掌ノ噺

尾子《おね》

「お帰りください」

　玄関先でそう言い放ったのは、着物を着た初老の女性。それに食い下がる、ヨレたスーツを着た４０代くらいの男。

「そう仰らず、どうか話だけでも聞いてください」

「あの子の話など聞きたくありません」

「ですが······」

「お帰りください」

　女性はピシャッと扉を閉めた。髄分と憤っている。

「くそっ」

　男は為す術なく立ち尽くす。

　暫くして男は諦めた様子で門扉に手をかけた。と同時に、庭から若い男が現れた。

「待ってください。僕が話を聞きます。姉の、百合香姉さんの話ですよね。僕は弟の健人です」

「貴方が健人さんですか。お姉さんから聞いて存じています。話を聞いていただけるんですか。ありがとうございます」

「うちでは何なので、喫茶店にでも行きましょう」

　二人は家から少し離れた喫茶店に入った。年季の入った喫茶店には２人以外に客は居ない。

「それで、貴方は姉さんとどういうご関係ですか」

「率直に申し上げますと、百合香さんを殺めた者です」

「やはり、そうですか」

　マスターが入れた珈琲をウエイトレスが席まで運ぶ。

「で、姉の遺体は何処に」

「お宅の庭に」

　バンッガタタンッ

　ガターン

　両手でテーブルを打ち、立ち上がった健人は顔を真っ赤にしていた。その勢いで椅子が倒れた。

　男はビクッと躰を強ばらせると、膝の上で手を握り締め肩を竦（すく）め俯いた。

　息を荒らげたが健人であったが、深呼吸をしてから椅子を起こし座った。

「すみません。続きを聞かせてください」

「私は百合香さん頼まれたんです。自分を殺したら庭に埋めるようにと」

「嘘だ······。１１歳の姉がそんな事を？ それに、何故貴方に？ 到底信じられない。そんな話を両親にしようとしてたんですか」

「違う！百合香さんはご両親の所為でっ······」

「······どういうことですか」

「百合香さんは幼い頃からずっと虐待を受けていたそうです」

「は？ そんなはずありませんよ。だってうちは皆仲が良くて···姉さんだっていつも笑顔で······」

　健人は頭を抱え、遺っている記憶と蘇る記憶の断片を繋ぎ合わせる。どうも聞いた話に思い当たる節がある。

「それに、百合香さんは······人間では······なかったんですよ」

「······は？」

「尾子（おね）をご存知ですか？」

「いえ、聞いたことありません」

「尾子とは四足獣の物の怪です。パッと見は人間ですが生まれた時から尻尾が生えていて、人間離れした身体能力や五感があります。百合香さんは狼の尾子でした。ご両親は気味悪がり蔑みましたが、貴方が生まれた事で一旦は落ち着きました」

「そんな···姉さんに尻尾なんてなかったはずです。ごく普通の人間でしたよ」

「尻尾は貴方が普通の人間で生まれた時、両親が切ってしまったそうです。貴方に悟られないように」

　男は百合香に聞いたままの話と、自身が見た事実を淡々と話した。

　健人には普通に暮らしてもらいたいが、自分を苦しめた両親だけは許せない。尾子である自分が怨みを持って死んで呪いをかけ仕返しをする。両親の残虐な行いは百合香の躰だけでなく心を傷つけ、尾子の自分よりも余程化け物の様だったと思わせた。

「死んで庭に埋められたら呪いがかかると？ はっ、馬鹿げてる。そんな事はありえない」

「私もそう言いましたが、百合香さんは頑なに意志を貫いたんです。百合香さんは、間接的に私に殺させました。百合香さんの算段に気づいた時にはもう、私は百合香さんを殺めていたんです」

　百合香は死の間際、男に呪いの手順を伝え拒否すれば呪うと脅した。男は自身に呪いがかかる事を恐れ指示に従った。

　両親は現在も呪われている。健人は両親の異変に気づいてはいたが、呪いだとは夢にも思わなかった。

　百合香は毎夜両親の夢に現れては、やりたい放題で仕返しをして両親の精神崩壊を目論んでいる。

　健人は男を警察に突き出しはしなかった。男もまた被害者だと思ったのだ。こんな浮世離れした話を警察が信じるとも思えなかった。家族が寝静まった頃を見計らい、密かに庭を掘り返した。

　男の証言通りの場所に棺が埋まっていた。恐る恐る開けてみた。すると信じ難いことに動物の、おそらく狼の骨と姉の髪飾り、両親の写真に御札が入っていた。御札には奇妙な模様と『埋没呪術式』と書かれていた。

　健人は迷ったが、全てを元に戻した。

　百合香が行方不明になってすぐの頃、後にも先にも一度だけ百合香が夢に出てきたことがあった。

　当時七歳だった健人は所詮夢だと思い、誰に言うでもなく今日まで忘れていた。だが、百合香の髪飾りを見て思い出したのだ。夢で百合香が言っていた事を。

　──助けて、健人──