命を愛おしむ
数年前、主人が熱中症で救急搬送された時の話です。
主人は限界を超えても我慢してしまう所がありました。仕事柄、サウナのような所で1日中働いているので、毎年夏が来てしまうと憂慮していました。
あの日は「ただいま」と力無い声が聞こえたきり姿が見えないので不安が過り探したところ、玄関で倒れておりました。
呼び掛けにも「大丈夫、大丈夫」とうわ言のように呟くだけで意識が朦朧とした様子だったのです。慌てて救急車を呼びました。
救急車に乗り込んでから20分ほど待ってようやく動き出しました。搬送先を探していたんですね。この時間、呼び掛けにも反応せず、このまま死んでしまうのではないかと不安で堪りませんでした。ただ手を握って「ここに居るよ。頑張って」と励ますことしかできず、もどかしかったのを強く記憶しています。
当時、生後半年の息子を抱えていました。不安なあまり、息子を強く抱きしめてしまいました。幼いうえに眠っていたので覚えてはいないでしょうが、悪い事をしたなと今になって思います。
やっとの事で動き出したのですが、我が家はひどく入り組んだ所にあり、一方通行も多い所為か何度か道を間違われました。その度に焦りと苛立ちを感じておりました。
さらに腹立たしかった事があります。
日頃から子供に「緊急車両が通る時は必ず道を譲る」と教えていましたが、心無い人はいるもので譲ろうとしない方も少なからずいるのです。この時も、道を空けられる状況にも関わらず、数台の車がノロノロと走っていて「私なら譲るのに」と思ってしまいました。心にゆとりが無いと、他人に求めてばかりになっていけませんね。
もとより、私は譲り合い助け合いを信条にしている偽善者をやっておりました。自身を偽善者と揶揄しましたのは、私の信条と言いましても因果応報に怯え正しく生きようと懸命に徳を積んでいるという類のもので、心からの行いかと問われれば頷く事ができなかったのです。
ですがこの時ばかりは進路を譲ってくださる方々に心から感謝し、これ以降、本心からの善意で良い行いを心掛けるようになったのです。
結局、主人は熱中症と脱水症状で1日入院して事なきを得ました。
処置室の前で待っている間は生きた心地がしませんでした。ただ、静まり返った待合室に聞こえてくる、安定した機械音が主人が生きていることを知らせてくれていたのです。眠ったままの息子を優しく抱きしめ、耳を澄ませていました。
今だから思えるのですが、あの静かな時間はとても愛おしいものだったのです。だって、主人を失いたくないと心から祈ったのですから。
煎じ詰めて言いますと、私がお伝えしたい事はひとつです。
あなたのそれも大切な人のそれも、お命を大切にしていただきたいということです。それではこれにて。
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