『正義』という名の凶器

冷門 風之助 

PART1

探偵料ギャラについては弁護士の平賀君から既に聞いているかと思いますが、基本一日6万円及び必要経費。万が一拳銃などの武器が必要になった場合、つ

まりは割増し料金として一日4万円の危険手当をつけます。他に聞いておくことは?』

 『ありません』

 彼はそう言って黙って首を振る。

 俺は窓際に立ち、ブラインドを上げて外を見た。

 もうすっかり冬の寒さはどこかに行き、温かい日差しが俺の仕事場、即ち”乾宗十郎探偵事務所”にも入り込んできている。

 依頼人はソファに座り、眼鏡を持ち上げて、俺が渡した契約書をもう一度見直し、それから最後の頁の署名欄に、几帳面な字で丁寧にサインをした。

 俺は流しに行ってコーヒーを二杯淹れてくると、一つを彼の前に、もう一つを向かい合わせに置き、その前のソファに腰を降ろし、渡された契約書を眺め、

『結構』

 と呟いた。

『さて、それではまずお話を伺いましょう』

 コーヒーを一口啜ってから俺が声を掛けると、彼も同じようにカップに口をつけてから、少し俯き、小さな声で話し始めた。

 依頼人の名前は・・・・いや、仮にも有名人なんだからな。一応仮名にしておこう。

 青木好夫あおき・よしお34歳、独身。職業は作家である。

 作家と言ってもピンからキリまである。

 彼はその内のピンとキリの中間に位置する。

 元々書くことは好きな方だったから、中学、高校時代はマメに小説らしきものを書いては、クラスメイトと作った同人雑誌に発表したり、時には雑誌社への持ち込み、或いは新人賞のようなものにも盛んに応募していたが、一つとしてになった試しはなかった。

 やがて”自分はもうプロの作家になるのは無理なのかな”と思い、普通に大学に通い、そこを卒業した後、常駐警備専門の警備会社に入社し、警備員となった。

 何故警備会社だったのか?答えは至って簡単である。

”小説を書いていたかった”

 からである。

 常駐警備というのは、勤務時間は結構長いものの、人が帰ってしまった後は定時に巡回をするくらいで、後は警備室に籠りきりでも問題はない。その時間を小説の執筆に宛てることにした。

 夜、誰もいない中で、原稿用紙の上にペンを走らせていると、不思議とはかどった。

(彼はワープロは使わず、もっぱら原稿用紙と鉛筆を用いている)

 そうして書き上げたものを、仕事あけに自宅アパートに持って帰り、眠い目をこすりながらもう一度清書をして、出版社に持ち込むのである。


 勿論断られる割合の方が多いのは確かだったが、諦めずに続けていれば、いいことはあるものだ。

 20代後半になったある時、彼の原稿がある小説雑誌(主にライトノベル専門だった)の編集者の目に止り、

”今度ウチの新人賞に応募してみないか”

 といわれ、張り切って一本書き上げて応募した。

 流石に入賞とはいかなかったものの、佳作第一席となり、10万円の賞金が出た。

 それからも根気よく書き続け、やがて同じ社の漫画雑誌から”劇画の原作を手掛けてみないか”と言われ、それを引き受けたところ、運よく大ヒット。

 それからは小説、漫画原作ともに注文が来るようになり、そのことをきっかけにして会社を辞めて、本格的な作家の途を歩み出した。


 流石に出せばヒットという訳には行かなかったが、それでも順調に売れ、今ではもうすっかり誰憚はばかることなく、

”職業は作家です”といっても恥ずかしくないと、自分でも思えるようになった。

『ところが、です』

 彼はそこで言葉を切り、

”煙草を喫ってもいいか”と恐る恐る言う。

 俺は何も言わず、卓子テーブルの端に乗っていたガラスの灰皿を引き寄せ、彼の前に押しやった。

 青木は少しばかりほっとしたような表情を浮かべ、ジャケットの中からセブンスターを取り出して中から一本摘み、火を点けた。

『私は今、もうどこにも書けなくなっているんです』 

『書けなくなっている、とは?』

 俺はカップを卓子テーブルに置き、彼に訊ねた。

『言葉通りの意味ですよ。作品を発表する機会を失ったんです。いや、奪われたと言った方がいいかもしれません。』

 青木はため息を煙と共に吐き出し、うなだれた。


 

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