰りにスーパーで買い物していたお年寄りが乗り込んできて、バスのドアが閉まる。ぐらりと揺れて、走り出す。

 声を出してのお喋りが憚られる雰囲気で、俺と由花子は押し黙ってそれぞれにスマホの画面を眺めていた。


 正直、自分がいつから由花子のことをそういう目で見るようになったのか、覚えていない。小さい頃からずっと一緒に遊んでいて、それぞれに同性の友達だってできたけど、結局一緒にいる時間は由花子とが一番長い。

 だから、自然とそうなっていた、としか言いようがない。ずっと小さい頃から好きだったような気もするし、小学校の時に雨でずぶ濡れになって一緒に雨宿りしてた時だった気もするし、中学の制服姿を見た時だった気もするし、もっとずっと最近のような気もする。きっと、どれもそうなんだと思う。


──日曜日、山。


 メッセージアプリで、由花子からそんなテキストが届いた。ちらりと隣を見たけど、由花子はただスマホの画面を見ている。

 俺は手元に視線を戻して、タップして返事を送信する。


──ケンタ?

──バレンタインだから。

──チョコレートはヤバイだろ。

──わかってる。だから、人参を買った。


 人参。俺は手を止めて、それから小さく溜息をつく。

 どこか気の抜けたような由花子の報告に、俺はケンタの姿を思い浮かべる。人参というのは、あまりに安直なんじゃないだろうか。

 それでも、由花子が本気なのを知っている。だから俺は、それ以上何も言えなかった。


──そっか。頑張って。

──ありがとう。


 スマホ画面から顔を上げて、もう一度由花子を見る。今度は由花子も顔を上げて、俺の方を見た。そして、目が合うと目を細めて笑う。

 そんな、見慣れたマスク越しの笑顔ですら、俺の心臓は不意打ちをくらったように大きく跳ねる。




 ケンタは、山にいる。本当の名前は知らない。ケンタというのは、俺と由花子で勝手に勝手に呼んでいる名前だ。

 俺と由花子がまだ小さかった頃、山で遊んでいてケンタに出会った。ケンタは、人間の上半身と馬の下半身をしていて、つまりはケンタウロスというやつらしい。日本の田舎の山になんでケンタウロスがいるのかは知らない。でも、出会ってしまったのだ。

 子供の頃に出会ったケンタは、まるで人形のように綺麗だった。

 下半身の馬の体は、毛並みの良い栗毛色。上半身はそれに比べて色白で、ひょろりとしていた。金色の髪の毛は背中の中ほどまであって、白い顔を縁取っていた。大きな瞳は晴れた空のような青い色。

 俺と由花子は、その姿が信じられなくて、しばらくぼんやりとしていた。そうしたら、ケンタが近付いてきて、俺と由花子を興味深そうに眺めて、それから首を傾げて笑った。緩やかにウェーブがかった金の髪が、肩に揺れた。


 それから、俺と由花子は時々、山の中でケンタに出会うようになった。言葉は通じなかった。不思議な言葉を話す。英語でもないらしい。それでも、三人で森の中を歩き回ったり、木立の中で花の蜜を吸ったりして遊んでいた。

 見知らぬ生き物を怖がるには、俺と由花子は子供すぎたんだと思う。


 俺と由花子が成長するのと一緒に、ケンタも成長した。ひょろりとしていた上半身には、すらりとした筋肉がついてきた。まだ子供っぽい華奢さもあるけど、そのアンバランスさが却って、かっこよく見えた。

 顔立ちだって、青年らしい輪郭になって、でもその力強さの中に子供の頃の作り物めいた雰囲気がわずかに残っていた。柔らかそうな金髪と青い目は相変わらずで、物語から抜け出た王子様みたいだ。

 その造形の美しさは、俺という、これといって特徴のない普通の人間なんかと比べるまでもない。


 だから、由花子がケンタのことが好きだと言い出した時も、そんなに驚いたりはしなかった。悔しくはなったけど。

 由花子は、最初にケンタに会った時から、ずっとケンタのことが好きなんだと言う。

 言葉も通じないのに。人間ですらないのに。どうやってその想いを叶えるつもりなんだろうと思うけど、好きという気持ちにはそんな問いかけなんか意味がないというのは、俺も知っている。

 俺なんか、言葉も通じる人間を相手に、それも長年親しくしている由花子相手に、想いを告げられずにいる。俺のそれと、由花子のそれには、特に変わるところはないんだと思う。




 二月十四日の日曜日、バレンタインの日、俺は由花子に義理チョコをもらって、それから二人で山に行った。

 由花子がケンタにチョコ代わりの人参を渡すために。

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