それも怠慢

 彼女が膀胱炎になった理由は、怠慢である。


 彼女の朝は六時に始まる。朝が苦手な彼女は、抵抗する体を奮い立たせ弁当を作る。

 七時前にはなかなか起きない三人の子供を叩き起こし、朝食を食べさせ支度をさせる。

 小学生の次男が家を出る頃、漸く旦那が起きてくる。朝食を食べない旦那は、自分の支度とゴミ集めしかしないのでのんびりなのである。

 中学生の長男に付き添われ、三男を幼稚園に送り届ける。一度ふらついているのを目撃されてから、付き添われるようになった。しかし、長男が心配しているのは、母より弟だった。長男は年の離れた三男にとっておじいちゃんの様な存在なのだ。

 そして、彼女は九時から四時までパートタイマーになる。仕事の合間に趣味を楽しむ。それもほんの束の間。


 彼女は帰宅するなり米を炊き、洗濯物を取り込んだ長男に礼を言い、子供達に宿題の有無を確認をする。その間僅か十分。立ち止まることなく三男を迎えに行き、五時半の音楽が鳴り響くまで自宅前で遊ぶ。


 待ち侘びたメロディが聞こえ、ぐずる三男を宥めやっとの事で家に入るが、本当の戦いはここからである。三男が眠ってしまう前に、食事と入浴を済ませるというミッションが始まったのだ。

 長男に風呂洗いを任せ、食事の支度に取り掛かる。合間に洗濯機を回し、取り込まれた物を畳む。次男の宿題の汚い字にケチをつけ、ゲームやスマホの注意をし、喧嘩を止め、明日の支度を急かし、三男が寝ないよう注意を引き、風呂の湯が沸けば三男と入る。

 六時半に旦那が帰宅し、夕飯という名の闘技に挑む。気分屋の三男にバランス良く食べさせるよう創意工夫を怠らず、自分は冷えきったご飯を手早く食べる。この時点で、彼女の一日の摂取カロリーはまだ成人女性のそれに満たない。

 三男の歯磨きを済ませ、眠るまで饒舌な三男と幼稚園の話で盛り上がる。毎晩全くと言っていいほど同じ話だが、これは気にしても仕方がない。

 三男が眠りにつくと、そっと布団から抜け出す。この時、彼女は半分以上脳が眠った状態である。にも関わらず使命感のみで動く。明日の為に。

 洗濯物を干し、弁当用に米を仕掛け、家族分の水筒を洗い、食洗機をセットする。一息つき、学校や幼稚園からの手紙を確認し、翌日の持ち物を準備する。

 ここまでで驚くべきは、旦那が何もしないことである。そういう家庭で育った彼の脳は昭和のままなので、女がして当然と思っているのだ。家庭環境が変わっても、まだ婚前に「俺は何もしない」と言った時のままなのだ。二人の時ならそれでも良かった。彼女にしてみれば、世界の七不思議にも匹敵する『変化に順応しない脳』であった。

 漸く一通りの家事を終え、自分の時間に浸ろうと思った矢先、これまでスマホと向き合い続けた旦那が言う。撮り溜めていたドラマを見ようと。彼はこうして彼女との時間と作り、彼女が満足していると思っているのだ。彼女は、夫婦仲を取り持つ為にそれに従う。大して興味もないドラマを、食べたくもないスナック菓子をつまみながら。ここでついに、一日の摂取カロリーが成人女性のそれに達する。決して褒められたものではない。

 ドラマが始まって数分で、彼女はこそこそとスマホと親密になる。趣味に没頭し始める。が、筆が乗り始めた頃にドラマが終わり、旦那との会話が始まる。モラルを重んじる彼女に、会話をしながらスマホを見ることはできない。ベッドに入ってから、と思ったが力尽きて眠ってしまう。

 彼女の自由時間はこうして終わりを迎える。


 休日は、休日だけ早起きする子供達に朝食を出す為に起きる。午前七時。

 平日パートに出ている時間は、食事と洗濯の時間が増えるだけであって、彼女の自由時間ができるわけではない。なんなら、平日にできない事をしなければならないので、いつもより時間がとれないのは言うまでもないだろう。


 こうして彼女は過労が続き、自律神経失調症となった。しかし、家族は心配こそするものの行動は伴わない。所詮その程度かと、彼女は一層伏し目がちになる。

 それでも彼女は、家族や子育てへの責任感を放棄することが出来ない。きっと死ぬまでそうなのだろう。

 始まりは膀胱炎だった。トイレに行き、一息ついてしまうと、その後の行動が嫌になってしまうからという理由で後回しにしていた。我慢する事が癖になっていた。

 何もかもに我慢する癖がついていた。自分達の事なのに、彼女がやってくれと頼むのも癪に触り始め、頼む事が億劫になっていた。全てが悪循環になっていた。

 旦那に期待しない。子供に求めない。自分でどうにかする方がまだ楽。時々一人で泣いてしまうこともあった。当然、誰も気づかない。彼女は人一倍、家族が大切だった。失いたくなかった。その想いからだった。



 彼女が病気になった理由は、自分を守らなかった怠慢である。

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